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風次郎のColumn『東京楽歩』  
   No131(T−021)
 
桜 紅葉
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                                                     2009年11月29日
 桜の葉の散る頃
                                                    風次郎
                                                  fuujiro@jcom.home.ne.jp
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 桜の葉が濃い赤に染まってくると、秋もいよいよ終わりを告げると感ずるのである。
 桜は、日本の国花であり、どこの街へ出掛けても、道を歩けば桜並木のある通りを探すことは容易いほど、生活の近くにある木だと思う。

 私の住む国立は、春の花のシーズンには桜の名所とまで言われるところである。
 だから、JRの駅から、一ツ橋大学の正門方向に、まっすぐ伸びる学園通りを中心に桜並木がいたるところにあり、私は、秋が終わりに近づいたことを、桜の紅葉に浸って知ることができるように思う。

 家の近くにある多摩欄坂を下って、一ツ橋大の中和寮の裏側にあるラグビー場の周囲を、私はコースとして朝の散歩で通っている。
 1週間ほど前は、アメリカで見慣れぬ風景を見て過した旅から戻って、久し振りに朝の散歩に出ると、ここの桜の木は、葉が赤くなりはじめていた。
 「やはり、日本は桜だなー」と、秋たけなわの見慣れた風景や、朝の清々しい東京の空気に心を和ませながら、連れて歩く愛犬「ナナ」の足どりの軽さに満足しつつ、大木ながら、まだ散る潮時を迎えない桜の通りを歩いたのであった。

 そして1週間、季節の変わり目らしく、寒暖入れ替わりの織り成す日が過ぎていく。
 それにつれ、日ごとに桜の葉の赤色は濃さを増し、やっと私の好む濃さになってきた。桜は色づけば散るのが早い。 ――12月も間近に迫ったから、もう木枯らしも吹くかもしれない。風が吹けば散るに違いない。
 ――それまで何日あろうか――
 普段は、道路わきの金網のフェンス越しに、早朝から始まる、学生の元気なラクロスの練習をしばらく見ている。
 若い人が甲高い声を張り上げながら、活動している姿は実に好ましい。
 私は体波のように伝わってくるその活力を、少しでも我が身に受け入れたくて見入っているのだ。

 もっとも、そんな気になったのは、この地に住むようになってから、このラグビー場を訪れると、泥んこまみれになって、それこそ男っぽい、野生的なスポーツそのもののラグビーに勤しむ大勢の若者たちの姿が眺められたからだった。 彼らの練習は、鉄のトンボを引いて数人で強引に走ったり、古タイヤを腰につけて、グランドを駆け巡る。
 艱難辛苦の様を眺めては、自分の若かった時を思い出して楽しみ、感傷にも耽った。
 ――ここには、1年前は、金網も無かったのだが――
 ラグビーに比べれば、ラクロスは随分大人しいが、歩を止めて、若さを見つめるには不足というわけではない。
 ふと、だが、どうして、ラグビー場がラクロス場の如く変わってしまったのだろうかと、思いを巡らす。

 思い起こせば、昨年の正月頃から工事が始まり、グランド全体に人工芝が張られたのであった。
 グランドの形はラグビー場そのもので、体裁の良いスタンドやスコアーボードも設置され、ポールもラインも以前と変わらず、見栄えは極めてすっきりした。
 しかし、ラグビーの、どこかに勇猛を連想させる風景ではないように思う。
 それは、あの雨でぬかったグランドや、霜ででこぼこのグランドに、男達が群がり、スクラムやタックルでヘタバルまで泥んこになる図こそ、ラグビーを見る者に熱血をそそぐものである、が、
 ――人工芝では、それが連想できないのである。
 まして、周囲に金網フェンスが張られ、そこに繰り広げられている青春謳歌の群像にも近づくことを赦されず、何か隔てられた環境になってしまった。
 私の心の底では、それが不満として漂っていることを否めない。

 さらに、グランドが人工芝になってから、ラグビーの練習が見られなくなったように思う。
 ラグビー部は何処かへ練習場を変えたのだろうか。
 グランドが整備され、ラクロスの専用グランドになったような、小奇麗なラグビー場は、ゴールの長いポールとコートの枠を示す白線とだけが、ラグビー場の面影を残しているのみといった感じがする。
 ラクロスの若者たちも、勿論若々しく活発だが、いわゆる女子マネが黄色い声で号令を掛け、それを受けて男子部員が体操をするといった、若い人の和気藹々とした練習風景であり、優しい印象である。
 泥んこのイメージなど全く無い。
 しかも、人工芝のグランドにはその方が合っているようには思う。

 今日、グランドの周囲にも桜の木は点在しており、朝陽を受けて、葉の赤い色とグランドの表面との対比が鮮やかであった。
 この赤の濃さでは、最早1両日中には葉が落ちて、人工芝の上で、木枯しめいた晩秋の風に舞い遊ぶことになろう。 すぐに冬が来るだろうが、そうすれば、いま私の歩いている桜並木は葉を失ってボーとした裸の木に変わるだろう。
 その前に、グランドの端にある緑地の、コナラと欅の大木が、ぐっと黄色を濃くして、秋の最後の仕上げを飾るだろう。
 通りの銀杏もいよいよ黄色が出番となるのである。
 国立は、黄金色の街と化し、赤から黄へのほんの数日間、秋から冬へ、季節の衣替えを行いながら、秋の終盤を演ずることになる。

 木枯らしは必ずやって来る。
 気温が下がり、乾いた道路はつむじ風を交えて、ほこりを飛ばしながら、駆け抜けるいやな風が走る。
 街は必ず冬へ向かうのである。
 その頃になると、以前の、土のラグビー場には、よく砂ぼこりが立っていた。
 その頃になると、風下の民家に不愉快な思いをさせていたのであろうか、 誰かが言っていた。その民家の苦情が、学校に寄せられ、やむなくグランドも人工芝に変えたのだと。

 私は、泥んこのグランドで、頑健な若者達がラグビーの練習に励むのを、桜の木の下で眺めているのが楽しみだったから、 今泥んこのグランドを懐かしんでいるのである。
 少し黒ずんだ桜の紅葉の下を歩きながら、 
 今日はただ歩いているが、

 ――そうか、最後にラグビーの練習を見たのは、少し赤い桜の葉が散る、2年前の今頃だったな――
 と、懐かしむ。

                                                  (00.11.25)風次郎

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