BGM by ASSO 「虹の音色」
モナコの港展望台からは海沿いの通りと岸壁を使って
行われる「モナコグランプリ」のコースが見える
朝食後のひととき、HOTEL APOGIA5階の部屋で過ごす。朝のスタートが遅いととてもゆったりした
気分になる。東向きのベランダに朝陽が射し込んでいた。
あたりはそれほど高い建物が無い地域で、向かい側は窓に飾りをつけ、手摺を施した洒落たアパート
のようだ。
ベランダに出て眺めると、1階はグロッサリーになっていて、もう開いている店には私たちのグループ
の人たちも出入りしているのが見えた。
壁を照らす朝日が眩しく光っていた。西洋瓦で葺かれたその建物の向こうに山が見えた。
その向こうがモナコだ。
今日はそこをたずねるのである。
○
バスはニース港の脇から突き出した岬のような山に向かって坂を登って行った。 山の上は中世民族
の対立で築かれた要塞の村「エズ」とのことであった。
ロシェ=岩山というホテルになっている元要塞は、今観光施設として常に補修されてきれいに保たれて
いるのだそうである。出張った岩場の上だからニース、モナコを見渡すのは絶好のポジションであろう。
山を越えると道路端に磨かれた白い石柱が立っていて、ガイドがモナコと隣国の道路国境だと紹介した。
そのあたりから激しくカーブした下り坂となり、一旦海の近くまで下ったが、バスは再び丘を登ってモナコ
大公宮殿の近くに止まった。
地中海はどこからも良く見えた。
モナコは日本の皇居の2倍の広さの小さな国である。山が削り取られたように海に続く海岸の町といった
狭いところにあった。
その狭い街に出入りする道路は何れも石灰岩の崖を刳り貫くようにして作られているのだから、私などは、
崖崩れの心配はどうなんだろうと考えてしまうのだが、あまり聞いてはいない。お金持ちの国だから税、施
設、セキュリティーには充分の手当てがなされるらしい。
しかし、その坂に建設された急カーブの多い道路での事故はあるようで、中でも世界を風靡し、「女優か
らの転身」で時の話題を賑わしたグレイス、ケリー王妃も交通事故で亡くなったことは知られている。乗っ
ていた車がヘアピンカーブを曲がりきれなかったのが原因であった。
この国は車といえば街中の一般道路で行われるカーレース「モンテカルロ、グランプリ」があって、毎年
5月に世界中から注目を浴びているのである。展望台からそのコースをしっかり見た。
現役の頃自動車業界を担当していた関係で、おのずとその方面に関心が高く、又その頃は若さも残っ
ていたから、カースポーツの話など業界の面々と語ることは多かった。私の担当した時代は1980〜95
年に至る日本のモーターリゼーションがピークに上り詰める時代で、国内保有者数は7000万台を達成し、
国内販売年間700万台を超える勢いだったし、米ビッグ3を凌駕して欧州にも日本車がどんどん進出して
いった頃である。
海外に先鞭をつけた本田は勿論、トヨタ、日産も独自に海外に進出をはかり、三菱はクライスラー、マツ
ダはフォード、いすゞがGMと組んで日本の自動車業界がグローバリゼーションの第1歩を踏み込んだ時
代であった。
各メーカーは海外売り込みに欠かせない自社ブランドの名声を高める為に、ル・マン、モンテカルロとい
ったヨーロッパのレ−スや、サファリなどワイルドな有名レースに勝つことに鎬を削っていたのである。
モンテカルロもテレビではそのレースの模様をよく見た。何よりも街中の曲がりの多いコースを70余周
走るのだからスリル満点。時には観客も巻き込んで事故を起こしたりもするのだからまあ陽性の行事で
はある。
大公公邸の脇にある展望台からはこのコース全貌が眺められた。目の当たりにすると、再び来年5月
が待ちどうしい気持ちにもなった。テレビでここを思い出しながら観戦しようと思う。
グランプリのコースは港を取り巻くように対岸のモンテカルロ地区まで延びており、そちらも建物群が沢
山建っていた。有名なギャンブルの街であろう。
宮殿は丘というよりはあえて岩山の頂上といいたい気のする処だった。建物はさまざまな装飾彫刻が施
されて美しかった。加えてさらに眺望が素晴らしい。王様が見て暮らす美しい湾を囲む国の姿を眼下に一
望できるのだからたまらない。
市民観光客を招いてコンサートが行われるという中世に造られた大理石の階段のある中庭が広々として
いた。
王宮の警備はフランスとの契約でフランス人があたっているそうだ。ゲートに立つ征服の守衛に記念撮
影を申し込んだが断られてしまった。
駐車場の近くにあった学校だという建物の壁を、まだ花をつけているブーゲンビリアが一面に飾っており、
街中には他にも、イチジク、プラタナス、マロニエ、オレンジの木、松、糸杉などが生き生きと生息していた。
名残の秋の風情であった。
○
モナコの街を離れ再びニースへ戻った。
プロムナード・デザングレにつづくアルベール1世庭園から小路を少し入ったところの「LA CASUBA」
というレストランでの昼食になった。
格子縞のシャツを着た親父さん風のボスと、息子らしい若いアンちゃん、それにもう一人のウェイター、
男ばかりのスタッフが活発な対応をしてくれた。
ビーフがメインであったが、見えるところで親父が焼いて出してくれたデザートの自家製のケーキが美
味かった。野菜も沢山出てきて私は助かったが、コーヒーはとても濃くて合わなかった。一般的にヨーロ
ッパのコーヒーは濃いように思う。それに店によって随分度合いも違うし、日本の方がコーヒーは繊細だ
しマイルドだと思うが、どうだろうか。
店を出た小路の角にドラックストアー(薬屋さん)があった。緊急に薬が必要な人にもわかり易いように、
法の決まりがあり昼間でも緑の十字ネオンをチカチカさせているのだと添乗員の田上さんが教えてくれた。
田上さんは処理がテキパキしていてとても気持ちよかった。ツアー旅行は添乗員で9割方良し悪しが決
まってしまうとよく言われるが、現地観光が始まって半日もすると、自分との相性やフィーリングも分かるよ
うになる。良かった。
参加メンバーはこの旅で始めて共にする昼食会で交わす言葉に沸いた。
やはり旅は道連れである。グループ仲間とも次第に打ち解けてきて、ホッとした気持ちになりながら、海
沿いの観光道路をバスに揺られた。
バスはもはや、次の目的地アルルへ向かう。
風次郎
モナコ大公宮殿
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