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風次郎のColumn『東京楽歩』  
  (No258T−57)
       
      彦根城内堀から朝の西の丸

                                                          2012年7月1日
       東京楽歩 (57) 夏の伊吹、彦根、長浜(その2) 

                         
                           訪ねるは琵琶湖の東、井伊の彦根と湖北秀吉の長浜である。米原も区分上は湖北に
                          属するが、私たちは一旦高速道路に乗って彦根へ向かった。
                           市内に入ると、森の中に聳えるがごとく見える彦根城の天守閣を仰ぎ見ながら市街
                          地を通り抜け、湖水を堀に引き込む入り江に造られた港の先にある湖岸の「簡保の宿
                          」に着いた。広い砂浜の湖岸は市民の憩いの場となっているようで、散策の観光客ば
                          かりではなく、地元の学生が運動部の集団練習をしている風景もあった。

                           簡保の宿は郵政改革によって様変わりしたようである。もともと施設自体は大きな
                          資本を投下して完成したものが多く、立地にも恵まれたところが多かったのだが、サ
                          ービスの仕様や、業態の運営方針がとかく官僚的で評価が高くなかった。
                           が、それは相当変わった。もっとも料金も上方修正されている。結局は、あちら立
                          てれば――で、致し方の無いことでもあろう。
 
                           まだ宵闇の訪れない早い時間から6階にある琵琶湖展望の温泉で過ごすと、まるで
                          湖とはいえない雄大な湖面は2〜3の船を浮かべ、学生時代に歌った「琵琶湖就航の
                          歌」を思い浮かべながらのホットしたひと時が味わえるのだった。加えて地域名産の
                          近江牛や、あゆなどを使った見事な膳での夕食会は、旧交を温めつつ地酒を酌み交わ
                          して過ごす時を豊かにしてくれた。

                           「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、琵
                          琶湖は県のシンボルであろう。琵琶湖は占める面積が県総面積の6分の1程度である
                          が、周囲を山脈・山地が取り囲み、近江盆地とともに中央部に琵琶のかたちで広がっ
                          ている。
                           そしてこの地はその地理的特性から、奈良・京・大坂への物資や人材の供給源およ
                          び中継地、あるいは畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展した。されば、白洲正
                          子が随筆『近江山河抄』のなかで「近江は日本の楽屋裏」と評したと知られるごとく、
                          時代の舞台回しに係わる史実が散在するのである。

                           琵琶湖は今、近隣府県約1400万人の飲用水の源であるばかりか、産業用水、観
                          光資源としてその存在は大きい。滋賀県内琵琶湖の漁港も、その数20港と、海に面
                          する近畿5府県よりも多い。中世や近世には若狭湾と京・大坂をつなぐ中継地として、
                          大津や堅田など内水系の重要港湾も数多く発展した。
                           東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝であればこそ、「近
                          江を制する者は天下を制す」として度々戦乱の舞台となったのであった。

                           関が原以降の時代を紐解く徳川家康は、精鋭軍を率いる井伊氏を関ヶ原に近いここ
                          彦根に入封させて北部の大部分は彦根藩の領土とし、かつ西国の抑えと布石した。
                           江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していたが、江戸時代初期にはまだ
                          将軍上洛が欠かせず、依然として天下の要衝であったのであった。
                           湖東湖南に開けた平野部では、穀倉地帯や肉牛の飼育も盛んであるが、江戸時代に
                          は、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、特に八幡・日野・五個荘などから近
                          江商人を多く輩出した。近江商人は近代以降も活躍し、日本経済の発展に寄与したの
                          であった。
                           彦根には江戸時代および1869年(明治2年)の版籍奉還後から1871年(明
                          治4年)の廃藩置県まで彦根藩の役所が置かれ、彦根城はその権威の象徴であった。

                                                     ○

                           例によって早朝の散歩に城郭を一回りしてみた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城
                          跡は国の特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。
                           私は琵琶湖就航の歌碑がある彦根港から湖周道路の松原橋交差点へ出て、滋賀大学
                          経済学部の敷地を廻り四画の堀に囲まれた城郭に近づいた。丁度城の北西角にあたる。
                           堀端に立つと、平城とはいうものの彦根山と言われる城郭は石垣の上に雑木の斜面が
                          そそり上がって、山上に西の丸三重櫓が見えている。
                           その甍と白壁が目前の堀の水面に写るのを見ながら早朝の静けさに浸るのは満更で
                          はない。
                           近くに在る数件の商家が雨戸を開けて店先を整え始める頃、散歩に出てきた地元の
                          人々がそれぞれに皆、「おはようございます」と挨拶を交わして過ぎ行くのは気持が
                          良かった。市民運動のテーマになっているのかもしれない。
 
                           朝食後、メンバー全員で内堀大手門橋から見学登城した。堀に映る、現存では保存
                          の例が少なくなった倭城築城の技法である「登り石垣」が正に古城の雰囲気を良好に
                          している。入場は有料であるが、それが故か施設は整えられ、清掃も行き届いて観光
                          には気持ち良かった。
                           番屋の先から大手参道の石段を登り、反対側表門参道と合流する処に廊下橋が見え
                          る。登城は一旦右の鐘の丸へ登ってからこの橋を渡って本丸へ向かうのであるが、非
                          常時には落とし橋となるこの橋の先には天秤櫓と呼ばれる重要文化財の建物があって、
                          天秤のように見えることで有名だ。
                           本丸への最後の砦となる太鼓門へ至る石段の上に、今も定時に時の音を伝えている
                          時報鐘(元は鐘の丸にあった)があるが、天秤櫓には聴鐘庵と呼ばれる茶室が設けら
                          れ薄茶が楽しめるそうだ。
                           太鼓門櫓を登り切ると本丸に出た。城内で現物を見ることができたが、瓦産地の粋
                          を極めた屋根の美しさは格別と思えた。
                           どっしりとした牛蒡積と呼ばれる石垣の上に聳え、いくつもの屋根曲線を巧みに組
                          み合わせた曲線が調和を見せる三階三重の天守閣である。京極高次が築いた大津城か
                          ら移築されたものだと言われる。明治初期の廃城令に伴う破却を免れ、姫路、松本、
                          犬山とともに国宝四城のひとつである。
                           城郭全体が石垣のみならず、附櫓(つけやぐら)および多聞櫓(たもんやぐら)の
                          ほか、安土桃山時代から江戸時代に至る櫓・門など国の重要文化財に指定されている
                          五棟が現存し城全体感がある。中でも掘り外の馬屋は重要文化財指定物件として全国
                          的に稀少とのことである。一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建
                          物が保存されることとなったのだという。
                           徳川時代、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。
                           彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城であるが、山は「金亀山
                          」との異名を持ち、城は金亀城(こんきじょう)とも呼ばれている。
                          何といっても城は天守閣、何処の城であっても、そのバランスに満ちた姿形は安堵
                          を連想させるシンプルなイメージである。反対に内側の構造には複雑怪奇も感ずるよ
                          うに思う。
                           回廊に立てば、その四周に広がる城下の彦根市街から山並みに至る東、清々しく、
                          広々と広がる琵琶湖の向こうに霞む山々の西、天下を意識する風景ではあった。
 
                                                                           風次郎
            

            
           彦根城庭園「玄宮園」から本丸を望む

メルマガ・風次郎の「東京ジョイライフ」「東京楽歩」No58 
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