BGM by ASSO 「虹の音色」
遥か彼方に見えてきたモンサンミシェル
8時モンサンミシェルへ向かう私たちのバスがトゥールのホテル「クオリティ
ー・ハーモニー」の前をスタートした。
天気は上々。初冬の青空が高かった。コートダジュール、ニースをからプロバ
ンス、リヨン、ロアール渓谷とすでに1000kmに及ぶバスの旅を経てきたの
である。殆どが平坦な地と川に沿った道で、山は遠山を眺める程度。フランスの
大地は本当に広々としている。
風変わりに映っていた松の木は、内陸に入ってから日本と同じ風情のものに
変わった。白樺、楓、ぶな、ポプラ、糸杉は南仏より少なくなっていたようである。
地図を広げて眼で追っていると、さすがルートを知り尽くしたジョージのバス
はラフレッチェ、ラヴァル、フジェールと一般道を真っ直ぐモンサンミシェルへ
進んでいる。ラフレッチ、ラヴァルあたりは多少の山間地でもあったが、いたる
ところにせせらぎが見え、フランスは水にも恵まれていることが良く分かった。
それだから、丘陵地、谷もあるが富沃な土地なのであろう。畑には黒土が見える。
やがて山地を過ぎて平坦地の畑と牧草地が延々と続く豊かな農業地帯に入る。
畑は、とうもろこし、ひまわり(枯れて立ってるものが多い)そして牧場には
白い牛、羊の群れを見た。
バスの中に歓声が上がったのは、その延々と続く畑の彼方海の方にモンサンミ
シェルの影を発見したときだった。まだ遥か彼方のそれはとても小さな三角だっ
たが確かにガイドブックで見る世界遺産モンサンミシェルの姿だった。
私たちはモンサンミシェル近くのドライブイン式のレストラン「LA
BERGERIE」
でゆっくりとその姿を眺めつつ昼食をとってから見学に向かうことにした。当に
見ての通り、モンサンミシェルは島の天辺にミカエルノ塔が聳えているから、そ
こまで行列で登っていくのである。先ずは腹ごしらえが理にかなった手順ではあ
る。と、仲間のうちには唱える輩もいたが‐‐‐。
景色が素晴らしい。レストランでゆっくりできてよかった。
フランス風オムレツと、やはり食後に甘いケーキが出た。この旅ではどこでも
大抵食後に甘いケーキが出る。これが続くと少し参った感じにはなるのだったが、
コーヒーを飲むときは丁度相性があって良かったと思う。
モン・サンミシェルには絵画的ドラマチックなイメージも備わっているようだ。
平原をやっと海にたどりつく。海は入り江の奥まったところにあり、その波静
かな沖合いに続く砂の道を辿った先に、高く聳えるような不思議な島を見る感じ
だ。
海に近い広大な草原に放たれて、そのモン・サンミシェルを背景に、一心に草
を食みつつ羊の群れが遊んでいる写真がガイドブックにあった。
実に神秘的な風景だと惹かれた。
ノルマンディー。田舎だから静かで、田舎だから羊が遊べる。
海を見た旅人は、ひと筋の、それも引き潮の時にしか現れない砂の道を伝って
海を渡り、俗世を離れたのであろうか。もとはケルト人の信仰する聖地「モン・
トンブ(墓の山)」であったそうである。
対岸アヴェランシュの街に在ったオーベル司教は、ここに聖地を築くことを大
天使ミカエルに命ぜられたといわれる。以来天に近い岩山の頂に聖堂が造られて
300年、修道院聖堂として大造営され、大きな変貌の歴史が始まる。
英仏100年戦争では要塞となりつつも16世紀には再び修道院を復活した。
また、混乱期フランス革命時には「海のバスチューユ」と呼ばれる牢獄として恐
れられた場所でもあったそうである。
再々修道士が戻ったのは1966年。紆余曲折した歴史を伴って多様な建築様
式が器用に同居した修道院と、そこに必然性を持って生まれた街の集合体という
驚異の縮図を持つ世界遺産として、今は全世界の人々の注目を浴びているのであ
る。現在数名の修道士が在住し、修道女が近隣の町から通うと聞いた。
サン・マロ湾の潮の満ち干は15mの高さに及ぶそうだ。1877年に本土か
らの道路が造られ、19世紀には鉄道も敷設されたことがあると言う。島と内陸
の往来は容易になったのだが反面、道路の影響で島の周囲まで潮が来る事は無く
なり、海に浮かぶモン・サンミシェルの聖地風景は大きく変わってしまったと聞
く。上空からの写真を見ると白い砂に囲まれた島の様子が映し出されている。
その道路を渡って白い砂浜にある入り口近くの駐車場に降りた。海中の駐車場
と言った感じ。午後になるとパリあたりからも日帰りツアーのバスが到着するの
で私たちもその混雑を避け、早めの昼をとって駆けつけたと添乗員田川さんの言
だった。
三角山のような島が目の前にそそり立っている。この奇観が世界の人々の目を
惹きつけているのである。
城門のような石造りの狭い入り口から中に入るとグランド・リュウという広め
のゆるい上り坂にホテルや土産物店がひしめくように並んでいた。しばらく進む
と九十九折の道を折れて狭い坂道に入る。小高いところにサン・ピエール教会が
あり入り口にジャンヌ・ダルクの像が立っていた。戦いの天使ミカエルがジャン
ヌ・ダルクの前ににも現れたという当然のごとくのストーリーが打ち立てられた
としても不思議はない。それにあやかって英仏戦争時の激戦となったノルマンデ
ィーはこの島が要塞と化したのかも知れない。島の周囲には城壁と監視塔が8つ
も設けられ、望楼もあって歴史跡を残しているのだった。
石畳の道を折れ、一段と高い横の通りに沿って行くとやはり石造りの学校に使
われた建物があった。私は修道に勤しむ信者たちにとって、或いは門前に軒を連
ねる人々も、子弟に対する教育愛は等しく及んでいた人の生活の証を見たような
気がして気が和んだ。
○
ミシェル=ミカエルは剣と秤を持った天使。悪魔の象徴である竜と戦い、それ
を打ち倒す天使の軍団長で、ローマの時代から民を平穏に導くとして崇拝された。
宗教も常に戦いの中にある、と言って過言ではない。当時のミカエル崇拝は、
結局カトリックにとってプロテスタントとの対抗が信仰を高めるモチベーション
であったに他ならないからである。
山頂の修道院付属教会は荘厳である。
幾多の歴史がもたらした使用目的の変遷からなる跡形もあったが、孤島の山頂
という狭隘なロケーションによる俗界乖離の雰囲気は、信仰への帰趨を一段と強
めたに違いない。
岩山のうえにやっと築かれたであろう、なかでもマルティヌス礼拝堂の高さ9
メートルの円天井から落ち来る自然光の明るさが、総じて暗い修道院の中にかけ
がえのない恵みを感じさせる見事な構図であったと思う。
そして西のテラスから、見渡す遥かな海、見上げる天を目指す尖塔のミカエル
像を印象深い思い出とすることができた。
入場門から尖塔を見上げる 教会のテラスから内陸の眺める
風次郎
『風次郎の世界旅』 トップページへ
フランスからパリ2007秋No10へ
風次郎の『八ヶ岳山麓通信』へ
風次郎の『TOKYO JOY LIFE』へ