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空港へ向かうバスの出発予定は10時である。
それまでの貴重な時間をどう使おうか、とグループの4人で相談し、もう一度シェーンブルン宮殿へ行こうということになった。
ホテルの前からお洒落なアパートが続いている地下鉄沿いの道を駅ひとつ分、15分ぐらい歩けばよい。幸いに天気は晴
れて陽が射し、気持ちの良い朝だった。
シェーンブルン駅の前で地下鉄路線とウイーン川を越える橋を渡り駅舎に寄った。その駅舎もオットーワグナーの作品で
あり、ここは現実に駅舎として今も使われている。駅舎を背景にみんなで写真を撮り、そのまま進んでシェーンブルン宮殿
の東側のマイドリング門から城内へ入った。そしてマロニエの並木を歩き、昨日も立った宮殿の中庭まで行った。
シェーンブルン宮殿の庭は日の出から日没までが自由に出入りできる時間とのことである。既に何人かの観光客も入って
いたし、トレーニング姿のジョガーもいた。さわやかな空気の広がりが気持ち良かった。
Mさんは南の丘に建つグロリエッテまで行きたいと言った。皆同感だったし、そこに限らず日本庭園や、ローマの廃墟など
見たいところは沢山あったのだが、時間が無くて割愛せざるを得なかった。
庭園は早冬支度が進んでいる様子だ。花畑は整えられているとはいえむき出しの土の色だ。しかし、それにしてもこの広
さは驚異的である。ヨーロッパ列強に肩を並べたオーストリアに400年も君臨したハプスブルグ家は、何としてもベルサイユ
を凌駕する宮殿を得たかったのであろう。
同家の関連施設はこれにとどまらず、広大かつ贅沢な王家専用の狩猟場や、教会に及ぶ。だが、考えてみれば、その構想
を手がけ実現していく頃から政権は崩落の兆しを見せ始めるのである。贅のピークとともに時代環境の変化があった。
ここにも「奢れる者久しからず」の格言は生きて実証されることになる。
流れは民主化である。これは大きな波であった。中世から近世へ、その切っ掛けは時に宗教改革であり、時に芸術運動であり、
それを推し進めたのは国を構成する民、労働者の思想であった。
為政者が当初掲げた「民を守るために」によって戦いを敢行し民族との絆の上に国を築く時代は、相互に苦難を乗り越えようと、
支える民も為政者の驕りや名誉にも寛容である。しかし、為政者の力が多くの民族の支えを結集できなくなり、また力の維持の
仕方が「為政者を守るため」の目的に方向転換した途端に、結束の絆は綻びていくのである。
ハプスブルグ家にあっては、マリアテレジアを失った頃からまず親族に乱れが生じたと思われる。同家は家内においても統率
者の力に多くを依存せねばならないほど膨れ上がったものとなっていたのである。時代環境は大きく変わっていたのだ。市民の
手による革命の土壌が着々と作られていた。
統治できないのは、世界を見失うか、世界を見る力をもてないか、政域が手に余り及ばないかである。少なくも民族を守り続け、
権威の瀟洒を控えれば、離反は避けられる筈であるが、一旦驕りの時を過せばそれが出来なくなるのは世の常である。
貴族には今でも市民と肩を並べることに拘る風潮があるのはその証である。
私はこの旅で、長いこと私の頭の中で渦巻いていた、美しさと貧しさの混在する矛盾を理解するためのヒントが次第に得られ
そうな思いを感じ始めているような気がした。作り上げられた良いものは良い、それこそが作品である。
しかし、「社会」は作品ではない。それに社会は感情によって大きく左右される「感情の集合体」なのだ、と。
宮殿のテラスに上ってしばしたたずみ、王家への郷愁をしたためて帰る事にした。
マイドリング門から出て、シェーンブルン通りをマイドリングハウプシュタット駅まで歩いて帰ると、ホテルでは最早ツアーグル
ープの半数の人達がロビーに集まっていた。
ウイーンの街を一通り眺めるにしてもまだまだ不足だが、いよいよ帰国である。
グループの三姉妹(シェーンブルンのテラス)
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