風次郎の世界旅
   南フランスからパリ2007秋
   
   

                                                    BGM by ASSO 「虹の音色」



ゴッホが入院し絵にも描いた療養所(アルル) 

          3.プロバンス・画家たちの世界で

       すばらしい大地の拡がりを見た。
       農業を誇りにするだけの恵まれた大地があることを知った。
       フランスが農業国であることは良く知られているが、それは作物に適した、恵まれた広い土地があるからに
      相違ない、と思った。

       ニース、モナコといったコート・ダ・ジュールの豪華な国際リゾートからマルセーユを割愛して内陸へ向かい、
      バスに揺られて広々と全く自然に浸ったままの田園風景の中をアルルへ。そしてリヨン、トゥールと旅を続けて
      いく。
 
       大きな山塊は東南に位置するアルプス、南西のピレネー、セウジンタのみである。
      トゥールからルマンを経てアルモリカン山地を越えたが、これとて嶮しさを語るには足らぬものであった。と言う
      ことは55万キロu、日本に倍する水にも恵まれた耕地をいただいた広い国であることに由来するのであろう。
 
       先ずそこには、夏の炎々たる麦畑を想像しうる田園があり、セザンヌが好んだ山々が彼方に続いていた。
 
       バスは只管街道を走る。
       車窓から見る畑は、私たちが見慣れた黒土に近い。
       以前、イベリア半島をスペインからポルトガルにかけてバスで走ったときには、その土地の平原起伏に、石灰
      岩の多い風景を見続け、イベリアの耕作が、いかに困難性をおびているのかを痛切に感じたものである。
       同じ地中海に接して、フランスの平原は、そのうねりの表面が柔らかくて農業への適性を感じさせられるもの
      だ。それは平原を潤す水がもたらすものであろうか。
       すでに11月の農地は収穫を終わり、刈り残されたトウモロコシの立つ風景をそこここに見るのであった。しか
      し、牧草地はまだ青々として、群がる家畜たちの姿が長閑に、これまた豊かな餌草を食む風景である。
       牛は白いものが多い。ひつじは数十等の群れとなって動いているようだ。
       それぞれ家族のような10数頭がかたまりをつくっているようにも見えた。

       どうしてこんなに明るいのだろう。
       窓外の景色がまばゆく走っている。
       そのはるか彼方にセザンヌの好んだサント・ヴィクトワール山が、横長に峰の軽い起伏を連ねている。
       近くの紅葉の木々と、中景の農牧地を越えた先のあの山こそ、セザンヌが少年時代にいつも眺めて過ごし、
      何回も絵にした山である。
       今も変わらないそれは、車窓ではあるが、確かなセザンヌと共有するモチーフの連続であった。
       私たちの乗ったバスはアルルの町に近づくと、田園の中に少しはいり、人々のかたまりが集散する姿を見て
      止った。
       バスが止ると、視界には次の見慣れたモチーフが現れた。
       そこはそれこそ、もはやゴッホの世界であった。
       今までセザンヌの世界を映し出していた眩い午後の光は、今、キャンパスを変えていた。
       古めかしい、一見何とも変妙な道板が跳ね上がったままの橋が見える。
       バスを降りた私たちは、その袂に散って、偉大な作家がそう感じたであろうかと、その不思議な橋の形は確
      かに彼の絵のものだと、自分の目で確かめるのであった。

       「川の水がきれいだ」と私は思った。
       橋を抜けて、広い農場へ向かっている水路は今日の青空を写した清い水であるべきは当たり前のことであ
      ったが、このモチーフはひとつの観光資源化されたものであろう。(事実、複製の移設である)だから、人里離
      れた場所にあることを喜びつつも、又 何処でも出合う街なかの汚水の感があるかも知れないとの懸念が払
      拭されたことを嬉しく思った。
       紅葉の季節の真っ只中、というのも観賞の好機ではあったが、まだ土手の緑も残り、加えてたまたまその
      日には、晴れた陽の下に地域特有のアルプスから寄せるミストラルが帽子を飛ばすほど時々吹き付けてくる
      といった状況設定のなかに立つことになり、作品の中に立つ自分を観る思いが、時を引きづった。

       ゴッホの絵はアルルの街に入ってからも場面を変えて現れ続けた。
       その1枚は精神の病をいたわって4ヶ月を過ごしたという療養所。そしてもう1枚は夜のカフェが描かれた広
      場であった。

       その後変わってしまったのか、それとも当時もこんな洒落た店舗が並んでいたのか、ほぼ街の中心の地域
      にその療養所はあった。
       私はその庭に立って、ゴッホがゴーギャンを迎えたことを思い浮かべた。あれはたしか、ゴーギャンがゴッホ
      と共に過ごしたアトリエを離れ、タヒチへ向かう前の頃であった筈だ。彼らがこの地に遊び、互いに共鳴しあっ
      たものが、この「明るさ」だったことがおおよそ分かる。
       そして、次の人生の一こまでは、その一人ゴーギャンは自分に与えられた健康という土台の上にタヒチの生
      活を組上げる。
       一方のゴッホは、健康が生活のうえに立ちはだかることになってしまったように思う。
       ゴッホと弟テオの兄弟愛を超えるほどの親密な手紙のやり取りが、この頃から頻度を増し、兄弟は兄の精神
      的な混迷と戦いながら生きることが始まっていた。しかし、美の追求に生きていくということで、ゴッホは弟の支
      えを得ながら、絵画への直向な視線をそらさず前へ前へと進んだのであった。
       それが彼の没後、認められることとなった生きざまの結果なのであろう。恵まれた自然環境や、血のつながっ
      た弟の愛情はゴッホのうちに閉ざされた病を排除は出来なかったのではあるが、恵まれた才能は世に出て生
      き続けているのである。
       病からくる強烈性が美の中に力を与えられたという人もいる。そうかもしれないが、しかし、であっても良いの
      だ。人間は与えられた条件をこよなく活かしてこそ生きる価値を創造できるものだからである。 

       それにしてもこの『明るさ』に惹かれたゴッホが何故ゆえに精神のかく乱にいたる人生を歩むことになったの
      か、今理解に苦しむ。
       ただ単に周囲の(最も身近に手厚く接した弟テオを中心に)配慮や勧めとは考え難い。絵画への情熱と直入
      の精神がそこへ導いたとすれば、 それは神のいたずらであったのかもしれない。
       一方でゴッホとの共同生活を見限ったゴーギャンの志すものは、さらに明るい太陽の下を求めて新境地を開
      き、タヒチでの作品に恵まれたのである。
       が、双方の生活心情の開きは双方の運命の開きといえるほど異なっている。
       幸いなるかな後世、両者の遺した作品は等しく輝いているのだ。

       両雄がこの地に遊んだのは1888年であるが、反対にこの地に生まれ育ってパリへ動いたのはセザンヌで
      ある。セザンヌの方がゴーギャンよりも9歳、ゴッホより14歳の年長であり接点はなかったようだ。同じ絵画の
      世界へ進んだ者の人生と言へ、セザンヌは幼い頃から音楽や詩作の世界を経て芸術を手がけた人なのに、
      若い時代、絵はほんの脇の趣味でしかなかったようである。 
       おそらく、私たちがコート・ダ・ジュールからアルルへ向かう街道で眺めつづけたサント・ヴィクトワール山を眺
      め詩や音楽に没頭したのであろう、40歳を過ぎてから絵画に方向転換している。そのサント・ヴィクトワール
      山を晩年になって随分と描いたらしい。
       ゴーギャンやゴッホがプロバンスに共同生活を始めたのも同じ年恰好の頃だからその年頃といえば、人生ひ
      とつの転機になる。日本でも厄年などと言うし、40歳始めは生きざまの方向がはっきりして見境を言われる年
      代である。
       セザンヌは1880年パリに出た。
       この山々を背景にしたモチーフや発想を離れて、印象派のグループの中に入り客観的描写から次第に主観
      的表現に移る気運の生じた時代に独創性を提供するのである。 

       アルルの町にはゴッホの精神を癒すための療養生活をおくった建物も、描かれた庭もそのままの姿が残って
      いた。
       少し荒れてはいるが、それが又懐かしさを漂わせる。そして夜のカフェーを描いた場所もそのままであった。そ
      こは、描かれた風情に似せて少し壁の色をなおしたとのことである。
       いずれにせよ、アルルの田舎であればこその風景を堪能するに事欠かない楽しいひと時であった。夕闇迫る
      アルルの街で、吹きぬける冷たいミストラルを味わったことも季節の贈り物と思う。
       アルル市庁舎の近い、小さなレストランで夕食を済ませ、私たちはアヴィニョンまで歩を進めて、郊外にあるホ
      テルに入った。

                                                                    風次郎     


セザンヌが数十枚も描いたサント・ヴィクトワール山(プロバンス)

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