BGM by ASSO 「虹の音色」
ホテルの隣、ヴェルシー・ビラージュ
やっとヨーロッパ時間に体が慣れる頃には帰国しなければならないのである。
5時前に床を離れ、PCのメールチェックを済ませた。
いつもの通りフロントに降りて周囲を眺めると、やはりパリは都会だ。もはや
ビジネスマンらしい人や航空関係で働く人々だろう姿がそこここに出発を構えて
いた。私はふらりとドアの外に出て、今日はセーヌの上流へ行って見ようかと踏
み出す。
博覧会ビルの方に足を向けるると、それはセーヌ川側の端から150mはある
細長い高層近代建築であった。新たに開発を進めている地域にありがちな現象と
言おうか、ここも催事の無いときはガランとしているようだ。2〜3のオフィス
には夜警の雰囲気があったが、もったいないほど空いているスペースが見られた。
いずれここもショッパーズが占拠することになるだろう。
セーヌ川堤防に沿ったサイクリングロードを上流に歩いていくとパリ外環道路
の下に入ってしまったので、階段を見つけてセーヌ川を跨ぐナショナル橋に上が
った。そこからは新しく開通したハイウェイが良く見えた。
パリは古い外環道路沿ってさらにもう一本並行させてハイウェイ外環道路を建
設したのだ。早朝から両道とも激しく車が走っている様子である。
パリの現市長(ベルトラン・トラノエ)は市内を走る自動車の数を減らす運動
を強力に進め、効果を上げていると言われるが、この大胆なハイウェイも氏の関
与したものであろうか?いずれにしても早いその完成に驚く。
ただベルトラン・トラノエ市長は少し風変わりな人のようで、自ら堂々とゲイ
を名乗り、催事にも積極的に参加するらしい。ゲイとは直接関係無いが、自然愛
好家で、セーヌ川に砂浜を造ったり、自転車を奨励してセーヌ河畔サイクルロー
ドを完成させたのも氏だ。この前来た時は、ベルシーよりさらに東、環状線に沿
ったメルキュールホテルに泊まったので、朝ナッション、バスチューユと走って
シテ島まで行き、その帰りにサイクルロードを走ってのランニングを楽しんだの
であった。
また、ベルシーのちょうど対岸がミッテラン国立図書館であるが、その図書館
の広場からセーヌ河畔公園までの土手すべてが、ボートレースでも観戦するスタ
ンドのように、100mを超える横線を描いた段々になっていた。これも同市長
の主張で造られたものだとのことなので橋を渡って見に行った。それはすべて木
造でどこにでも腰掛けてセーヌを眺める為のものらしい。さらにそのスタンドか
ら対岸のベルシー公園に向けて、日本にある岩国の錦帯橋を思わせる、交差する
半円を2回描いて両岸を結ぶ木造の橋が架かっているのは奇抜とも見える。それ
も自然回帰の政策がなせる業であるらしい。
私はその橋を渡りきって、まだ盛んな公園の紅葉を眺め散策を終えた。
8時30分、素晴らしい天気に恵まれて、爽やかな晩秋のパリを後にする。
ジョージのバスはセーヌの辺を左に折れて、ハイウェイをドゴール国際空港に
向かった。最後のコース、朝の最終バスツアーは物静かで旅の終わりのホッとし
た空気が漂っていた。
ドゴールからはブリティッシュ・エアーでロンドン経由、一路成田へ戻ること
になっていた。ドゴール空港のロビーで自分達の旅行ケースをジョージから受け
取ると、やっと「さあ帰国だ」という気持ちに切り替わる。メンバーの多くは優
しく頼りになった運転手ジョージとハングして別れを惜しむ者も多かった。
アクシデントは手を振ってジョージと別れた後に起こった。
BAのカウンターに着くや、私たちの乗る機がヒースローから来ていないこと
を知らされたのである。
ロンドンが霧のため朝の出発が出来ず、こちらへの到着時間も不明とのことで
ある。10時40分だった。乗り継ぎでロンドンを発つ予定は14時35分だか
らこれからヒースローから飛んできたとしても間に合いそうもない。例えばユー
ロスターを使ってのロンドン行きも不確か極まりない。
添乗員の田川さんは成田直行便の確保に翻弄を開始していた。
私たちはロビーの椅子に結果を待った。運悪くメンバーの内には国元に不幸の
出来た人の組があり、その人たちはすぐに全日空便の席の確保に走った。
1時間の経過の後、結局直行便は手当てできず、ロンドンからのBAも今日は
欠航とのことがはっきりして、私たちは明日のBAを待つしかな手のないことに
なった。幸いにして全日空便の確保が出来た2人は帰国を急いだ。田川さんは私
たちを離れ、今夜のホテルの手配を続けなければならない。
ツアーのメンバーはみな諦めて、近くのカフェに散らばり、昼食を済ませるこ
とにした。はなの友人2人は東京へ連絡の電話を掛けた。2人は家族への手当て
に気遣いのようで、時差を読みながらまだ夜の明けぬ自宅へTELを急いでいた。
私もはなも幸いにして仕事など他人への関係も気遣いもなく、家への連絡もホ
テルに入ってからで良いと決めてかかっていた。意外と気楽に構えられた。
メンバーの大半にも帰国が延期されたことでの悲壮感はなかった。事故などの
不幸なことが原因でなかったこともあろう。むしろ天気も良いのだし、1日パリ
滞在が延びたのどと思えば、良しと受け止め、私は保険をしっかり掛けてきたの
を確かめ、手当てに心配のないことで安心して、最早内心今夜もパリ市内へ出か
けることを目論んでいた。
食後、田川さんから空港隣接のIbis Hotelに空きがあり全員の予約が出来たと
連絡があった。
私達はすぐに集合してシャトルでターミナルUに向かい、駅に隣接のホテルにチ
ェックインした。
風次郎
やっと延泊のホテルが確保できた。
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