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この旅のほとんどはハプスブルグ家繁栄の遺産である。
ローマをはじめて訪れたときから、私は長い長いローマの歴史に興味を持った。「ローマは1日にして成らず」と、その
その建国の歴史には、営々と積み上げられたものを見なければならない事が語られる。
しかし、あたかもシーザーによって開かれ、永遠の繁栄が約束されたごとき帝政ローマではあったが、地に足の着いた
栄華は4世紀に過ぎない。
仮にその時を帝国の頂点とするならば、以後17世紀に至り「ローマ帝国」の名が消え去るまでの間は、混乱と崩壊に
至る歴史と言わねばならない。
そしてさらに、シーザーの時代に至るまでのローマ国家建設の歴史とて、長いダイナミズムで、合わせて語られるべき
ものであろうと思う。
「ローマの歴史は世界史を語る時に、厳然として典型の地位を揺るがさない」という認識に立つ私は、その時代、帝国
の北の境界を、ライン川とドナウ川に求めて、属国の繁栄を守り続けるなかで、北方ゲルマニアと並ぶ重要基地であっ
たパンノニアと呼ばれる今回訪ねる地方は、アジアとの対峙も要求される過酷な戦闘基地であったのであることを思う。
ローマが統一政権を揺るがせて後も、名ばかりの東ローマ帝国、神聖ローマ帝国と続いたのであるが、12世紀、そ
こに登場するハプスブルグ家によって、この地にはやっと安定した国家の繁栄を見るのである。
――民の生活がより良いものになっていたかどうかは疑問ではある。が、ハプスブルグ家の繁栄は、時に遠くスペイ
ン、ポルトガルをも抱えた大帝国に発展し、近世の大戦まで続いたのであった。実に600年を超える長期に渡るもので
あれば、歴史的な意義は大きい。
それは美しい都であると聞いていた。
私は、ある程度の下調べもして、たった数日の旅ではあるが、そこそこ懐旧の日々を過ごせるように心がけた。
いつものように妻はなとその友人mさん、hさんがご一緒の旅になった。
旅立ちは11月4日、東京はよく晴れた暖かい日になった。
彼の地はもう冬支度でないと寒いだろうと、近畿日本ツーリストの添乗員の助言があったので降り立ってのことを思い、
上着を脱いで防寒コートを着たままオーストリア航空OS052便(成田発11:55)に乗り込んだ。
ANAと共同運航の中型ジェットは満席だった。オーストリア機は初めてだったが、やはり日本人のアテンダンスが乗り
込み、スマートな手当ては気持ちよかった。
日本との時差マイナス8時間、真っ白な雪の国シベリア上空も安定した飛行で12時間のフライトの予定が約40分早く、
同日15時過ぎにはウィーンに到着した。
空港は派手な国際色豊かな印象は無く落ち着いた雰囲気であった。ただ、通路を進むにつれて現れる案内やコマー
シャルの電光板が、ドイツ語と英語の文字を含めてカラフルに、いろいろな国内名所の風景を映し出して海外からの客
に歓迎の趣を与えている。
巨大な空港とはいえず、入国審査も極めて簡単で、団体だから特にという風でもなく、荷物受け取りもポーターがまと
めて通関を終えると言う略式だ。
私達のグループの一人はパスポートに押される筈の入国スタンプが押されてないと、(私も見せてもらったが確かに
押されてなかった)「確かにバン!と印をたたき押した音を聞いたのにないわ!」とミステリーを苦にしている人もいた
のである。
建物の外、向かい側に変わった形の管制塔が立ち、天辺でアンテナをぐるぐる回していた。
まだ残りの西陽が射していた。
空港を発ったバスは市内に向かう。
道路沿いの広葉樹はまだ葉を落としていないものが大半である。
「今年は10月の初めが寒かったので紅葉や落葉も早くなると予想されたが、この分だと例年通り11月の前半が紅
葉の美しい時になるらしい。」と、バスに乗り込んだ現地ガイドが話していた。私たちにはつきが回っていて良かった。
やがてドナウ川の運河に沿って走るようになると、右側には古くからハプスブルグ家の狩猟場とされている広大な緑
地帯が続いた。その周辺に立つのは白樺、楓、エンジュ、それにナラに似た木であった。
白樺はすでに葉を落としたようでボウとした枝を見せるばかりであったが、風に踊るような白樺ほどの大きさの薄緑
の葉を風に震わせながら、こんな晩秋に白い花をいっぱいに咲かせている木がたくさん立っていた。
その後も名が分からず帰国してしまったが、ウィーンの周辺だけで見た珍しい木の花であった。
橙や黄色、都へ向かう沿道に立つ木々の彩りは早速私達の目を楽しませてくれた。
市街地に近づいてきたバスは、とある交差点で左折して橋を越え、いわゆるリンクと言われる通りに入る。
旧い王城の時代にめぐらされた堀の跡に作られた通りだとガイドが語る。
ウィーンはリンクを走る市電がぐるりと周回していたが、11月からは往復方式に変わったそうだ。市内を歩くのに注
意が必要だ。
郵便局と合同庁舎の間を過ぎると、左に広いシュタッドパーク(市民公園)が続き、右にはシュテファン寺院の尖塔
が見えた。そしてオペラ座である。
ウィーンそのものへ来た感じがしてきた。
バスはウイーン川沿い、地下鉄のラインに沿って進み、シェルンブルンの少し手前にある私達の投宿先ホテルルネ
サンスへ着いた。このホテルにはこの日と、帰国前の2泊を過ごしたのであった。
まだ時間があるからと、グループの中の大勢は再び市内へ向かったが、私たち4人は飛行機旅の疲れを癒して明
日からに備えようと、近くのマーケットを散策したのみで、ホテルで夕食をして休むことにした。
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この旅の日程は次のようになっている。
11・ 4(火)成田発 11:55 OS052
ウィーン着 16:00(実着15:15)
泊 ルネサンス
11・ 5(水)ウィーン発 8:00
チェスキークルムロフへ 270Km
世界遺産 チェスキークルムロフ市内
チェスキークルムロフ発
プラハへ 178km
泊 ディプロマット
11・ 6(木) プラハ市内観光 世界遺産 プラハ市内
プラハ城、旧王宮
郷土料理とフォルクロアショウ
泊 ディプロマット
11・ 7(金)プラハ発 9:00
テルチへ 160km
世界遺産モラヴィアの真珠、テルチを散策
テルチ発
ブラチスラバへ 245km
ブラチスラバ市内観光 ブラチスラバ城
旧市街
泊 ホリデイイン
11・ 8(土)ブラチスラバ発 9:00
ブダペストへ 194Km
漁夫の砦
マチューシャ教会
くさり橋
聖イシュトバーン大聖堂
泊 ヌビウス ヘリア
11・ 9(日) 自由行動
旧王宮 国立博物館 (コンサート)
市内散策
ブダペスト発 17:10 国際列車
ウェーン西駅着20:09
泊 ルネサンス
11・10(月) ウェーン市内観光
世界遺産 シェーンブルン宮殿
ベルベデーレ宮殿
トラム
ケルントナー通り
シュテファン大寺院
カフェモーツアルト
ミヒャエラー宮(王宮)
オペラ座(バレー チャイコフスキーのオネーギー)
泊 ルネサンス
11・11(火) シェーンブルン宮殿庭園散策
ウィーン発 13:55 OS051
11・12(水)成田着 09:30 (実09:10)
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変わった形のウィーン空港の管制塔
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