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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No354T−77)
鬼怒川温泉駅前(東武線)
2014年6月
東京楽歩(No77) 鬼怒川にて
元の会社の同輩連中と年1回の懇親旅行をすることになっている。今年は宇都宮に住む
U氏の設営で鬼怒川温泉へ出かけた。7人が集まった同期の会であった。
東京周辺のほか、金沢に住む2人が加わってお互いに楽しくまた長い年月辛酸を味わっ
て過ごした会社の思い出話を、例年繰り返しのように語る旅の宿は、すでに老境に入った
と言える者共にとって何よりも憩の時と言える感じである。毎回同じ懐かしい題材の繰り
返しになっても、いつも楽しい会である。
東京の奥座敷で売り出した鬼怒川温泉は、その河辺にどんどん豪華なホテルが増えてい
ったいわゆるバブルの時代には、私達も何度も足を運んだ温泉歓楽街である。
当時、湯の街通りの入り口からは3階4階に見える建物が、反対に廻って鬼怒川の河辺
に架かる橋の欄干越しに眺めると、10階を超える豪華なホテル群であって、その狭隘渓
谷にある大きな岩の間の流れは、自然の中でいかにも清楚のものに見えた。
殊に両岸に並ぶ、当時を風靡した建物は見事だった。だったと言うのは、今、ホテル群
は現存するのであるが、夜間の煌びやかな湯の街の絢爛なネオンはなくなり、所々廃屋の
如く窓ガラスは割れたままの高層ホテルが散在する、やや寂しげな湯の街となっているの
である。
バブル崩壊後は各地でも温泉街全体が経営的に一層苦しくなっている中、栃木県の地方
銀行である足利銀行の経営破綻の影響もあったのであろう。
古くから火傷に対する効能があるとされ、北側の川治温泉とともに「傷は川治、火傷は
滝(現在の鬼怒川温泉)」と称されて親しまれていたし、彼のバブル時は日光鬼怒川とか、
鬼怒川川治とか、或いはその奥の湯西川温泉などとルート化された、東京からの格好な
観光ルートで名を馳せた名湯の地域だけに、親しんできた私達にとっても残念な現況に気
落ちする風景を見ざるを得なかったわけだ。が――
東武線で浅草を発つ特急スペーシアは、快適な流線型の車両編成で、2時間で鬼怒川温
泉駅で降り立つと、夏の陽光に光る緑に囲まれた街は、そうは言っても綺麗に整備されて、
覚悟して行ったにしては思いの外、美しい風景を見せてくれた。
街の観光再興を掲げて、地元勢が懸命に努力を尽くしているようである。さらに、流行
りの地域マスコットは茶目っ気のある鬼の子供のマスコットで、これが温泉街のあちこ
ちに登場しているなどの嗜好もあった。
名物の温泉饅頭もあちこちの店が湯気を立てており、やはり温泉街の雰囲気に欠かせな
い。
私たちのとった宿は鬼怒川観光ホテルであったが、昨今、夜の食事は小人数ではバイキ
ング料理で対応するのが当たり前になっているようである。それもまた今風で良いか、と
――。
川筋を何十年振りかで散策すれば、街路も所々力を投入して新しく飾られた様子が目に
入ったが、やはり客足の及ばない大歓楽街の寂しい風情は隠すことのできない時の流れと
言うべきか。繁華の時代の足跡が、眼について致し方の無さを思わせる。
感傷は否めない。が、温泉そのものは暖まる。
人波の無い分静かで、ゆったりとした一夜の旅だったし、「あしたこそ、の時代」、社
会に揉まれて生きてきた我が世代の感傷も並行したりして、感慨深さも味わえたと言うと
ころである。
風次郎
鬼怒川温泉街と峡谷
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