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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No259T−58)
大通寺・山門
2012年7月8日
東京楽歩 (58) 夏の伊吹、彦根、長浜(その3)
湖を取り囲む山地からの流れを集める琵琶湖は、今京阪神の水瓶という機能も担っ
ている。古くからは、水上交通路として利用されており、明治時代に鉄道が開通する
までは、京や大坂から東国・北陸への物資輸送にも利用されていた。
時代は移っている。
琵琶湖は古代湖であり、魚類や底生動物など50種以上の固有種を含む生物相に富
んでいるという。
明治から昭和の初期までは、琵琶湖の周囲に大小40数個の内湖が広がり、多くの
生物を育んでいた。が、しかし琵琶湖の洪水防御のため、1943年から始まった河
水統制事業により、事業が終了した1952年には平均水位が数十cm低下した事、又
内湖の大半が干拓されたこともあって琵琶湖の自然は大きく変化し、固有の風致や生
態系が大きく損なわれたと言われている。
現在、滋賀県は一部の内湖を復元することをまで計画し、生態系の回復や水質浄化
が各方面から期待されているのである。
○
長浜はその北部いわゆる湖北の大部に位する市街地である。そして街の中心部は瓢
箪を馬印にした大公、豊臣秀吉によって成されたのであった。
北は福井県、東は岐阜県に接しており、周囲に伊吹山系の山々を見上げる。市の中
央には琵琶湖に注ぐ姉川や高時川、余呉川等により形成された豊かな湖北平野と水鳥
が集う湖岸風景が広がり、優れた自然景観をも有している。
市内には合併前の旧湖北町あたりなど、古くは縄文時代から人が住みつき、幾多の
文化を育んできた歴史の街でもある。中でも、近世戦国の世に浅井亮政が築城した小
谷城は、久政を経て長政が信長に敗れるまで三世50年間の根拠地となった。
加えて、北国街道、それと中山道を結ぶ最短経路であった北国脇往還沿道、時代を
偲ばせる秀吉の長浜城や浅井の小谷城跡、賤ヶ岳、姉川古戦場をはじめ、竹生島
の宝厳寺、渡岸寺の国宝十一面観音をはじめとする数多くの観音が祀られる観音の里
など、すぐれた歴史的遺産を尋ねる事ができる。
湖岸から望む竹生島は古くから信仰の対象とされている。
神の棲む島といわれるのは、竹生島成因の伝承多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で
浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒っ
て浅井姫命の首を切り落とし、その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという伝説が
あることを識った。
島は葛籠尾崎の南約2キロメートルに位置し、全島が針葉樹で覆われており、琵琶
湖八景のひとつにも数えられている。無人島であるが、観光船ばかりか、島外から通
っている寺社関係者ならびに店舗従業員を運ぶ定期船が長浜から通っているとのこと
だ。
島の周辺は深く、西側付近は琵琶湖最深部
(104.1m) とのこと、北の葛籠尾
崎との間には湖底遺跡があって、水深70メートルほどの湖底から多数の土器が引き
揚げられている。この土器は時代の幅も縄文時代早期から弥生時代、果ては中世にま
で及ぶと考えられる非常に古いもので、こような遺跡は世界でも類がなく沈積原因は
今なお大きな謎に包まれていると聞いた。
よく口ずさむ琵琶湖就航の歌には「古き伝えの竹生島」とあるし、私は大いに興味
を持ったが、残念ながら今回島に渡る事はできなかった。
○
天正年間に羽柴秀吉は長浜城を建て、晴れて城持ちになった。この地は元々は「今
浜」と呼ばれていたのであるが、天正3年(1575年)頃に豊臣秀吉が織田信長の
「長」をいただいて「長浜」と改名し、小谷城下などの商人たちを集めて、楽市であ
る城下町を作ったのであった。
その後、湖北地方の中心地として栄え、長浜城廃城後(城は昭和58年市民により
三層五階建に再興された)は大通寺(長浜御坊)の門前町、北国街道や琵琶湖水運の
要衝として発展してきた。
私たちは、駅前通から北の大手門通り、街を南北に貫く北国街道などを散策し、大
通寺をお参りした。
町興しの風情漂う地域色豊かな紙店や傘の店、郷土料理店など素朴な印象が良かっ
た。
大通寺は安土桃山時代の建築様式を伝える真宗大谷派の別院の由、堂々たる威容を
見せていた。総欅造りの山門をくぐる先の本堂は、桃山文化の世界。本堂自体伏見城
の遺構と伝えられ、大広間をはじめ、円山応挙、狩野山楽・山雪、岸駒の襖絵、さら
に2つの庭園含山軒庭園=伊吹山を借景とする観賞式枯山水庭園、と蘭亭庭園=観賞
式池泉庭園は国の名勝である。
友人が、今京都山科にある修験場「一燈園」に敬している。その開祖西田天香がこ
の地長浜に育ち、この寺にて修行したことは承知していたが、この寺に碑があるとは
知らなかった。
―――――――――
陽のあるうちに私たちは米原に戻って帰路についた。思い出話を織り込みつつ、短
い北近江の散策で過した2日間であった。
日本における琵琶湖の位置づけを認識したり、日本の歴史における東西交流の要衝
となった地に立った思いの数々を胸にした私たちを、あまりに早い、時代の産物新幹
線が瞬く間に東京へ運んでしまった。
短い近江の旅を終えた。
風次郎
大通寺の西田天香石碑
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