BGM by ASSO 「虹の音色」
車窓から牧場を眺める
ローヌ川沿いをバスが走る。
朝の街を初冬の冷えた空気が包み、キラリと朝陽が射し込む。川霧が水面に立
ち上り、流れる水の青さを深く際立てている。
フルビエールの丘が見えた。
まだリヨンはもっと見たい気がした。
そんなとき、「また来よう。まだ物足りない。」と思うのだが、本当にいつ来れる
のか――。
ジョージのバスはブールジュへ向かう。
途中ドライブインでの休憩が一度あったのみで、午前中はずっとバスの中だっ
た。明るいローヌアルプの道を遠山と田園を眺めながらひたすら進んだ。このあ
たりの畑は、前にバスで走り抜けたイベリアで見たように石ころや岩のかけらが
多い。土質は赤土。だから牧草地としているのだろう。
窓辺にあらわれる牧場には、冬に向かう季節を惜しむように牧草を食む牛や羊
たちの姿をたくさん見た。
ブールジュの街の中にバスが入った頃は空が曇ってきた。
紅葉の秋ももう少しで終えそうな季節、それでも窓に映る木々は残りの秋の美
しさを精一杯見せようと、曇り空の下で濃い赤や黄色を散りばめあっている感じ
だ。
ブールジュは、ガリア制覇に生涯の命運をかけたシーザーが、そのガリアで最
も美しく強い町と讃えた街である。その後、フランス中心部シェル県の首都さえ
置かれた中心地。古くから運河を使っての穀物、家禽、葡萄酒の集散地として栄
えた。
思いのほか静かな町と感じたのは、私たちが豊かな農耕地の風景の広がる街
道筋から近道で居住区へ入っていったからかもしれない。
昼食をするレストラン「LE COLBET」は町の中ほどに位置する住宅地の交差
点角にあった。店の前に庭のある洒落た2階建てで、座った2階の窓からはその
庭が良く見えた。天気の良い日にはパラソルを拡げて屋外の食事が楽しむ
に充分であろうスペースが見下ろせ、さらに道路に沿って並ぶ家々の街並みが見
渡せた。
どうしてなのかは確かめなかったが、ここは鰊の魚料理が得意とのことで、切
り身の鰊を皆で食べた。
私は早めに食事を終え、はなと彼女の友達を置いてしばらく住宅街を眺めて歩
いた。本当は市街地を見たかったのだが、近くではないようだったから。
交差点を挟んで眺めるレストランCOLBETのかたちもそれなりに良かったが、
歩いた住宅街の一画は比較的裕福な世帯の並びらしく整い、各戸が個性を見
せていた。門構えをしっかりと設えた家が多かった。
庭の手入れが行き届き、花をたくさん植え込んでいる家、芝生でさっぱりとし
た美観を楽しんでいる家、形も大きさも整い、グレーの屋根、オレンジ色の煙突
で統一され、街区一帯がバランスの取れた家並みを作る美しさに魅せられるので
あった。
また家族の中にバスケットボールの選手でもいるのか、庭にゴールの設備を立
てている家などもあって、どこの国でも一般の民家はそれぞれの雰囲気を滲ませ
るものだ。ただここはフランス、日本のように庭木を丁寧に手入れしたり、さす
がに剪定している様子は無かった。木々は自然に伸びたままのようであった。
芝が何故藪にならないのだろう。各戸の整った芝は綺麗な住宅の並ぶ街の豊
かさを感じさせる。
ブールジュ大聖堂に入る
ブールジュでは世界遺産の「大聖堂」を観る事になっていた。
ヨーロッパでは、往々にしてどこの町を訪ねても、その町の歴史を物語るシン
ボリックな保存建物があって、そういった場所を中心に訪れる人々の趣向が喚起
されるのであろうか。建物は歴史を紐解く為の端緒としての役割を果たし、また
今に生きる人々に未来を探るきっかけを提供する場所でもあろう。
食事を終えて世界遺産ブールジュ大聖堂「サンテティエンヌ寺院」を見に行った。
バスは広い寺院の裏手にある公園の脇に着き、私たちは公園の入り口から入っ
ていった。そこから眺めが一番見栄えのするところだという。丁度パリのノート
ルダムの裏手のイメージに似ていた。どこも聖母マリア(ノートルダム)を崇め
る建前からイメージは似た設計になるのではあろう。
聖堂を横から眺めつつ公園を進み、文化財貯蔵館を通り抜けて聖堂の正面に出
た。正面から見上げる聖堂は、暦年の重みも厳かに入り口の石段の上にそそり立
っている感じだ。
そこから見ると、やはりどこかパリのノートルダムとは異なっている。
この聖堂は3世紀ごろ小さな教会堂として建立されたのであるが、11世紀に
ロマネスク様式の大聖堂に再建されている。そして12世紀にはゴシック様式に
改葬され、さらにルネッサンス時代にステンドグラスなどの内装様式が交じり合
っているといったユニークなものである。
中に入っていく。ステンドグラスの写真を撮る。
長年かかって造られた聖堂の年代ごとのステンドグラスが珍しい。
私はドアや壁に痛々しい修理痕の残るのを見て、それがとても貴重なものに感
じた。
ガイドの田川さんに聞くと、そのままなのは寄付が集まらず、修復が間に合わ
ないのだそうだ。一層の哀れみを思いつつ何度も見上げて礼拝を捧げた。
そしてトイレが40セントの有料だったことが何となく、寺院の維持の厳しさ
を感じさせるものだった。
シャンポール城3階のテラスから
ブールジュ大聖堂から1時間ほど走ってシャンポールの城を見に行った。街道
筋にはベンツの工場を幾つか見た。
城は広い平地の真ん中に立つといった印象であったが、空は冬空のように厚い
雲に覆われて寒々とした感じになってきていた。
パリから南寄りの、イル・ド・フランスそしてロワール渓谷に至る一帯は美し
い自然の中に時代の英雄たちが、そして中世は富豪たちが後楽を求めたリゾート
のようである。
訪ねた世界遺産シャンポール城も、狩猟と女性とイタリアの芸術に心を寄せた
フランソワ1世の狩猟館を増改築したものとのことである。改築は王の死後も続
けられ100年の歳月を要して完成したものだとの曰くつき。この辺がフランス
人の心の内にある羨望のルーツとでも言えようか。
さすがにその大きさといえ、美しさも共に豪勢であった。城内の2重螺旋階段
を、上る人と下る人がすれ違わない設計が大事な見所との事であった。
高い塔の見晴らしの良い場所にあるフランソワ王の寝室は1547年当時を再
現して装飾されており、言わずもがな王の味わう雰囲気を感じた。
3階にあたるテラスで、暫し写真や動画を撮って風景を楽しんだ。広く続く野
山が見渡せ、装飾に施された城の掘の水の静けさに心を奪われる思いであった。
城門に続く遥かな白い道が長く見えている。曇り空のもとではやはり寒さが加わ
ってきた。冬そのものの感である。
城門出口の行列のような観光客の賑わいの中で、ピレネー山麓の町BALMA
から来たという男性から英語で声を掛けられた。
化粧品の店を持っており、資生堂を扱っているので日本人と親しく話したかっ
たということだ。成る程化粧品屋さんを思わせるハンサムな男で、私も東京の様
子などしばらく話し名刺をもらった。
さすがに日本語を解するようではなかったが、家族旅行の最中らしく子供たち
が纏わり付いて楽しく言葉を交わしたり楽しかった。
ロワールには、シャンポールだけでなく過っての富豪が築いた城が数多くある。
徴税官ベルトロのアゼー・ル・リドー城、財政出納官ボイエのシュノンソー城、
地方総官ユローのシュベルニー城等々、城めぐりも楽しそうだ。
夕闇の訪れる前にバスに戻り宿泊地トゥールに向かう。
風次郎
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