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風次郎のColumn『東京ジョイライフ』  
   No15(T−005)
 
ガーデンプレイス側からのアメリカ橋

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                                                     2007年7月29日
 あめりか橋
                                                    風次郎
                                                  fuujiro@jcom.home.ne.jp
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 風が足もとを 通り過ぎていく
 「久し振りだね」と、照れて笑いあって

 あめりか橋のたもと ふと通うぬくもり
 やるせない恋 埋めた街 角部屋の明かり
 いしだたみ 想い出つづく
 いつか 熱かった青春
   ――山口洋子詩 平尾昌章曲 山川豊歌――
   曲が聴けます  http://fukuoka.cool.ne.jp/t_susa/amerika/amerika.htm

 古い昔、恵比寿から厚生中央病院へ行ったとき、丘を越えていくようにして何気な
く渡った橋に「あめりかばし」と書いてあって、興味を持った。その当時はサッポ
ロビールの工場がまだあって、今のガーデンプレイスもなく素朴な唯の陸橋で、
サッポロと相対した側の袂に「American Bridge Company」とイルミネーションを
つけた、どうということの無い(今でも健在ですからちょっと失礼な言い方ですみま
せん)レストランと喫茶店風のバーがアクセントという程度の場所であった。
 その後、少し私も関係した会社が駒沢通りにあり、そこへの行き帰りに何となく懐か
しいこの橋へ足を伸ばしたものである。橋の向こうにガーデンプレイスがオープン
して食事やショッピングの機会が増えたこともあってのことだが。

恵比寿の街にはこじんまりとファッショナブルな店が多く、そしてセンスあるヴォー
ギーな女性たちの往来も好もしく映る街ではある。
 夕暮れ時の駅近くは、ひときわ雑踏の度合いが増す。そこを掻き分けるように抜け
て、古くからこの街の中心と伝わる恵比寿五差路から目黒に向かう通りに出れば
、そこは歩道のついたゆるい坂道。
「あめりか橋」へ行くのに、私はこの坂を歩いていくのである。
 右側にカルピスの白いビルをみて坂を上り切ると左側が「あめりか橋」だ。
目黒へ向かう道との3差路になっていて、向かいは「恵比寿南第1公園」、夕方は
子供たちの遊ぶブランコの音が響いていたりして長閑で気持ちがよい。
 恵比寿ガーデンプレイスができてからは、この公園あたりから「あめりか橋」を左手
に、その先の赤レンガのインフォーメーションセンターやとんがり屋根のビアステーシ
ョンが夜の照明に照らされるのを眺めるのも良い。

 「あめりか橋」は「恵比寿南橋」のことである。
 そもそも国鉄が1906年のセントルイス万博から買ってきたもので、これを1926年
(大正15年)に今の場所にかけた。それを1970年(昭和45年)に改築して、そのと
きに「恵比寿南橋」としたようである。
でも何となく「あめりか橋」の名前がエキゾチックな呼びかけになっているのだろう。
その名前に惹かれてそぞろ歩きの名所になってしまったのかも知れない。

 歌ができると、思いがけないその地のロマンムードが広がるように思う。
何か物語が生まれそうな雰囲気を感じたりして訪れる若者たちも多い。

 山川豊が歌う前に「狩人」が同じ題名の『あめりか橋』を歌っている。
 しかし、私は過ぎ去った青春、あるいは過ぎ去り行く青春を甘く漂わせるこの山口
洋子の詩が好きだ。
 坂道を、今日は下りながら口ずさんでいた。

 あめりか橋のたもと 
 「それじゃ」と 手をあげる
 そっとコートの衿たてた
 さりげなさおいて 

 人の群 誰もが他人
 はるか あの頃が青春

 山口洋子さんは今病んでいると聞く――― 

 
袂のレストラン側からの夜景
                                                          (風次郎)

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