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風次郎のColumn『東京楽歩』  
  (No360T−83)

                                            長崎鼻からの開聞岳                                                                                                 

                                                                                   2014年6月
          東東京楽歩(No83)

          南九州を巡る旅(8)長崎鼻・知覧・仙嚴園
              
                                    旅程3日目も天候には恵まれた。梅雨に入っていたので鬱陶しい天候に煩わされるこ
                                  とを覚悟して来たものにとっては幸運だった。バスに乗っているツアー仲間たちの顔も
                                  晴々と明るかった。ホテルを出たバスは南海上から差し込む朝陽を眩しく受け止めなが
                                  ら長崎鼻岬へ向かった。
  
                                   長崎鼻(ながさきばな)は、薩摩半島の最南端にある岬。指宿市に位置し、指宿カル
                                  デラの外輪山の一角であることから一帯は火山岩の岩場である。
                                  「鼻」と付いた地名の如く、岬の基部が末広がりになった三角形状の地形の先端に、マ
                                  スコットの様な可愛らしい灯台が立っていた。
                                   バスが止まった土産物店が並ぶ駐車場の先に、子供のころ馴染んだ「浦島太郎伝説」
                                  の伝わる竜宮神社が鎮座しているが、その謂れは、この岬一帯が亀の産卵地として保護さ
                                  れていることかららしい。南九州は他にも亀の産卵地として名高い場所が幾つかある。
                                   亀はこの辺りで生まれ、世界の海へ旅立つのであろう。

                                   九州南端は「開聞岳」(かいもんだけ)が有名である。長崎鼻からはすぐ西方に、海
                                  越しにそびえる開聞岳を眺める好所であると聞かされた。岬から目前の海の向こうに、
                                  妨げる障害物が何もなく立ち上がる山容は実に清々しい眺めであった。
                                   殊に、海に突き出た灯台のある場所に至る小径は、花咲く緑に囲まれた恰好な遊歩道
                                  であった。当に、こここそ開聞岳を眺めるに絶好の場所であった。ましてその日の、す
                                  っきりと晴れ渡った青空のなかに、端正に浮かんでいる開聞岳の、その姿は美しい。
                                   開聞岳は、薩摩半島の南端に位置する標高924mの南薩火山群に属する成層火山で
                                  ある。1964年(昭和39年)霧島屋久国立公園に指定されており、また、日本百名
                                  山、新日本百名山及び九州百名山に選定されているなど人気の山である。
                                   山麓の北東半分は陸地に、南西半分は海に面しており、その見事な円錐形の山容は別
                                  名「薩摩富士」とも呼ばれている。平成12年(2000年)12月12日から下旬に
                                  かけて、噴気が観測された活火山である。

                                   私たちの次の目的地は「知覧(ちらん)」であった。
                                  知覧町については私達もほとんど馴染のないところであったが、太平洋戦争において、
                                  彼の知られた特別攻撃隊の飛び立ったところである。旧知覧町にあった陸軍飛行場は現
                                  在跡地に「知覧特攻平和会館」が設立されて、今も名残を留めている。日本の悲しい禍
                                  根だと私は思う。
                                   戦争末期の沖縄戦では、知覧飛行場は本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となった。
                                   出撃した若い兵士たちによる特別攻撃隊機は、まず開聞岳へと進路をとり、富士山に
                                  も似たその山容に故郷や家族への別れを告げつつ南方へと向かったと聞く。
                                   私はこれを見納めにしようと「知覧特攻平和会館」に足を向け、若い兵士の遺書とな
                                  った家族に当てた手紙を沢山読んだ。三角兵舎と呼ばれ、呼び集められ出撃訓練を受け
                                  る兵士が仲間と最後の時を過ごしたであろういかにも簡素な小屋が記念館の脇に再現さ
                                  れていた。
                                   何ともやるせない思いは、もうこういった記念館は無くしてしまっても良いのではな
                                  いか、との憤りもかられる心情であった。――この禍根を晒し、いったい誰が、誰を攻
                                  めるのだろうか?少なくも晒す必要はないように思う。
                                   国家が国権によって国民の命を銃弾そのものと扱うことがあってはならない。狂った
                                  戦術と言わねばならない。犠牲者の魂には詫び続けるとしても、恥ずかしく痛ましい痕
                                  跡は消してしまいたい。

                                   死を覚悟しつつも、少年兵士たちは、親の代わりにと情を注ぐ町の「富屋食堂」を営
                                  む鳥濱 トメさんに親しんだと言う。彼女が生涯をかけて多くの特攻隊員の面倒を見た、
                                   “特攻の母”と呼ばれたひとである。その店は今も姿を留めていた。戦争は、あまりに
                                  惨いものである。残し、示すならば、むしろこういった情愛の歴史で良いのではないの
                                  か。 
  
                                   知覧町(ちらんちょう)は、薩摩半島の南部中央の町で、川辺郡に属していたが、平
                                  成19年(2007年)川辺郡川辺町、揖宿郡頴娃町と合併し南九州市となったのであ
                                  る。
                                   この地には中世の山城「知覧城」がある。初めてここに城を構えたのは平安時代末期
                                  の郡司・知覧忠信と言われる。シラス台地をうまく使った南北800メートル、東西9
                                  00メートル、総面積45万平方メートルという壮大な城郭で、国の史跡となっている。
                                   大きな谷を空堀として利用し、本丸以外の曲輪は二重の深い空堀で更に囲まれた山城
                                  を見たいものと思っていたが、今回は叶わなかった。しかし、現町内には江戸時代から
                                  伝わる武家屋敷が残っており、今「薩摩の小京都」と呼ばれるそうだ。どこにでも京都
                                  が語られる。
                                   江戸時代は島津氏の傍流、佐多島津氏による統治が行われた。主に享保年間に島津久
                                  峯の統治下で上級武士の住居と外敵からの防御を兼ねた武家屋敷が築かれた、と言われ
                                  る街並みはその風情を伝えているようだった。

                                   鹿児島へ戻り、薩摩藩主島津氏の別邸跡仙巌園(せんがんえん)を見た。
                                   その庭園。別名磯庭園(いそていえん)とともに敷地面積は約5ヘクタール。万治元
                                  年(1658年)に第19代当主であった島津久光によって造園されたという。
                                   御殿は別邸がゆえに大きくは無いが、明治21年からは焼失した鹿児島城に代わり島
                                  津忠義公爵一家の住まいとなった由、忠義の死後に跡を継いだ島津忠重は東京に移住さ
                                  せられたので、その後住人不在となっていたという。
                                   まさに「大名庭園」と呼ばれるにふさわしい庭が、殊に雄大な眺めが良かった。
                                   借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てたと言う発想は、流石に薩摩
                                  の殿様と言うことか。火を噴く山を縁先に座れば、「男子焉(イズクン)ぞ何をや思い
                                  至らん」である。他に類のない素晴らしい景色と広大な庭園であった。(昭和33年に
                                  国の名勝に指定された)
                                   さらに、幕末には第28代当主島津斉彬が「集成館事業」と称して、この敷地の一部
                                  を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業起こしている。
                                   集成館は東洋最大の工場群であった。製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子などのガラ
                                  ス、薩摩焼の製造を行い、写真、電信、ガス灯などの実験、研究も盛んに行ったと言う。
                                   それら事業の中心となったのが、磯に建てられた「集成館」である。建物(機械工場
                                  と様式紡績工場)が尚古集成館本館(日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物=
                                  重要文化財)として博物館の形で公開されている。そこには反射炉の模型なども置かれ
                                  ていた。又、1857年(安政4年)には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ
                                  灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥として挙げられる場所にもなっている。

                                   幕末、薩摩藩主島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対応し、軍事のみならず産業の
                                  育成を進め、富国強兵を真っ先に実践したのであった。島津家の遠大な構想に頭が下が
                                  る思いだ。そこでは故人の熱い思いが伝わってくるのを感じた。 

                                                                                     風次郎

      
   仙巌園

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