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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No280T−60)
一橋大学正門の銀杏
2012年12月09日
東京楽歩 (60) ゆく秋を惜しむ
家の垣根の「満天星」の赤がとても綺麗だ。
今年の秋は染まった木の葉の色が、例年になく美しいと誰もが言う。
駅へ通う線路沿いの土手の草木まですっかり色に染まって総勢でゆく秋を愛で
ているような風景である。
夏の暑さが長引き、急激に晩秋を迎えたので、季節が秋を駆け抜けて葉が乾い
てしまう前、整ったままの木々の葉に冬が近づいて、色づいたからなのだろう。
秋色は、今里から街がそのピークのようである。
急に冷え込んで木枯らしのように冷たい風の吹く昼前、真っ青な空の下の街路
を歩いてみたくなって家を出た。
玄関前の我が家の満天星の真紅を先ずは満足と眺めて立ち止まり、歩き出す。
近所の庭の山茶花の花は季節のとおり花をつけている。垣根から顔を出すモミ
ジも順調に美しい。
小さな公園を囲む来春のための蕾を持ったモクレンは、まだ付けたままの今年
の丸い葉を黄色く染めて秋に参加している。ユキヤナギや、棚に纏わりつく藤の
葉もまだ残って色を放つ。
それらを眺めてから、私は欲を出して鎌倉街道の新道から、毎朝の散歩で愛犬
ピカと立ち寄る白明坂(しらみざか)公園に向かった。
この公園の早朝は、十分に陽の光が届かないのだが、陽を浴びた大きな欅の木
を眺めたいと思った。
はたして、陽に輝く欅の木の峰はオレンジ色に染まり見事であった。まだ全般
にはレンガ色をした葉であるが、落とし始めてもいない。
丸く、高く堂々とした貫録で聳えるが如くである。
木の峰の葉の輝くさまが特に素晴らしい。それはまた夏を逞しく生きた明かし
を誇るような頼もしい大木の立ちようであった。
歩かない木は、「立ち姿」がすべてである。
見栄えだけではない、風格が伴わなければ、と思いながら日頃木々を眺めてい
る。
大きな木は、その下に立ち、根元に寄って上を眺めるだけで、勇気が湧くよう
な気持ちになるのは子供の頃からだった。寄らば大樹の陰、とは良く言ったもの
だ、と――。
そうなるとこの季節、背の高い大学通りの銀杏の様子も見たくなる。
公園を離れ、しばらく住宅街を歩いて抜け、国立駅前から続く大学通りの銀杏
並木の通りを目指す。
国立の街は駅の南口から一橋大学の正門に向かう大学通りと呼ばれるそこが、
街の象徴でもあるが、春の桜、秋の銀杏が一斉に季節を告げる場所でもある。
今、春の桜は濃い目の赤を残したまま派手な黄色に色づいた銀杏の引き立て役
に回っているように見えた。
私は背の高い銀杏の、天高く聳える黄葉に近づいて、そこでも幹の根本に寄る
と、そこはまるで電燈の光の中に居るようである。
舗道に立つ可愛い手のひら型の真っ赤なモミシが風が止んだ冷気の中で静かに
陽の光を受けていた。
葉先に手を触れて道を進むと、行き交う人さえ過ぎ行く秋を穏やかに送ろうと
目線を送って過ぎゆくのかと感ずる――そんな、最早晩秋から初冬の季節である。
銀杏、桜やモミジばかりか、ここでも柵の中の白い穂を微かに揺らす茅の繁み
の向こうで、数々の雑木や蔓草も染まった橙や黄色の葉を並べてゆく秋を惜しん
でいる。
この秋は多彩な秋である。
多くの種類の草花もこの時とばかり一緒になって鬱蒼とした茂みに色を競うよ
うに固まって艶やかな秋の終わりに参加しているかのようであった。
彼方には、メタセコイヤのスックと立つ紅葉の始まった赤い三角が、背景にな
る校舎のルネッサンスによく似合った一橋大学の標準風景が見える。
前庭で、春には花を楽しませてくれた桜、夏のエゴの木、サルスベリまで、今
寒さを感じさせるようになって、もう散る寸前であろう雰囲気のまま、これらも
晴天の下に美しい黄を見せつけていた。
再び舗道に戻ると、銀杏の葉が纏わりつくように舞降りて来た。
風次郎
近所の家の庭に咲く冬葵 大学構内の銀杏
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