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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No233T-51)
国立駅前のイルミネーション
2011年12月25日
東京楽歩 (51) 年の暮れる頃
クリスマス休暇で米国に住んでいる長男家族がやって来て、忙しく日本での休暇を
過ごしている。
世間はこれも外圧?と言うことの一つなのだろうか、「キリストの生誕した日」だ
と言われる「クリスマス」も日本の庶民の行事としていろいろ一般化したように映る。
私はキリスト教徒ではないが、子供の頃協会の日曜学校へ通い、聖書とか賛美歌に
馴染んだ時があった。キリスト教そのものに今は信奉もしないし、寧ろ教義としては
仏陀の「生き方」に心を惹かれることが多いが、久しぶりに手元にあるキリストの語
録を開いてみた。いくつかは共鳴する言葉もあるが、遠い昔の説教語録ではある。
○
求めよ、しからば与えられん。たずねよ、しからば逢えん。門を叩けよ、しからば
開かれることを得ん。
○
汝らのうち誰かその子パンを求めんに石を与えんや。また、魚を求めんに蛇を与え
んや。しからば汝ら、悪しき者ながら、善き物をその子に与うるを知る。まして天に
在す汝らにの父は、求むる者に善き物を与えざらんや。
○
人を評すること勿れ。恐らくは汝らもまた評されん。汝らが人を評するが如く、己
も評されるべし。
× × ×
今年の世界は金融恐慌前夜の様相を高めて終始し、革命に等しい事態への引き金が
いつ引かれるかといった厳しい情勢である。
国内では何と言っても地震から顕わになった原子力の危険性を踏まえて、原子力に
政策的な向き合い方が問われている。
国内外の問題、両者とも恣意と倫理が戦うほど難しい局面であろう。深刻である。
政府とEUからの論客も参加して行われた「福島原発事故への対応とこれからの原
子力政策」と題するシンポジュウム(東京開催)に参加した。
言うまでも無く最早国内問題ではないが、それだけに尚々難しい。各国には核戦略
が存在し、平和利用だけをテーブルに載せていても、学術論に留まってしまうからで
はないだろうかとの思いをさらに強くしたのみであった。心残りの年である。
近しい人を見送ったばかりだったのに、また高校時代に馬鹿を言い合った仲間が急
逝し、無言の対面を重ねた暮れになった。
△△ 「孤独」萩原朔太郎
田舎の白っぽい道ばたで、
つかれた馬のこころが、
ひからびた日向の草をみつめている、
ななめに、しのしのとほそくもえる、
ふるえるさびしい草をみつめる。
田舎のさびしい日向に向かって、
おまえはなにを視ているのか、
ふるえる、わたしの孤独のたましひよ。
このほこりっぽい風景の顔に、
うすく涙がながれている。
(風次郎)
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