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風次郎の世界旅
 懐旧の王国・中欧の旅
  [オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリー]

music by ASAO虹の音色

       
     シェーンブルンの庭園
                                    

 (13)帰国(終章)  

             添乗員の鈴木さんの点呼があり、バスに乗り込む。
             昼間近の高くなった陽を浴びて、装飾の施された建物の並ぶ街はさらに眩い。走り始めると、そんな街の風景もすぐに終わ
            って、草原のように続く郊外のハプスブルグ家狩猟場を眺めながら、バスは空港に向けて進んだ。
             車内の面々は帰る頃ともなると一段の馴染み深さをあらわにして、それぞれの思いを語り合っているようだった。
             搭乗手続きは荷物の持ち込みチェックに少し手間取ったが、順調に出国ゲートを通過して12時には搭乗待合の人となった。
             私たちのグループ4人は近くのスナックでサンドイッチとコーヒーの昼食を済ませた。女性たちは残ったユーロで最後の買い
            物をしていたが、まださらにクレジットカードで支出を伸ばしたようである。
             いつものこと、東京行きの便を待つ搭乗待合では、時間が経つに従って日本人が多くなってくるのであるが、それにしたがっ
            て自分の安心感が高まるのであった。そして日本は今どんなだろうと思う。たった9日間でも懐かしさはこみ上げてくるのである。
             全て順調に推移し、搭乗が終わると時間通り13時55分にオーストリア航空51便はウイーン空港を離陸した。

             窓を覗く。
             晴れた空の下に真昼のウイーンの街が輝いて小さくなっていく。いつもの旅と同じように、このウイーンも、そして5日間掛けて
            歩いた他の中欧の国々も、時を追って懐かしさを増すことだろう。
             この旅も良い旅だった。
             何よりも私には大きな発見があった。
             今まで、この地域の近世の時代背景が私に想像させることは、「寂しさ」とか「悲しみの痕跡」さらには「貧しさ」であったのだ。
             一方でハプスブルグ家の遺産の華やかさとか、この地域が音楽をはじめ、芸術における現代のリーダー的地域であるとい
            う世界的存在観が両立していることを、頭の中で整理できないでいたのだった。
             それは自身の矛盾であったのだが、やはり「百聞はい一見にしかず」地域を訪ねて歩いていくと、実感としてその土壌を味わい、
            その地の歴史を紐解くこととなり、旅が理解を導いてくれるのである。
             今回、それらに対する回答が見え始めたのである。
             さらに今回の発見は、この中欧の人々の落ち着いた雰囲気である。そして表情の端正な風貌の美しさであった。
             もし私の感じ方が間違っていないとしたら、この国々の人々は多くの厳しい時間を過した歴史的経験によって民族の力を信ず
            ることを学び、目先の混乱に激しく動じないでいられるのかも知れない。

             ハンガリーは、あたかもこの時通貨危機と言われている。
             スロバキアはEU通貨の流通を間近(09年1月)に控えている。
             オーストリアは折角世界に問うた永世中立国の立場をヨーロッパ連合のために返上せざるを得ない情勢だ。
             まさに激動の現代、100年に1度の経済危機の時に、それを迎え入れるそれぞれ自国の窮状を解してか、それとも解せない
            が故にか、いずれにしてもそれぞれの国は、私には思ったより明るく写ったのであった。
             やはり私の感じたとおり、幾多の歴史的困難に遭遇したことに比べれば、経済の波など窮するに値しないということであって
            ほしいと思う。街だけでなく国までも、そして、民の身も心も破壊されてしまう独裁者の仕打ちや、或いはイデオロギーの率いる
            戦争に比べたら、または過去に繰り返された国取り合戦に比べたら、今が我慢できない窮地ではないとの状況比較の結果で
            あれば――よいのだが。

             流れの美しいドナウ川は遥かな時代からローマの国境線であった。チェコも、オーストリアも、スロバニアも、ハンガリーもみ
            な最初はドナウの西に拠点を構えたローマ軍のパンノニア国境警備拠点配備地であったのだ。
             駐屯地はローマの属州をいたわる統治政策の徹底によって少数の現地人と共存して営々と街を築いていく。町は殆どが川
            を隔てた地域に広がっているのはどうしてだろうか。統治をすすめる政策のひとつの手段であったのかもしれない。
             やがてゲルマン人の流れを汲んだボヘミア王国として誕生した現チェコ、さらにはアジアからはるばる酪農地を求めてマジャ
            ール人が築いたモラビア王国を源流とする現ハンガリーとスロバキアが立国する。
             ドイツから東ローマ帝国の威勢を担って現オーストリアに拠を構え君臨したハプスブルグ家は、進出から650年の歴史を担
            ったのであるが、勢力拡大は宗教改革の始まりとともに止まっていると見れば実質400年であった。(私は大帝国であっても
            繁栄は400年が限度という見方をしており、シーザーの構想に始まったローマ帝政も、賢政が行われたのは実質400年と言
            われる。)つまりハプスベルグ帝国も後ろ盾がローマ正教(カトリック)であったから、宗教改革によって拡大するプロテスタント
            勢力に対しての弾圧を余儀なくされたのである。
             一方では東からイスラム教のオスマントルコ、またアジアのチンギスハンにさえ進出の機運を伺われながら、民族を結集して
            動きをとるべく指揮が出来なくなっていた。
             すなわちハプスブルグ家は退場する時を迎えていたのであろう。
             古今、時代の波というのは侮れないものである。――反面、時が解決するということもあるが――。
             そして私は思う。西欧の歴史には、そこに宗教が必ず背後を覆うのである。
             彼のローマが、歴史上他の比類を見ないほどの周到な統治を続け、広大な地域に少なくも安定した民族の生活を保持し得て
            いたのは、ローマの都での儀式は別にして、宗教による政治への影響力を避けたからであるといえる。
             したがって為政者の力が及ばず、統制力を欠いて民心の集結を教会(宗教)に頼るようになったことから、とどのつまりは戦い
            さえ十字軍がその骨格を成すようになって、世界は混乱に引き込まれていったのであった。
             中欧諸国の混乱と、そこからの脱出は先ずチェコが宗教改革を先導するルターの影響を受けるや、ハプスブルグの弾圧を受
            けたことに端を発する。次にはロシアを頼ったことがナチの攻撃の的となり、それを退けても結局はスターリンの圧制に虐げら
            れた結果、最後は反革命で独立したのである。
             ハンガリーもスロバキアも似たような歴史上の経過をたどる。あちこちと支配を受け、そして、少なくもナチ以後の各国は大戦
            後共産主義を受け入れた結果が思わしくなく、民族が立ち上がらざるを得なかったのである。
             オーストリアの永世中立の由来も大戦の結果、過去の精算としてのバランスがもたらした結果であろう。そこにはドイツとのゆ
            るぎない関係があり、いわんかなヒットラーはオーストリア人であった。
             今、自分たちの国、自分たちの政治、民族の平和を少なくも実現して、仮に貧しくとも日々の生活を安楽に送れることに、彼ら、
            そんな時代を経てきた民族が不平を叫ぶはずはあるまい。
             今、ハプスブルグの遺産は遺産として大いに崇め活用すれば良いものだ。美しく、優雅に浸るための遺産である。

             東京行きのオーストリア航空は揺れもせず、淡々と進んだ。私は食事をしたり少し音楽を聴いたりしたほか、殆ど眼を閉じてい
            たが、あまり眠り込むこともなく、旅行中の思い出に耽っていた。
             機は予定より30分も早く午前9時前には成田に着陸した。
             日本も青空が広がった初冬の清々しい日の始まりのようだった。

                                                                         (完)
              

   
ウィーン空港の搭乗口            私たちの乗ったオーストリア機 

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