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いよいよ帰国の朝になった。
でも、「まだ今日は午前中が楽しめる」と、私は暗いうちから起き出してホテルを出た。
市内の音楽の都を主張している部分を確かめて歩いておきたいと思ったのである。
マイドリングハウプトシュトラーゼ駅には最早通勤客が頻繁に改札を通過していた。
私は昨日覚えたばかりの方法で切符を買い、機械を通してホームに立つ。5時前であったが電車は10分間隔で運転されている。
向かい合いの座席がほど良く埋まる程度の乗客がいて、無口に新聞を広げていた。これも世界共通の朝の風景。
市内中心部カールスプラッツ駅は地下鉄でもターミナルのようなところで、大勢が降り、大勢が乗り込んできた。私はその次の
シュタットバルクで降りた。ふっと見ると、ブロンドの髪の毛でレザーコートの若い美しい女性が一緒に降り、公園に通ずる階段を
出るまで私のすぐ後ろを歩いてきたのでどぎまぎしたのだが、暗い公園を横切って広い通りの方へ消えていった。声を掛けられ
るのかもしれないと思ったが、やはり何もおきなかった。おきるはずも無くホッとした。
私は早速ベートーベン広場へ行き、ベートーベンの像と向かい合った。やや下向きの若い印象の姿は気高く、見あげるに十分
だった。像は暗い時に訪れても鑑賞するに十分な照明が施されていた。
ベートーベン像の背後はロートリンガー通りを隔ててコンツェルトハウスとインターコンチネンタルホテルであった。
これらの建物との間はロートリンガー通りであるが、この通りは北のドナウ川から南のシュルンベルンに向けて水を運ぶ「ウイー
ン川」を暗渠にした、ここからカールスプラッツまでの短い通りである。ロートリンガー通りを右へ進めばこちらへ来てから見慣れた
学友教会の建物があり、私もこの辺は音楽愛好家にとって眼に留めおかねばならない所と思い込んだのであった。
そして「ウイーン川」はこの先、つまり市立公園(スタッドパーク)内はその当時のままで、公園の中央を流れているのだった。
私は狭いヨハネス通りを横切り、森のように感じられるスタッドパークに入った。
暗い公園こそ、まだ人は誰もいなかった。ほぼ中央まで進みウイーン川に掛けられた橋を渡るとすぐ左手に明るく照らし出さ
れた場所があり、そこにはヨハンシュトラウスの像があった。白い大理石の彫刻環の中に金色に輝くバイオリンを手にしたシュ
トラウスがいた。像の周りはパンジーなどの花が植えられ、これもこの秋最後の手入れを終えたところだろう。冬に向かう季節
の曲でも奏でられていそうな感じがした。
雪で埋まる公園の様子を何かで見たことを思い出した。
右手にある池には噴水があって水音がしているのだが、静けさだけで何も無い中にその響きが何となく安心感をもたらしてく
れている様に思われた。池から少し離れた場所に、こちらは椅子に掛けたシューベルトの像が照らし出されていた。
この公園でもシーズン中は常に多様なコンサートが催されると聞く。音楽の都ウイーンならではの、そんなときに訪れることを
期待せざるを得ない心境になりつつ公園を離れた。3人の像に会って私の心はなんとか満たされた。
少し気温が下がった朝のようではあったが、寒さはそう気にはならなかった。
時間がまだ十分あったので、近くのヒルトンホテルの前からウィーンミッテ駅へ寄ってみることにした。
ヒルトン前の玄関は建物を含めた全面改築中で板囲いばかり、市内、国内への鉄道基点の駅であるから、通勤者の出入り
で混雑していた。コンコースの雰囲気を味わいたいと思っていたのだが、工事がそれを阻んだ。日本の駅同様程度の売店が、
あちこちに店開きして、そこで新聞を買ったりコーヒーを飲んだりする人の風景は国で見る風景とまったく同じだった。
空港の国内線へジョイントするターミナルがオーストリア航空によって開設されていた。国内各地への便はほぼ1時間に1本。
その日は混雑はしていない風に見えた。
外は明るくなってきた。リング通りの市電も頻繁に行き交うようになって来た。
私はリングを渡って、もう一度朝のステファン寺院を見に行くことにした。
駅の近くと異なって市内の小路はまだ静か、清掃作業などがあちこちで行われているが、ドイツ語がとても不自由なので、残
念ながらただ歩くだけで市井の人との気楽な会話はできない。
朝のシュテファン寺院は表情穏やかな印象を受けた。昨日、陽の高い空が明るい時間はその明るさが、外壁の経年による
黒ずんだ色を、凄みのように感じさせたが、
朝は全体像が柔らかな雰囲気になって屋根の縞模様も、ハプスブルグ家の紋章も綺麗に眼に写った。
狭い小路へ入りペーター教会を見た。内部の装飾の見事さが言われている小さな建物だが、正面から眺める後期バロック
は整って均整の取れた風格あるものである。
グラーベン通りのペスト柱を見た。17世紀後半ヨーロッパを襲ったペストの流行は殊に中欧地域に多くの犠牲者を出した。
その霊の諌めと、神への祈りを込めて各地に建設されたペストの碑を今回の旅ではすべての街で見た。
恐らく時のなせるいたずらのように広がり、手の施しようも無かったのかもしれない。人々はひたすら祈りを捧げ、時の過ぎ行
くのを待ったのであろうか。悲しい物語がいくつもあるように思う。
私はケルントナー通りからカールスプラッツへ向かい地下鉄でホテルへ戻った。
朝のステファン寺院 ペストの塔
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