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風次郎のColumn『東京楽歩』 (No583T-141)
新西宮ヨットハーバー
2019年3月
東京楽歩(No141)西宮散策
長男がアメリカから帰ってきて西宮に住み始めたので、昨年来時々は関西を訪ねる
機会に恵まれる。
私は、関西は元務めていた会社の成り立ちが大阪だった関係上、現役の頃は出張で
よく行ったが、すでに新幹線が通じて日帰りが多く、立ち寄っても新地の飲み屋街く
らいが関の山であったから地理も詳しくはない。
長男は西宮の新埋め立て地に建設された新西宮ヨットハーバー近くの住宅地の一角
に居を構えた。
あたりは都市計画に基づいで整備された処だが、昨年の高潮台風の時はヒヤッとす
るほどの高潮が来て、あわや床下浸水の危機に見舞われた。緑地の松もかなり風に倒
されたという。しかし、水辺の清々しい公園都市の雰囲気は捨てたものでないように
思う。
私も若いころ、葉山でヨットをやったが、当時はまだスナイプやシーホースという
2枚帆の小さなヨットが精いっぱいで、クルーザーヨットなど数えるほどしか海に出
ていなかった。だから、初めてここに来た時は、在籍艇数日本一と言うこの西宮ハー
バーの豪華なクルーザーやモーターボートがひしめく程係留されている光景に、「日
本も豊かになった!」とため息をついたほどである。
西宮ヨットクラブは芦屋市在住の海洋冒険家堀江謙一氏(関西ヨットクラブ名誉会
員)が所属しており、氏が一人で太平洋を横断に使った艇の展示に触れることが出来
る。
当時から西宮は日本にヨットが広まったメッカとして有名だったが、新ヨットハー
バーの計画は、西宮には埋め立て地再開発の一環としてリゾートホテル、テニスコー
ト、人工海水浴場、コンドミニアム、野外音楽堂、オペラハウス、アスレチッククラ
ブなどを併設した一大リゾートシティ構想とともに着工されたのであった。
残念ながら、バブル景気崩壊のうえ、阪神・淡路大震災があって、被災者向けの住
宅確保が急務となり、一大リゾートシティ構想は縮小されたが、新ヨットハーバーは
完成したのである。
堀江氏の記念すべき艇「マーメイド号」はこのハーバーのセンターハウス前に飾ら
れている。
私は、そのあたりから、朝のそよ風に時々「カラン‐‐‐カラン‐‐‐」とヨット
のマストにワイヤーの金具が当って奏でる音を聞きながら、ヨットの係留された岸壁
を歩いて、海へ繰り出していった若い頃を想い出しながらしばしの散歩を楽しんだの
である。
☆西宮という地名
もともとこの地の名前は西宮神社に由来することのようである。
であれば、昨今お正月のテレビなどを賑わす「十日えびすの西宮神社」のことが思
い浮かぶのである。
十日えびすの祭典は、御狩神事(みかがりしんじ)と言われていたという。この神
事の内容は今ではわからないのだが、住吉大社に鎮座している江比須社の神事次第に
は巫女が男装をして狩の舞踏をすることがあるので、こちらも類するのかと言うこと
のよう。昭和15年から、開門神事で何事も一番参りをされた参拝者を称えようと、先
着上位3名を福男として認定するようになったのだそうだ。
だが、昭和20年の空襲で社殿が全焼、翌年の十日えびすから福男選びは中止にな
ってしまったのであった。
戦後は昭和24年に南門が復元、開門神事も再開したのである。次第に大マグロの
奉納、有馬温泉献湯式等、新しい行事も加わった。
1月9日の夜12時になると、どれ程参拝者があっても門を閉じ、祭典の終わる午前
6時に表大門(赤門)を開くと、待ち構えた千人以上の参拝者が福を求めて本殿へ走
り参りをするのである。これが競走となる。
後学の為と思い、参拝を兼ねて現場を訪ねて見たところ、門と拝殿の間の距離は5
0mを超えるか?くらい。この間カーブが2つもあって先頭争いのド迫力を見せつけ
るのである。変わった祭り行事だと思う。
参拝者は3日間で百万人を超えるという。
「西宮」という名称の起源には諸説あるようだ。
1.えびす神を最初に祀ったと伝わる鳴尾(西宮市東部の地名)や古代の先進地域で
ある津門から見て「西の方の宮」という説
2.京都から見て貴族の崇敬篤き廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称してい
たが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶに至ったという説
3.「西宮」とは上述の延喜式内社の大国主西神社の事を指すとの説
いずれにしても、全国の恵比寿様の本宮と言うから、商売には欠かせないというこ
とか。
☆さらに、西宮と言えば今がシーズン「甲子園球場」である。
私はここも初めて実地に、既に毎日選抜高校意野球の出場チームがグランドで
習しているという球場を一周して眺めてきた。
2007年秋より、老朽化対策、耐震補強、快適性の向上、環境への配慮を目的に3年
計画で改修工事が進められ、2009年春には球場本体の改修工事が完了、2010年春には
外構整備工事が完了。いまや大幅にリニューアルした球場は風格整い高校球児の憧れ
の的に相応しい。
大正年間に始まった全国中等学校優勝野球大会は、豊中球場に始まり、第3回大会
から兵庫県武庫郡鳴尾村(1951年に西宮市と合併)にある鳴尾球場で開催されていた
が、人気の高まりにつれ同球場の仮設スタンドでは大勢の観客を収容しきれなくなっ
ていた。後には試合中に観客がグラウンドになだれ込んで試合が中断するという事態
まであった。
1923年の第9回大会で鳴尾球場に近い地元甲陽中が決勝戦で和歌山中との近畿対決
を制したことから、ますます地元中心に人気が高まって行く。
このことを重視した主催の大阪朝日新聞は、本格的な野球場建設を提案。一方鳴尾
球場の所有者である阪神電鉄も、鳴尾球場と同じ鳴尾村に流れていた申川(さるかわ
・武庫川の支流)と枝川を廃川とした後にできた埋め立て地の開発の一環で新球場の
計画を進めていたので双方の利害関係が一致したのであった。
当時の野球場では参考になるものが国内には無かったので、ニューヨークにあった
ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地、ポロ・グラウンズをモデルに設計されたと言
われている。完成するまでの名称は枝川運動場であったが、大正13(1924)年が十干
十二支の最初の組み合わせである甲子年(きのえねとし)という縁起が良い年という
事もあり、後に甲子園大運動場(看板表記は阪神電車甲子園大運動場)と命名された。
起工式は1924年03月11日、同年8月1日には竣工式が行われた。
日本で最初に誕生した大規模多目的野球場であり、収容人数は現在も日本の野球場
の中で最大である。
全国高等学校野球選手権大会および選抜高等学校野球大会という2大高校野球全国
大会が戦前から優先的に開催されており、日本国内では大学野球における明治神宮野
球場と並んで「野球の聖地」と称されている。
日本プロ野球セントラル・リーグの阪神タイガースの本拠地球場でもある。
風次郎
2019選抜高校野球開幕直前の甲子園球場入場口
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