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プラハの市内に入ったのはもう夜の7時、夕闇に包まれていた。
チェスキー、クリムロフを発ったのが3時半だったからカーブの多い山道を3時間
も走って来たことになる。ガイドブックには約180kmと書いてある。
ホテルに入る前に市内のレストランで夕食になった。
プラハは寒いと聞いていたので、バスを降りるとき、どんなかな?と気になったが、
思ったほどには感じなかった。町のどの辺かも分からなかったが、首都の夜景
らしく灯りに溢れ、山間の夜道を揺れてきた旅行者の私たちには眩しく映った。
レストランの建物はVOLVOディーラーと一緒で、入り口が隣り合わせの『ZRATY
ROZEN』という店であった。
「チェコはビールが特産で、美味い。」との評を仲間の誰もが口にし、バスの中で一
眠りして乾いた喉を潤すには丁度打って付けであった。Mさん、Hさん、それに道
連れになった旅だけ独身というおじさんたちも一緒になって黒ビールで乾杯した。
その夜のメニュウはプラハ流チキンということで、ソティーを薄切りの鶏肉で包み、
綺麗に輪切りにして皿に盛った料理が出された。ソティーがくどくなく、上品な感
じでおいしかった。
パンは料理に先立って出され、やはりポテトもいっしょに出てきた。ここのポテトも
料理に合っている感じがした。
宿泊するホテル「DIPROMAT」に入ったのは9時前であった。
腹が良くなると無性に眠くなり、はなも同様で、部屋の鍵を受け取ると風呂も
ざっと浴びるだけでベッドに潜り込んでしまった。
○
4時におきてPCを起動すると、アメリカの大統領選挙でオバマが勝利したニュ
ースが報じられ、どこのサイトにもゴシップが溢れている。いろいろと新しいイン
パクトをもたらすであろう新大統領の登場である。アメリカ大統領は、何といって
も現代の世界のリーダーであるわけだ。若き初めての黒人大統領は、はたして
どんな時代へ導くのであろうか。
東京の友人にとりとめもないメールを送ったり、昨日撮った写真の整理をしてP
Cに移し替えたり、一通りの作業をしてからホテルの外に出た。
せっかくの旅だからと、何となくPCの世情からは離れたかった。
ホテルは市内から北に伸びる地下鉄A線の終点である、ヴィテッツェン、ナメステ
ィーという大きなロータリーの近くにあり、市内から丁度王宮の丘の向こう側に
位置していた。
玄関の前は電車通りで、ロータリーから左(西側)にゆるい上り坂を少し上っ
たところである。雨が降ったのであろう、道路が濡れて霧が漂っている。
「30分坂道を登ってみよう」と、歩き出す。ホテルのすぐ隣は芝生の広がった
丘になっており、芝生の中に記念碑を建て「この緑地を市民のために寄付する」旨
のメッセージが刻まれている。キリスト教奉仕団体施設の建物が丘の上にあった。
私は舗道を歩いていくのだが、こんな早い時間、と思うのに何本もの路面電車が
行き交った。登っていく電車にも、ロータリーに向かって下っていく電車にも数人
の作業職風の人たちが乗っていた。朝早くから働く人達だと思う。
電車通りが大きく左にカーブしている地点で、道はさらに登る道と下って行く道
の二つに分かれていた。坂道の両側には街灯が灯るだけで、店舗らしきものは見当
たらず、居住区の様子である。先は森のようであった。
私はそこから引き返して、ロータリーの様子を見ようと思った。
坂道は下り始めると、かなりの傾斜である。歩く速度が倍加したように軽い。そ
れに彼方に見えるロータリーの明るさが、異国の朝の孤独を和ませるように、人の
心を引きつけるのであろうか。
ヨーロッパの明確に都市計画があってできた街には、大きなロータリーを配置
しているのが街づくりの特徴である。中には広場を伴うものもあって文字通り市
民の活動の集散のセンターである。こういった大きなロータリーの構想は日本には
あまり見ないが、もともと国土が狭く、設計しにくいのだろうか。
大きなロータリーを囲むコーナーには地下鉄の入り口のほか、各地へ向かうバス
のターミナルがあり、縦横の大通りに敷設された路面電車の停留所にも既に大勢
の人影があった。
朝の出勤時間が始まる頃の様子であった。防寒コートを着て、吐く息が白く見え
る。朝の出勤の様子は何処の国も変わらない。服装も何処でも同じになった。
ロータリーから伸びる通りの角には、行く先を示す標識が立てられていたので注
意して文字を見つめると、プラハ城を示すものがあった。
私は「明朝はその方向へ歩こう」と、地図にマークしてホテルへ戻ることにした。
○
朝食の後、ロビーに集まったメンバーの顔も、だんだん分かるようになって、お
互いの挨拶も軽やかになってきた。24名の団体だったからバスの中もゆったりで
楽な気がした。
バスは、朝眺めたロータリーを廻って、私が確かめた案内標識の角を曲がり、坂
道を登って行く。やはりその道がプラハ城に向かっているのである。
王宮庭園の駐車場に降りると城壁の向こうに教会の尖塔が現れた。
高台になった城のあたりはまだ朝霧の中だったから、現れたという感じに見えた。
霧の中に見え隠れする尖塔は余計に高く眼に映った。
朝霧は天気が上り坂をあらわすと聞いたことがあった。プラハも城から街並みを眺め
るのが良いという。だからせめて一時の青空を、と期待しながら城壁に沿って正門に
続く小路を歩いて行く。プラタナスの並木が紅葉していた。
3名の衛兵が城壁の向こうの宿舎から整列して歩き出すところだった。丁度私た
ちが正門に着いたとき遭遇した「衛兵交代」の要員だった。折り目正しく古式豊か
な儀式は歴史文化を尊ぶことを宣言しているようで気持ちが良い。儀式が終わるの
を待って正門から真っ直ぐに城内へ進みんだ。
プラハ城こそ、近大戦の後、民主化に向かうこの国の歴史の上で、ナチスの
「ボヘミアとモラビアのライヒ公安の本拠地」、「プラハの春」を叫ぶドゥプチェクの
指標など、紆余曲折して辿る歴史のの舞台でもあった場所である。
今でこそ、そんな歴史の流れを全く感じさせない静かで落ち着いたパシリカであった。
廊を伴った広い中庭は、敷き詰められたタイルが霧に濡れて影を映ししっとりと光っ
て美しかった。
この宮殿の特徴は2つのパシリカだと思う。聖イジーと聖ヴィートの2つの教会
にまつわるそのパシリカは、宗教や民衆統治という厳めしさを和ませる最良の空間
であったであろう。時にそれは意思集結の場とも化したのではあろうが――。
城は、9世紀に建てられた「聖母マリア教会」が最初の建物のようである。
今そこに並ぶチェコの大統領府は1918年チェコスロバキア共和国の独立以来
の存在で、スロバキアと分かれた後もここに存在する旧王宮である。
王宮は12世紀ロマネスク様式で建てられて以来、14世紀にボヘミア国王カレ
ル1世によって教会と共にゴシック様式で強化再建された。さらに現存するものは
18世紀後半、ハプスブルグ統治時代にマリア、テレジアが幾多の災害や攻撃被害
で荒れた城を再建したものだそうだ。
壮大な聖ヴィート教会の礼拝堂へ入った。
礼拝堂には人影は少なく、壁に描かれた色鮮やかな伝道師たちの姿と高窓になっ
た幾つものステンドグラスが光をもたらしている静かな雰囲気であった。
そのあと東門へ「黄金の小路」と言われる城壁に沿って少し下る石畳の道を通っ
て行った。道に沿って、全盛期のカレル4世の時代蓄えられた黄金を扱う錬金たち
が詰めた、城壁の宿舎が長屋のように続き、内部が公開されていた。入ってみると
武器や鎧兜などの軍装品も展示されていた。当時の爆弾と称するものがあり興味深
く見た。
東門を出るとそこはヴルタヴァ川を挟んで両岸に広がるプラハの町がパノラマの
ように広々と見渡せる展望台であった。
もともとチェコの国は、ケルト人系のボヘミア民族と、7世紀からモラビア王国
を成していたマジャール人が、10世紀にボヘミア王国を築いたことが起源といわ
れる。そこへ11世紀になって、ドイツ系の人々が入り込み鉱物資源の採掘と商業
活動が活発化した。
さらに神聖ローマ帝国の時代になるとハプスブルグ家とルクセンブルグ家の勢力
争いに巻きこまれるのである。
17世紀当初、神聖ローマ皇帝を称したハプスブルグ家が、プラハ城を居城とし
て統治するに至った頃、時代は宗教改革へ向かう。カトリックを守るハプスブルグ
家のフェルディナンド2世は敵対したため、プロテスタントとの戦いを余儀なくさ
れ、スエーデン軍の侵攻によって終結する「30年戦争」をも経なければならなか
った。そして民族は19世紀までの「暗黒の時代」を迎えた。
やがて近代へ、時の流れは2つの大戦と共産化の波を経て過ぎてきた。
ハプスブルグ家はウイーンへ、地域はチェコスロバキア共和国として独立をもの
にしたが、1939年ナチの進駐という弾圧を受け、1945年ソ連軍による開放
を得たものの、その後1968年の「プラハの春」での改革運動から、「ビロウド
革命」による共産党政権崩壊に至る経過を経るまで、民族の自由は開放されな
かったといわれる。
1993年チェコとスロバキアは民族の旧い歴史に戻って、新たな独立を成し遂
げたのである。
プラハは歴史地区が世界遺産に登録されている。
今、王宮の丘から眺める町並みは、青空を仰ぐことはかなわなかったものの、まだ朝
の霧が残る遠方まで続く赤い屋根が少し霞み、その中に尖って抜け出た教会の尖塔
がいくつも見える。
情緒豊かに静かだった。
赤い屋根は傾斜がやや急で、おそらくは冬の雪を考慮したのであろうか。その屋
根に、見える限り何処の屋根にも子屋根をつけた窓が造られている。それがいわゆ
る屋根裏の場所であろう。ヨーロッパの屋根裏を材料に語られる物語はみな物悲し
いが、ここで見る屋根裏は何と可愛らしいものだろうか。
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世界遺産プラハ市街を展望
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