☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
       
風次郎のColumn『東京楽歩』 (No579T−139)

        
                           四角の稲取岬灯台と 「どんつく神社」                                                                                                                                      

                                                                                2019年2月
          東京楽歩(No139)早春伊豆旅(2)


                              翌日は風の強い日になった。しかも北風で港から吹き上げてくる風が窓に当たってビ
                             ュービューと音を立てるほどであった。しかし、天気は良かったので近辺を散策に出る
                             ことにした。風はきつかったが、案外陽が当たっているので思ったほど寒くはなかった。
                              伊東園稲取ホテルの8階は、外に出るともう岬の頂上間近であり、裏玄関が設けられ
                             ている。この稲取岬には灯台がある。
                              私は例によって旅の朝散歩で暗いうちに港町を歩いてみたが、港の突堤あたりからは
                             まだ暗い海に光を送るこの灯台の灯かりが廻っているのが見えた。稲取岬灯台は、白い
                             光が30秒間にピカッピカッと4回光る「群閃白光」である。

                              「稲取岬灯台」
                              私たちはまずこの灯台を見に行った。
                              ホテルの裏玄関を出たところに小さな児童公園がありその脇に灯台へ登る小路があっ
                             た。約30mも行くと真っ白で4角の灯台がニョキっと見えていた。
                              これが現役の「稲取岬灯台」である。昭和47年3月に設置点灯された。海上交通の
                             難所である伊豆半島沖を航行し、相模湾に出入りする船舶の安全を確保するため、石廊
                             崎灯台、爪木崎灯台と並んで、海行く人達の道しるべとして大きな役割を果たしている。
                              灯塔高(地上から塔頂まで)は19m、標高(平均海面〜灯火)は72m、光度は28万カン
                             デラ(実効光度)、光達距離は22海里(約41km)である。無人で遠隔操作・自動式コン
                             トロールされ、内部は、一般公開はされていない。

                              稲取には旧街道に面した山手のトモロ岬に、明治時代の洋式灯台「旧稲取灯台」があ
                             った。六角形の変わった形の灯台で、昔から海の難所として知られたこの岬に、日本で
                             最初に女性の灯台守が誕生した歴史もあり、自体は現地に今も残されて町指定文化財に
                             なっているとのことである。
                              この「旧稲取灯台」は、今となって見ると斬新なスタイルで、レトロで必見と聞いた
                             のだが、其の処は私有地で観光客のメンテも行き届かないので土日のみ公開と知らされ
                             今回は断念した。
                              逸話にこの灯台は、難所と知られていた岩礁の断崖の真上に建てられていたので、一
                             日として灯を絶やすことはできず、台風などの風の強い日は、人一人入れる広さの石室
                             に、一晩中うずくまって番をしていたなど、灯台守の壮絶な苦労も語られている。
                              高さ3.3mの小さな灯台であるが、光達距離は10海里(18,520m)もあり、
                             晴れた日は、新島まで光が届いたそうである。又、ここに灯台が建てられたのは、見通
                             しだけではなく、北東から吹く「ならい」と呼ばれる特有の風が当たらないことも理由
                             の一つだったとのこと。
                              この灯台は終戦後の昭和29年9月になると、廃灯になり使われなくなった。その後
                             航海技術が発達すると、光達距離が長い灯台が必要となり、難所である伊豆半島沖を航
                             行する船舶の安全を願って、新しくできた「稲取岬灯台」の出番となったのである。

                              白亜が美しく、空の青色に生えて見るからに綺麗な、コンクリート造りの塔形(四角
                             形)をしている灯台である。旧稲取灯台に比し、光達距離は2倍、自動制御など、灯台
                             一つにしても、時代の流れが感じられる。
                              資材倉庫の屋上に設けられた展望台から、まさにパノラマと言おうか稲取岬から水平
                             線まで見られる壮大な景色を眺めた。

                              「どんつく神社」
                              灯台のすぐ下に「どんつく神社」と称する小さな祠があった。ここは毎年6月初旬に
                             港町を挙げて大掛かりに行われていた「どんつく祭」という祭礼の社である。何と、大
                             きな男性のシンボルを御神体としているとのこと。長さ3m ほどの朱塗りの御神体は立
                             派な物だそうな。
                              この御神体が、女性自身を御神体とする影の神社まで担ぎ出されたとか...。夫婦
                             和合、子孫繁栄を願っての奇祭で盛大大掛かりだったが、昨年祭り仕舞いをした由であ
                             る。本当に時代錯誤なのか――何故か誰に聞いても、祭り仕舞いの本当の理由は教えて
                             もらえなかった。?港町の若衆を奮い立たせる勇壮な祭りだったに違いない。社に近寄
                             り中を覗いたが中は暗くて良くは見えなかった。

                              「築城石」
                              急激な崖の道を降りて、海岸沿いを歩き漁港の船を眺めて歩いた。海風が強かったが、
                             ときに港町で潮風にさらされる早春も良いものであった。
                              港を正面から望むところに立派な構えの東伊豆町の役場があった。役場の前に大きな
                             切り石が飾ってあった。その昔、江戸城建築に携わった各藩は江戸城改修に携わるに際
                             し、要する築城石をここで求めて船で運んだ由である。堅質の安山岩が採石できる伊豆
                             半島の東海岸は、石丁場が多く営まれた。1606年から30年以上に渡り、月に2回ほど石
                             船3000艘が江戸と伊豆東海岸を往復していたと伝えられている。
                              稲取には「運ばれるはずだった築城石」がたくさん、今でもそのままの状態で残って
                             いるのだという。役場だけでなく、駅前のふるさと広場には石の展示スペースがあり、
                             運ばれず残されたことから「残念石」とも呼ばれて観光意客にお目見えする。
                              なかには「刻印」の刻まれた石もある。採石は労力のいる作業なので、採石者の証と
                             して模様や文字などが石に刻まれたり、課役大名の刻印もあるという。

                              「雛のつるし飾りまつり」
                              伝統行事、温泉情緒を楽しむ、江戸時代から伝わる習わしの「雛のつるし飾り」の雛
                             祭りが行われていた(1月〜3月)。雛段の両脇に人形を吊るして飾る風習とのことで
                             ある。子どもの幸せを祈り、親から子へ代々受け継がれてきた稲取が発祥の祭りとのこ
                             と。八幡神社、三島神社などの境内の雛壇を見て歩いたが、街中の店にもいたるところ
                             で吊るし雛(動物折り紙などが多い)の飾りを観ることが出来た。                 

                              港のこれも正面には漁港の雄らしき網元「徳造丸本店」と掲げた店が観光客を集めて
                             いた。海産物販売のみか、食堂が大繁盛、金目鯛料理を中心に、海鮮のメニューでのも
                             てなしが、私たちにも誘いをかけてきた。半ば期待を見透かされたように、稲取の味覚
                             を味わい昼食を楽しんだ。

                                                        〇
 
                              2時過ぎまでの散策は、心地よい疲れをともなって、帰路の車中は眠って帰ることに
                             なった。 
                              まことに優雅な2日の旅だったと言えようか――。

 
                                                                           風次郎 

    
街角の河津桜と「雛のつるし飾り」
                      

メルマガ・風次郎の「東京ジョイライフ」「東京楽歩」No140へ 
メルマガ・風次郎の「東京ジョイライフ」トップへ
風次郎の「東京ジョイライフ」ホームページのトップへ
風次郎の「八ヶ岳山麓通信」のトップへ
風次郎の「世界旅」へ