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風次郎のColumn『東京楽歩』  
   No133(T−025)
  
中山峠の羊蹄山                     旧い家並みの残る小樽


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                                                     2009年12月30日
0910紅葉の北海道
                                                    風次郎
                                                  fuujiro@jcom.home.ne.jp
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 3.北湯沢・中山峠・札幌・小樽

 すでに陽は落ちて渓谷を走るバスの窓には家並みの灯も見え始めた。453号線は2つの集落を過ぎて、中山峠、或いは支笏湖、千歳へ通ずる渓谷を辿っている。
 それぞれの谷は、オロフレ山、ホロホロ山からくる清流で、麓にせせらぎをもたらしている。
 私たちはその一筋、長流川の谷に湧く「北湯沢温泉」の「名水亭」にその夜の宿をもとめて行く。
 薄暗くなった頃、バスは峠越えに向かう453号線から導入路に入り、現れた巨大なホテルの建物のまえに到着した。
 野口観光というグループが道南の温泉地に繰り広げている施設の一角で、この温泉地は最近札幌周辺の人々にも人気を博しているとのことである。
 添乗員が、『この谷にある3つのグループ施設を巡る「温泉めぐりバス」が出ているからお楽しみを』と呼びかけていた。
 バスを降りて広々としたホテルのロビーに腰をおろすと、窓からは渓谷を走る峠道ををポツリポツリと走る車も灯りを点けて、流れのように行き交うのが見えた。
 暗がりでは紅葉の映えを眺めて歩くわけにもいくまい。と、今宵は名物の温泉を楽しむことにした。
 大浴場はロビーに接続して、露天風呂も備え、湯温を違えた大小5つのバラエティーに富んだ浴槽を揃えた豪華版であった。その下の階には、25メートルの温水プールもあって、日帰りの行楽客も多いらしい。
 私はぬるめの湯にゆっくり浸かり、サウナでリラックスして過した。
 湯に浸かると旅の疲労感もむしろ心地よい気分を助長しているように感じられるものである。お奨めの「温泉めぐり」には行きそびれたが、寝る前と朝湯の都合3度も入って堪能した。
 ホテルは大きな団体、また子供を伴う家族連れなどで満員の盛況のようだった。ホテルの設備も行き届いていたし、それにこの渓谷一帯はきのこの特産地とのことで、夕餉の膳は「きのこづくし」と銘打って正に珍味美味でよい滞在であった。

 翌朝は、453号線を更に長流川に沿って登っていった。素朴な有珠街道と言われるに相応しい山間の静かな町、大滝村の中心部を通っていった。
 長流川とは支笏湖に向かう276号線との分岐で別れ、広島峠という小さな峠を越えた。次は尻別川に沿って下り、尻別山のふところ喜茂別の町を通り抜けて行く。
 そして喜茂別からは230号線を中山峠へ向かうのである。そこから沿うのは喜茂別川であった。
 陽の光を真正面に受けた羊蹄山が、ここからは手にとるように間近に見えた。大きく端正で、山頂の薄雪が美しく輝いていた。
 道が中山峠への上りに掛かると、その羊蹄山からじりじりと離れていくのだった。

 中山峠は思いのほか近かった。
 峠に降り立つと、さすがに周辺は、秋は終えて、陽当たりを受けながらも少々肌寒く感ずるほどだった。峠の標高は831m、上ってきただけ麓との違いはあるということか。白樺の林はところどころに幹の白さを目立たせてボーとした印象に変わっていたし、松やモミの色濃さが、存在を主張している冬の風景に変わっていた。
 やや雲が現れて、喜茂別ですっきりと朝陽の中の端正な全容を見せていた羊蹄山は雪を戴いていた頂上を隠されていた。
 売店の暖かいお茶が旨かった。

 中山峠から定山渓へ下り、札幌市内へ、札幌は真駒内からまっすぐに中心地の大通公園へ向かった。
 私たちのツアーは、ここで札幌観光組とオプションの小樽観光組に分かれることになった。
 私たちは、札幌観光は以前経験していたこともあることだし、小樽へはまだ、はなが行ったことがなかったので小樽へ行くグループに加わった。
 中山峠で少し雲を見たときは「先の天気はどうかな?」と少し心配したのだが、札幌まで来ると又快晴に戻り、綺麗な北海道の秋の青空を取り戻していた。
 札幌の紅葉もまだ盛りを過ぎたばかりといったところで、大通り公園の楓が見頃のように色濃くしていた。

                         ○

 小樽は良好な港町として栄え、歴史の名残も多い。札幌からは約30分。札樽自動車道が開通してからより近くなり、地元の感覚は札幌郊外、ベットタウンの意識に変わっている。
 古い日本は日本海沿岸の都市を通じて流通産業が発展していたのだが、その最も北の商都は小樽であった。特に小樽はロシアとの接点を担って交易を進めたほか、石狩地方の石炭を船積みする基地として栄えたのである。勿論港は漁業が基盤であり北の海の海産物を賄ったことは言うまでもない。
 港町の繁栄によって、町中にまで運河を引き込まれた跡が、今、観光名所として賑わっている。現在の、経済を支えているのはその観光資源によっていると言えようか。
 とは言うものの、漁業の町の雰囲気も漂わせつつ、ロマンを感じさせる街だ。
 幾多の芸術家を育み、また文化人に愛されてきたところだと思う。

 運河の近くでバスを降り、「おれの小樽」という倉庫を改造した海鮮食堂で、石狩鍋とイクラののったごはんの昼食を食べた。それも旨かった。
 そのあたりは漁連の建物などが並ぶ第3埠頭の近くだったので、食後岸壁まで入ってみたが、閑散とした中に、人気の無い警備艇が浮かんでいるだけだった。小さなみやげ物の売店もあったが、留守番も手持ち無沙汰のように静かだった。シーズンを終えて静かになった時なのであろう。
 運河のほとりに造られた観光客用の歩道は、この第三埠頭に向かう中央橋と隣の浅草橋の間約100m位の遊歩道である。対岸の往年活躍したレンガ造りの倉庫を眺めながら散策する格好な企画が当たり、ここだけは通年、今では小樽観光に欠かせない存在のようだ。浅草橋には新たにデッキが設えられ、人だまりの中心となっている。
 歩いていくと歩道脇に簡単なテーブルを出した露天のアクセサリーなどを扱う店や、絵葉書、観光写真などを売る店が出ていた。また似顔絵を書く人、自作の絵画を並べている芸術家の卵に見える人が何人もいた。
 浅草橋からは広い17号線に沿って歩いた。
 ここでは街路樹の楓が紅葉残したままである。
 堺町という大きな交差点で道路を渡ってオルゴール堂の展示館を見た。
 私も、はなも長野の諏訪の出身だから、オルゴールと言えばついつい三協精機のオルゴールを思い浮かべる。三協精機のオルゴールが世界の80%を占めていた懐かしい時代があった。おそらくここのオルゴールも三協の流れを汲んでいると思う。
 北国の旅を楽しむ人に、オルゴールの音色は合っているのかもしれない。
 そのあたりは北一硝子や北一酒造の栄えた本拠地で、伝統の建物を店舗に代え展示館と観光ショップで客を集めていた。
 三角交差点になった場所に上品なケーキを並べた「ルタオ」という店があり、2階が喫茶室になっていたので、そこで休んで3時の集合時間までの時を過した。

                            ○

 3時ではまだ初冬の晴れた日の西陽は厳しさを感じさせない。
 高速道路を札幌に向かっている間、ずっと右後方から斜めの陽が追っているようであった。その陽は、丁度私たちが札幌の大通りテレビ塔の近くで札幌観光組と合流する頃に陽は落ちきった。
 千歳空港に向かう途中、お土産を買うために「道産市場」寄る頃はもう夕闇が迫り、何処と無く初冬の北海道に相応しい程の冷たい風さえ感じさせられるのであった。
 やはり、北海道の冬は間近にある。
 空はやっと、と言ってよいのか、雲を漂わせ始めていた。

 それはそれ、この3日間天気に恵まれすぎていた。何処かに潜む神様が、私たちのために、紅葉を保持し、10月も終わりに近いこの3日間、名残の機会を与えてくれたのであろう。
 そう思うことにして感謝しつつ機上の人となったのである。
                                                         (風次郎

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