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風次郎のColumn『東京楽歩』
No171(T−029)
夏の花 「槿(むくげ)」
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2010年9月12日
酷暑を送る
風次郎
fuujiro@jcom.home.ne.jp
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今日も暑そうではあるが、9月も半ばに入った。
酷暑と言うに相応しかった夏も、「そうは言っても‐‐‐」という秋の気配を漂
わせ始めて、去って行きそうだ。
本当に暑い夏だった。
先週半ばには台風が日本列島を横断するように通って行き、それを境に、待ちわ
びていた「秋を呼ぶ涼しい夜」を過ごしたけれど、また、昨日の土曜日には、ぶり
返しの暑さが戻ってしまった。
でも、もう数週間前の暑さとは違う。
降るようにそそぐ陽は燦燦としていても、攻めて来る感じはなく、腰弱で、射す
ような酷しいものでなくなった。真昼の数時間を除けば、光は斜めに感じられ、そ
こに私は、何処と無く秋の気配を思うことが出来る。
○
思えば、暑さばかりでなく、身辺にも厳しい夏であった。
辛い思いが幾つも重なって、心も痛み、だからこの夏が早く終わって欲しかった。
この春(3月)愛犬「ナナ」が病で逝って以来、あまり嬉しいことは無い。幾つ
かの悲しみがあって、「悲しみは、ある時に重なるように訪れるもの」と思ってし
まっている。暑さもそのひとつ、私もこの暑さには参り、7月には3日間も床に臥
せって過ごしたのは熱中症だったのかも知れない。
そしてはなの姉が、不治の状態であることが解ったのはその直後だった。
病気味だった中、5月には、楽しく南天寮の庭で食事をともに出来た後のことだ
った。
まだ74歳の若さであったのだが、時はすでに遅く、遂に8月25日逝ってしま
った。この暑い真っ盛りに、私たちは悲しみの涙に暮れて葬儀をおこなったのであ
る。
○
「やっと夏が行ってくれるのか――」
「台風が来て、東京も豪雨に見舞われるかも知れない」と報道されるのに、心の
内では安堵し、喜びさえも隠せずに雨戸を閉めた記憶がある。
そんな辛い夏であったのだが、米国で暮らしている長男家族が、一時帰国してい
た。久し振りに、娘の家族も含めて私の家族が一緒に楽しく集う機会を重ねること
が出来て良かった夏でもあった。
長男一家は長男の仕事の都合で、ニューヨークの生活を切り上げ、カリフォルニ
アのサンフランシスコに転居するという。孫娘の小学校が終わった6月末に来て、
新住居が決まった8月には帰って行った。
ニューヨークも暑いところだが、運悪く特別に暑い日本の時に来たわけだから、
「よくもまあ無事に過ごしたわい」と、胸をなでおろしている。
彼らの、日を惜しんであちこちと元気に出かけ続ける様子に、「若いということ
は素晴らしい」と、こちらの老化に照らして、その体力を礼賛するほどに思う。遊
びだけではなく、疎遠になっている親戚を訪ねたり、ビザなどの手続きがあって、
「海外で暮らすということは大変だなあ」と周りから見ていて思うのでもあった。
私は、その中の1日を孫娘ミサと二人、はとバスに乗って、「東京見物」出来た
ことを嬉しく思っている。
孫娘はこの秋からMiddle Schoolに入るが、これからの人生がどう
築かれて行くにせよ、日本人であることに変わりは無い。
「皇居」から「明治神宮」、「東京タワー」などを巡るという簡素な東京めぐり
の1日ではあったが、日本の小学校に通わなかった少女に、日本の文化を説明する
ことが難しいことであると、我が身を持って知らされ、時折接触する外国人に、乱
暴な対応をしてきた自分を反省する羽目になってしまった。ミサには慎重に解説す
るのだが、結構難の伴うことであった。
しかし、孫との東京見物は、貴重なまた、愛しい想い出になって良かった。
これらは、夏のひと時の、家族の「和」の機会でもあった。
○
暑かったが、秋の空気の流れを感ずる季節になった。
この秋は、風の冷たさを知る初冬まで、心にしみる思い出を、波のように寄せて
は返しつつ遠避けていくのだろう。
明日はまた八ヶ岳山麓へ出かけ、夏の名残をとどめてこようと思う。どんな想い
出も美しいものと化すことを願いつつ。
風次郎
夏の花「芙蓉」
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