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風次郎のColumn『東京楽歩』  
   No181(T−034)
 
色づいた葉が敷き詰められたような一ツ橋大学図書館前
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                                                     2010年11月28日
 東京秋色(2)
                                                    風次郎
                                                  fuujiro@jcom.home.ne.jp
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                 秋色に佇み、思いを巡らすのも秋である。
                 もはや老人の域に足をかけた今の私は、会社勤めを大過なく過ごし終え、また家
                系や家庭にまつわる種々雑多な生活課題を何とか切り抜け終えて立っているように
                思う。
                 危うい場面もあったが、苟(まこと)に大過なくと、安堵の思いである。
                 一途で寄り道の少なかったこれまでの人生をしみじみと振り返り、ここまで導いてく
                れた人々に感謝する日々ではある。

                 50年来の古い友人に久し振りに会った。 
                 何故か私の社会的成長への基点と、その女性との接点のあった時期が一致している
                懐かしいあこがれた女性である。

                                           ○

                 人は若いとき基礎(学びのスタート)を得るに恵まれれば複雑な社会の中にあっ
                ても道を自ずから見失うものではないと思っている。大事なことを教えてくれたの
                は高等学校の時の師であった。 

                 私は15歳の時に長野県の高等学校に入学した。そのとき、期せずしてある教師
                から「新入生全員を眺めながら学校生活を過ごすように」と、つまりいつも皆の代
                表であるように、と指導を受けたのであった。
                 小学校でも中学校でも、或いは他の生活でも子供同士の遊び集団は別として人を
                まとめてリードするなど私には全く馴染みのないことであった。
                 まして、新入生200人余りは、出身中学が自分と同じ10人ばかりの外は顔と
                名前も分からぬ学友ばかりだったから、その師の私に対する指導など頭に置くだけ
                で余り気にも止めずに過ごしていた。
                 しかし、やがて1年を過ぎて最上級生が去る頃から、私の周りの学校生活の空気
                はがらりと変わっていった。級友のクラスの活動への参加意識など意思結集にいろ
                いろなパターンが生まれたし、運動部や文化部活動、さらには全校生徒が参加して
                いる生徒会活動への主張で集団意思決定や集団行動が周辺で頻繁に行われるよ
                うになったのである。
                 私は、私に示唆を与える教師の言葉が、多くの場面で考えねばならない課題であ
                ることを識り、高校2年生の1年間は真剣に考えながら仲間の中に入って行くよう
                になっていた。
                 思えば、大事な部分は、「現場の現実を知ること」や、「そこに関わる人(個々)を
                等しく理解する」ことであったのである。
                 それは現社会の問題解決でも掲げられている指針で、半ば当然であり、尚かつ
                難しいことではあるが、時代を問わず、人生の時を問わず変わりはなかったのだ。
                 私にとって実に貴重な体験学習だったわけで、今になって、わが人生における少
                年時代のなんと大きな経験、特別授業だったかと思う。
                 しかし、青春期は思考も柔軟というより、軟弱である。やがて最上級生になる頃、
                反動が心に入り込み反抗に走らせたのか、その師が担任から離れると、私は何故
                自分が、自分ばかりが指導とはいえ圧制された中にいなければならないのかを糺
                す態度をとるようになっていた。抵抗したとはいえ、大きく道を外れることが無かっ
                たのは幸いだったが。
                 折角の師の教えをないがしろにし、自分の掲げる自由を求めて、我が儘で力無い
                反抗を試みつつ時を過ごす。掲げる目標も、自分の自分に対する制約となるだけで
                心の底に流れていなければならないものを見失っていたように思う。一方では自由
                を求めることに目覚めたことは良かったのかも知れないが。
                 私はそんなまま高校生活を終えて都会の社会生活に入ったのであった。
                 貴重な教訓を得ていたことはずっと後になって解ったことである。
                 そして、あのときの師は、既に鬼籍に在った。本人の遺志により某大学医学部に
                献体されたとのこと、わが師は終生教育への情熱を全うされたのであろう。

                 ――以来50年余。
                 半世紀の長い社会生活を過ごして立っているのが現在の自分であるが――。
                 そう気がつくと、そのスタートにあった私に対して社会人たるべく人間造りに大
                きく関わった教訓は、あの15歳の頃に与えられたのだと、改めて振り返り、当時
                の環境に感謝するのである。導く情熱さえ伝われば、15歳や、16歳でもそれな
                りの答えは出せることを体験している。自分が恵まれたばかりではない。若い体に
                伴われた良い種子は確かなものに育つことを、これまでの人生で幾つも見てきた。

                 教師の指導は貴重で絶大なものだったと思う。そしてそれを受け止められる環境
                も貴重であった。
                 16歳の春、卒業生が去って、今度は自分たちが新入生を迎え、新学期は新たな
                気力と意気込みが漂う頃、その教師の私に対する指導は一段と激しくなったように
                感じていた。
                 しかし、私はむしろ責任感を持って当たるよう要請されることを、どこかで心地
                良く受け止めながら学校生活に張り合いを持って臨むようになっていた。そしてそ
                の頃から私は物事の解決に当たって、学友へ相談を持ちかけることを好むようにな
                っていた。
                 その仲間の一人、唯一の女性がこの日会ったYさんであった。
                 そのわたしのあこがれた彼女は、同期生の中でも信頼の於ける聡明な優しい女性
                で、当然皆から慕われていた。
                 私は躊躇しながらも時々質問し、自分の考慮すべき点を確かめていたのであった。
                 今思うと、彼女は明確な視点や観点をちゃんと持っていて、時折り見せた、敢え
                て反対をするでもないが、ためらいのない意思表示は、いつも私にとって大事な判
                断の支えであった。私が、どこかに異性であればこその眼差しを感じていたかった
                という、素直な思春期の感情を持ったことは否めない。
                 だからあこがれであったのだ、とその青春の日々を思う。
                 もしかしたら、私が意気込んだ16歳を過ぎて、その後我が儘で力無い反抗を試
                みつつ時を過ごした時期を織り込んでしまったのは、その頃彼女のその眼差しを見
                失ってしまっていたからなのかも知れない――。

                                         ○

                 暮れも近くなったので今年もらった賀状を整理しているとき、ふと彼女からのも
                のに目が行き、思い立って電話をするとすぐに会うことに応じてくれたのである。

                 二人で話す時は遠い時代にも多くは無かったが、懐かしい出会いだった。
                 私は、今日、自分が曲がりなりにも一人前に社会人として歩いているのは、当時
                のYさんのおかげでもあることを素直に感謝し、それを自分の言葉で伝えたかった
                のだが、上手く言えたかどうか。

                 少しの時間を並んで歩き、お茶を飲んで近くの駅で別れた。
                 手を差し伸べて握手を求めたのは初めてだった。お互いに同じ年だからもう70
                歳に手が届く。
                 私はもう少し歩きたいと思いつつも、少年の頃いつもそうだったように、躊躇して
                言い出せなかった。彼女が順調に家庭を築いて仕合わせに暮らしており、割合に近
                い所に居ることが、私には心温まることだった。

                                          ○

                 一人になった私は、再び駅を出てゆっくりと近くの公園に向かう。ベンチにもた
                れ、ポケットからいつも持って歩くウオークマンを取出して、サイモン&ガーファ
                ンケルが歌う「コンドルは飛んで行く」を聞き続けた。
                 見上げると、雨が降りそうな空にもかかわらず、公園を覆うオレンジ色に染まっ
                た欅の葉が明るく感じさせるほど頭上に広がっており、あちらこちらで少しづつ散
                っていた。オレンジ色の輝きはあの頃の彼女の眼差しのようだった。
                 その眼差しを感じた頃、私は大人に至る礎を得る道の入口にいたということだろ
                う。良い教育を受けられるのは好もしい仲間あってのことだとも思う。

                 人影が少なくなっていく公園は、静かな美しい秋の夕暮れだった。
                霜に覆われる前に、師の眠る山麓の野辺も訪れてみたい。
                                                            風次郎          

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