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風次郎の世界旅
 懐旧の王国・中欧の旅
  [オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリー]

music by ASAO虹の音色

    
         カレル橋:西袂              

 (5)プラハ―その2― 

              下りの坂道を歩いて、カレル橋へ向かう。
              ヴルタヴァ川にアーチをいくつも並べた橋げた、技巧を凝らして人物を掲げた彫刻を配した欄干、思ったより細くそして
             長い通路。両袂に橋塔を構え、欄干に30体の歴史的彫像の立つ橋は眺めて楽しめるものであった。
              ヨーロッパに現存する最古の石橋とのことである。12世紀、14世紀と2度の洪水に流され、旧橋に変わってカレル4世
             の命により60年もかかって建設されたこの橋は、以後600年、多くの洪水にも耐えてきた由、示す貫禄十分に思えた。
              橋の上の通りはあたかもいわゆる歩行者天国で、国際色豊かにいろいろな国の人たちがいた。はなやMさん、Hさんは
             似顔絵描きに纏わり、私は楽器を扱うパフォーマンスに戯れてすごした。
              橋を渡りながらの眺めも抜群で、対岸に畔の旧い大きな丸屋根をみせる国民劇場が目立っていたが、街並みはおおむ
             ね低層で整い、旧い時代を語ろうとしているようだ。

              橋を渡りきる交差点の向こうに「クレメンティヌム」と呼ばれる、横長で彫刻の壮観な、縦窓の建物が目立っていた。フェ
             ルディナンド1世のカトリック擁護策によって敷設された広大な施設群のひとつである修道院の建物で、今は図書館にな
             っているとの事である。私には図書館の外見にぴったりの風情に思えた。
              路面電車の通るヴルタヴァ川に沿った広い道路を横切り、カレル通りを旧市街へ入って行く。王様の名前がついている
             にしては狭くてくねくねとした繁華街である。
              幸いにして戦火の被害が少なかった旧市街は、旧い時代の建物が残り、街並みも昔のままである。細くて、それもかつ
             てからのメインストリートに交差する縦横の道は、カレル橋と同じように、国際色豊かな人で溢れている。
              街角の建物に、昔の家主の家紋が彫られているというので注意して見て行った。
              赤レンガの宝石屋の看板の上脇には蛇の彫刻が、ロマネスク調のハーゲンダッツの店のバルコニーの手すりには、鮭
             と「1905」の文字が彫刻されている。数字は屋号を持った家主がここに居を得た年号であろう。

         
               天文時計                         屋号マークをつけた家

              旧市役所の広場の角には時計塔があり毎時人形が飛び出して時報を告げると言うので見物人が群がっている。原理は
             分かり難いが、綺麗に飾られたそれは天文時計といわれるもので、縦に二つの円が並んでおり、それぞれが作られた当
             時の宇宙観(天動説)に基づいた天体の動きと時間を表すということである。
              広場にはカフェも沢山席を並べ混み合っていた。私たちは時計塔の真向かいにある日本人が経営すると言うみやげ物
             店「エルペット」を集合場所ということにして、少し離れた日本人の経営するレストランで魚料理の昼食を食べた。塩の利い
             た味付けのいいジャガイモが添えられた鱈の一枚ものは美味しかった。そしてこの地の名物であるハーブのスープ。折角
             のプラハだと拘ってチェコビールをいただき4人仲間で乾杯した。

              昼過ぎは自由時間であった。
              私はボヘミアングラスの店を見たかったので、はなと友人2人がみやげ物店「エルペット」で物色している時間に、近くに
             あった「モーゼル(ボヘミアングラスでは最高と聞いていた)」の店へ行ってみた。何とワイングラスのペアーでだいたい2
             万円以上である。すぐ隣の棚にはモーゼル以外の似たような普及物も並んでいて大体半値だった。
              「ブルー、プラハ」という店があちこちにあってチェックしたが、そこでもモーゼルのものがやはり品格があるように見えた。
              しかし、良いものになるほど薄く精巧な仕上げが売り物のようだから、見れば見るほど持ち帰りに自信が持てなくて、結
             局「モーゼル」は割愛することにした。
              4人の仲間で近くを散策した。
              女性たちの希望でミューシャ美術館を観に行くことにした。
              旧市街地広場から時計台の前のジェレズナー通りをまっすぐに南へ向かうと、カレル大学の本部であるカロリヌムがあった。
              中欧最古の大学といわれるものである。
              そのすぐ次にモーツアルトが「ドン・ジョバンニ」を初演したエステート劇場があった。4本の石柱を立てた正面入り口の様子
             は、議事堂の入り口のような雰囲気で、私には厳めしく感じた。1783年の完成だというから、修復されてきたとはいえ200
             年以上も経っていることになる。
              ミューシャ美術館はカウニッキー宮殿という建物の1階部分に設けられていた。日本ではアールヌーヴォー(ドイツ語では
             ユーゲントシュティール)を代表する画家ということになっているらしいが、私はあまり関心を抱いていなかった。この人はパ
             リで活躍したが出身はチェコである。線を巧みに使った優しさに溢れる画法が特に女性を引き付けるのだろう。
              私は会場を一巡りして休んでいたが、みんなは「生涯と作品」のビデオも含めしっかり観たようである。

              プラハへ来て、ヴァーツラフ広場を訪れない人はいないだろう。チェコ民族には独立の歴史上語り尽くせないほどの物語
             を持っている場所だからだ。
              その中でも1969年1月、ソ連の介入にここで焼身自殺で抗議した学生ヤン・パラフに始まるいわゆる「プラハの春」は、
             1989年までの20年の時を費やして「ビロード革命」で思いを達するまでの歴史を刻んだのであった。民族にとっては、
             やっと築いた大きな遺産だといえる。それを果たした舞台がここかと思うと感激せずには居れなかった。
              ヴァーツラフ広場は、人だけでなく電車も通る繁華街通りのように賑わっていた。私たちが歩いた頃はもう日が落ちてい
             たので沿道の店舗には灯が灯り、現代の華やかさも漂わせているのであった。

              旧市街地広場に戻って野外のカフェでコーヒーを飲んだ。
              ヨーロッパの野外に設けられたカフェはお茶を飲みながら、通りすぎる多様な民族というべき風景が眺められて、あた
             かもそんな人々と語らっている気分になる。仲間の3人の女性たちと、取り留めの無い話題を交わしながら、大概は気の
             いい給仕の男と明るく冗談を言って過ごした。
              時計塔の下でツアーのメンバーと合流してホテルへ戻るころは、仕事を終えた市民も集まってくるのか、広場はますま
             す賑わいは増して、寒さに向かう初冬の夕暮れとも思えぬ歓楽の場となっていた。

              夕食はプラハ城近くの丘にあるレストランでディナーショーが予定されていた。なんと、レストランはストラホフ修道院の
              建物にあった。修道院は民族の文学博物館にもなっているとの事だった。
              フォルクロアショーということなので、私は民族舞踊が大勢で乱舞する舞台を想像していたが、男女二人の踊り子が出
             てきただけのものだった。それにバンドもギター、アコーデオンにドラムスという素朴なもの、――フォークソングだから仕
             方ないか――と思った次第。
              料理も郷土料理ということだったが、チキンの丸ごとが各人の皿に乗っかっていたのが豪華といえば豪華。他には油の
             浮いたスープと少しの野菜といったメニュー、残念ながら楽しめるものではなかった。とはいうものの折角の民族舞踊を
             楽しもうと一生懸命拍手を送った。それに私達のグループのMさんは11月が誕生日なので、大体この時期に旅行をす
             るといつもディナーパーティーお祝いの披露にあやかれるのである。はなとHさんは、この旅行はMさんの誕生祝に行く
             ようなもの−−と羨ましそうに、冷やかし半分にはやすのだ。今回も、この会場で添乗員からお祝いをもらって紹介され
             ると、Mさんは男性の踊り子の誘いに乗ってフロアで民族ダンスを踊った。
              毎回出てくる食後の甘いデザート(ケーキ)にはうんざりしたが、少し塩の利いたパンはそれぞれの店が独特の味を作
             っているようで、味わえるように思った。

              それなりの楽しさを味わって修道院の門を出たのは9時を廻り、外に出ると周囲の森は靄がかかっていた。夜は思った
             より冷え込んでいるようであった。

                                                ○

              朝の冷え込みはきつかったので、キルティングコートが役立った。耳が少し冷たいだけで、道路を歩いていても寒さを感
             じることは無かった。昨日確かめたホテルの前の通りを少し右に下りヴィテッツェンの大きなロータリーへ行くと、昨日より
             も大勢の人がバスや電車の停留所に並んでいる。時間の違いなのかもしれない。
              私は地下鉄の入り口から階段を下りて、改札口へ行ってみた。何処の国とも変わらぬ駅の様子であった。ホームへの
             入場口が中央にあり、その正面の壁に券売機がおかれている。そして脇のほうに売店が、ここはまだひっそりとしたまま
             間口2間ほどの店を開けていた。階段を降りてくる通勤の乗客がすばやく通り抜けていくさまも万国共通の朝の風景であ
             ろう。
              気になったことといえば壁や床はコンクリートがむき出し仕上げで美観は無い。そこへ持っていって、壁には何やらいた
             ずら書き、壁角には塵がたまっているなど、とても汚い印象であった。最も日本の地下鉄は世界一綺麗なのだからギャッ
             プがありすぎるとは思う。
              階段の上、外にも売店があったが、そちらのほうは小奇麗に照明をつけて客を寄せていた。ただ首都とはいえ、アメリ
             カあたりのようにほっとドックや温かい飲み物を出す店は無いらしかった。
              降りてきた道を右に廻って、やはり電車の通っている道を丘に向かって登って行く。
              その道は昨日バスで上っていった通りであることがすぐに分かった。坂の頂上は森であったがその向こうがプラハ城な
             のである。
              20分も歩くと森にぶつかったがその森を廻り抜けるのに、道を間違わないように気をつけながら細い道を分け入って
             みた。少し心配だったが、一旦坂を下ると街並みが現れたので、大きな建物の塀沿いに再び狭い道を上っていった。
              あとで地図を確かめると、それは教会の外壁であった。
              突き当たった左に広場があった。プラチャニ広場という看板が立っていた。
              両脇が国立美術館と戦争歴史博物館である。そして正面に昨日衛兵の交代を見た王宮の正門があった。広場はたく
             さんのガス燈をデザインした照明で囲まれていた。
              人は誰もいない。静かに朝靄がたたずむだけの王宮の門前を行ったり来たり歩いてみた。
              いったいどれくらいの人たちがここをあるいたのだろう、などと思いを巡らした。おそらくこの門前でも悲しみや怒りや
             喜びやいろいろの感情が歴史と共に流れ去ったのであろうことも思った。静かなことはいいことだと思った。
              正門の右脇には、丘を下りカレル橋のほうへ向かう階段道路が続いている。町の屋根とヴルタヴァ川そして川向こう
             の旧市街が見渡せた。そちらへ向かうと、階段には街路のどこもそうであるように、小さな正方形の石を敷き詰めた舗
             装であり、それもブロック状の白い石と黒い石を使って単純な模様が描かれている。
              そこを歩くと靴音が響いた。ただ歩いて思いに耽った。
              私はその階段を下り、また上って再び緩やかに王宮の正門から森の中へ上る道を歩いて帰った。夕靄も朝靄もプラ
             ハの印象を悪くするものではなかった。

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       夜のプラハ市街   

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