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風次郎のColumn『東京楽歩』 (No539T−132)
    
                                           宿泊したホテルハワイアンズ                                                                                                                                        

                                                                                2018年5月
          東京楽歩(No132) 常磐ハワイアンセンター



                              何年振りかで福島の常磐ハワイアンセンターへ行ってきた。
                              他愛のない仲間との飲み会の席上、石炭産業が大戦後の日本の経済改革に記した足跡の話題
                             (政府は復興の旗印に掲げた)と、昨今のエネルギー革命、それに企業経営の在り方などの論
                             議が展開され、我が若かりし頃話題を集めていた「常磐ハワイアンセンター」のことを語った
                             ことから、勢い余って仲間で一泊温泉リゾートを体験することになった次第である。

                                                          *

                              日本の戦後復興を果たすためには石炭産業を国策として振興する必要のあった時代(1940〜
                              )があった。
                              石炭業界には、朝鮮戦争(1950年6月- 1953年7月)による特需期にはがあり、その需要増か
                             ら一時好況となった。しかし、1950年代後半には労働運動の盛り上がりによるコスト増から低
                             価格な輸入石炭と競合し、さらに1962年10月の原油輸入自由化によってエネルギー革命が加速
                             して、構造的な不況に陥ったのであった。
                              しかるべく、常磐炭鉱(後の常磐興産)での整理解雇は1955年から始まった。
                              そこで炭鉱労働者やその家族の雇用創出、さらに同社の新たな収入源確保のため、炭鉱以外
                             の新規事業を立ち上げ構想から、会社は、『日本人が行ってみたい外国ナンバー1』だった「
                             ハワイ」に着目。炭鉱で厄介物扱いされていた地下から湧き出る豊富な常磐湯本の温泉水を利
                             用して室内を暖め、「夢の島ハワイ」をイメージしたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター
                             」の建設計画が登場する。
                              これには社内でも先行きを疑問視する声が強く、また炭鉱の最前線にいた社員たちの転身に
                             も根強い反対があり、「10年続けば御の字」という悲観的な見方すらあったと言われる。
                              しかし、最終的には当時の常磐湯本温泉観光社長(常磐炭鉱副社長兼務、後に社長)の中村
                             豊が押し切る形で事業を進めたのであった。改革は常にリーダーの決断力を要するものだ。
                             会社はフラダンス、タヒチアンダンス、ポリネシアンダンスのダンサーも、自前で設立した
                              常磐音楽舞踊学院から人材を供給するとした。
                              1964年に運営子会社、常磐湯本温泉観光株式会社を設立し、1966年にオープン。高度経済成
                             長を遂げる日本に於いて、1964年に海外旅行が自由化されたものの、庶民には高嶺の花という
                             時代であったから、開業前の悲観論を尻目にホテルが当時破格の1泊3万円以上ながら東京方面
                             から多くの観光客を集め、大型温水プールを中心にした高級レジャー施設として年間120万
                             人強の入場者を集めたのであった。
                              入場者は、1968年度には140万人を突破し、1970年度には155万3千人となりピークに達し
                             た。
                              だが、その後1971年のニクソン・ショックによりブレトン・ウッズ体制が崩壊してスミソニ
                             アン体制で、ドルが360円から308円に切り上げされ、さらに変動相場制移行とオイルショック
                             によって輸出に依存していた日本の高度経済成長は終焉を迎えることになる。
                              当センターの入場人員も、1975年度には年間110万人にまで落ち込み、横ばい状態が続き、
                             この時期、毎週日曜日や祝日にはアイドル歌手や演歌歌手の歌謡ショーなどを試みるが、1984
                             年度にはついに営業赤字を計上したのであった。
                              一方、1988年 3月常磐自動車道がいわき中央ICまで全線開通、バブル景気に沸く首都圏と
                             直結すると、1988年度に一気に年間140万人超まで入場人員が増加する。これを機に総事業
                             費50億円をかけてのリニューアルを開始。さらに1990年、オープン25周年を機に「常磐ハワイ
                             アンセンター」を「スパリゾートハワイアンズ」に改名、改革前進させる。
                              ただ、同年度および翌1991年度は年間140万人超の入場人員があったが、バブル崩壊で19
                             92年度には年間120万人台にまで減少する。さらに、1985年のプラザ合意により急速な円高
                             でバブル景気期には海外旅行が普及、1994年には円は1ドル=100円の大台を突破という円高が
                             進行、同年の航空法改正で格安航空券が一般化すると「本当のハワイに行った方が安い」とま
                             で言われるようになり、同年度以降、「スパリゾートハワイアンズ」の年間入場者は110万
                             人前後で横ばい状態、1994年度には再び営業赤字を計上することになる。
                              ――この段の改革は、1997年、日本一の大露天風呂「江戸情話与市」のオープンであった。
                             すると、同年度に年間120万人を回復し、ここから右肩上がりに入場人員の増加が続くこ
                             とになる。
                              これは、前身の常磐ハワイアンセンターから引き継いだ「ハワイ」「南国」というコンセプ
                             トに加え、海水浴と比べて日焼けの心配が低い屋内プールや美白の効能があるとされる温泉を
                             備えた当施設が美白を求める女性の需要に合致し、さらに東京や仙台などからの無料バスによ
                             る送迎サービスを行うなどの集客努力が功を奏したものと考えられている。
                              また、2000年にアクアマリンふくしまが開館して人気施設となり、いわき市内で回遊性が生
                             まれたという地域の参画振興も影響したと考えられている。常磐自動車道いわき湯本インター
                             チェンジから約3分という地の利もある。
                              2005年度には常磐ハワイアンセンター時代の1970年度以来の年間利用者数150万人を達成
                             した。
 
                              2006年、映画『フラガール』が全国公開された。映画『フラガール』は1965年の炭鉱閉山か
                             ら「常磐ハワイアンセンター」の誕生を支えた人々の物語である。公開以来、第80回キネマ旬
                             報ベストテン・邦画第1位、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚
                             本賞、話題賞(作品部門)、最優秀助演女優賞を受賞した。これを機に、「ワイワイ・オハナ
                             」「アロハタウン」「フラ・ミュージアム」などの企画を次々オープン。翌2007年度には過去
                             最高の年間161万1千人が入場し、かつ、初の年間160万人超を達成している。
                              フラガールのメンバーは、2011年 3月の東日本大震災にみまわれた被災者支援の一環として
                             福島県内の避難所を中心に全国142か所を廻って激励公演を行っている。

                              私は、ここは衰退産業活性化、地域振興などについて思考錯誤と実践の一つの典型としてと
                             らえる一人あり、今までの成功に拍手を送る一人とも思っている。経営改革に終止符はない。
                              「スパリゾートハワイアンズ」は、昔の状態からはすっかり変わり、連絡通路でアクセスで
                             きる大型ホテルも充実している。懐石料理を部屋で楽しめる「やすらぎ亭」や、大家族や三世
                             代でも寛げる「かぞくスイート」もある。家族揃って安心してプール遊びを愉しみハワイアン
                             ショーを観るといった家族旅行には格好だと思う。
                              厄介物扱いされていた地下から湧き出る常磐湯本の温泉水が、思考の転換でリゾートレジャ
                             ーに貢献しているとは驚きである。いわき湯本温泉は湧出量毎分5トンの豊富な湯量を誇るが、
                              この施設ではそのうち毎分3.5トン使用しるのだという。
                              また、古来より、いわき湯本温泉は、「三函(さはこ)の湯」と称され、平安時代「延喜式
                             神名帳」に記載のある温泉で、有馬温泉、道後温泉と並ぶ日本三古泉とも称されており、硫黄、
                             ナトリウムを含む「塩化物・硫酸塩温泉」(通称「硫黄泉」)である。

                                                       *

                              私たちは4つのホテル(ホテルハワイアンズ、モノリスタワー、ウイルポート、クレスト館)
                             のうち昔からあるホテルハワイアンズに泊まり昼も夜も魅力いっぱいのフラガールとファイヤ
                             ーナイフダンサーのポリネシアンショーを観て愉しんだ。

                             「アロハ ラパヌイ」の オープニングで始まり、イースター島、トンガ、ハワイ、タヒチなど
                             のフラダンス、サモアのファイヤーナイフダンス 華麗とエキセントリックで堪能できた。
                              プログラム半ばに設定されているフラダンス体験コーナーには沢山の親子で来ている子供た
                             ちがステージに上がり、ファミリームードがとても良かった。フィナーレの「アイナふくしま」
                             もいいと思う。

                                                                                  風次郎                              

                          
                      

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