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風次郎のColumn『東京楽歩』  
  (No497T−119)
    
     高岡の大仏(日本三大仏)
                                                                                                                                     

                                                                                   2017年5月
          東京楽歩(No119)初夏・高岡同期会

                       例年5月の半ばには会社勤めをしていた頃の同期会で小旅行を楽しむ慣例である。
                       8人の仲間なのだが、寄る歳はあらそえず、皆顕在とは言え健康上の都合が出てきて
                      なかなか全員が揃う訳に行かなくなった。今年は6人が参加、そのうち金沢に住んでい
                      る富山出身の二人が、高岡に招いてくれて東京から北陸新幹線を使って東京近辺組4人
                      が出掛け合流し、旧交を温めてきた。 

                       高岡市は、富山県庁所在地である富山市に次ぐ県第2の都市で、県西部(呉西)の中
                      心都市である。加賀藩主前田利長が築いた高岡城の城下町として発展したが、高岡城の
                      廃城後は商工業都市として、伝統工芸の高岡銅器に代表される鋳物の生産が盛んになり、
                      豊かな水と電力を背景にアルミニウム工業も発達してきたという。
                       高岡城が無くなってしまったのは、1615年の徳川の一国一城令による。危惧した前田
                      利常は、「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」という政策を掲げ、
                      高岡銅器や高岡漆器の技師を養成し“商工業の町”としての歴史が始まったと言われる。
                       近代では、1889年4月1日に青森県の弘前市などの全国30都市と共にいち早く市制が施
                      行され、日本初の市の1つとして、“高岡市”が誕生する。この頃から伏木港(現伏木
                      富山港伏木地区)での交易の振興など、県西部における中核的な市としての役割を果た
                      している。
 
                        「高岡」の地名は『詩経』の一節「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」
                      に由来し、前田利長が築城と開町に際して名づけたといわれる。
                       古代、現在の高岡の郊外は、越中国の国府であった。746年に国司として大伴家持が
                      赴任し、在任した五年間にとても多くの秀歌を残しており、高岡市が“万葉の里”と呼
                      ばれる由来とされるのである。 

                       新高岡に降り立つと、私達は駅前の海鮮屋で地元の海幸に肖って腹ごしらえをしたあ
                      と、早速地元組の案内で市内散策に出た。昨年来の再会を喜び、早速観光に出た。

                       先ずは高岡の大仏を拝みに出た。奈良の大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大大仏を称して
                      おり、また、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の呼称もあるということである。
                       歌人の与謝野晶子が高岡を訪れた際に、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評
                      したとか、実に端正な顔立ちの大仏である。市民ボランティアの方か?年輩のおじさん
                      が、丁寧に説明してくれ参拝の作法を説いていた。私は日本3大大仏を知らなかったの
                      で始めて頷けて良かった。

                       そのあと歴史を辿って城址公園を訪れた。
                       1605年(慶長10年)6月28日、富山城に隠居した初代加賀藩主・前田利長は4年後の16
                      09年(慶長14年)、富山城下の町人地から出火した火災の類焼により城内の建築物の大
                      半を焼失したため、利長は魚津城に移り、大御所徳川家康と将軍徳川秀忠に火災の報告
                      と、関野に築城の許可を貰う。
                       同時に城下町の造成も始めた。縄張(設計)は当時の前田家の客将だった高山右近と
                      されている。そして、同年9月、利長は「関野」を「高岡」と改め、未完成の高岡城に
                      入城した。しかし、1614年(慶長19年)5月20日に利長は死去(享年53)し、隠居城と
                      して使われたのはごく短期間であった。その翌年の1615年(元和元年)に一国一城令が
                      出され、高岡城は廃城させられたからである。(その代わり加賀国に小松城を築くこと
                      が赦るされた由)
                       しかしながら、廃城後も高岡町奉行所の管理下で、加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番
                      所などが置かれ、軍事拠点としての機能は密かに維持されたという。
                       変わって商業都市の歴史は、そこに紐解かれる。

                       城の遺構は現存せず、石垣の一部や井戸が残るのみである。
                       只、城郭は大きく緑豊かで清々しかった。堀に沿って桜並木が続き、春の桜はおそら
                      く市民を楽しませているのであろう。
 
                       私達は高岡市内から景勝地雨晴海岸を通って氷見市内を抜け、九段浜の「ひみのはな
                      」温泉(元国民健康施設)へ向かったが、翌日は再び高岡銅器や高岡漆器の産業展示、
                      ユネスコ無形文化財・富山県指定有形文化財に指定されている御車山(みくるまやま)
                      を観た。
                       御車山は、1588年(天正16年)に豊臣秀吉が聚楽第に後陽成天皇の行幸を仰いだ時に
                      使用した御所車を前田利家が拝領したものと言い伝えられている。それを加賀藩2代目
                      藩主前田利長が1609年(慶長14年)に高岡に城を築いて町を開いた際に城下の町民に与
                      え、以来、山町(やまちょう)と呼ばれる高岡城下10ヶ町が手を加えながら代々受け継
                      いできたものであるとの言われである。
                       安土桃山文化の面影を残す優雅な装飾が施され、装飾金具は江戸時代の名工達の手に
                      よる作品であり、木部も漆工達の優作で、絢爛であった。
 
                       氷見港の先、富山湾を見下ろす高台の「ひみのはな」は、温泉が掘り当てられた場所
                      に元国民宿舎としてつくられた施設である。良質の温泉に行き届いた管理で快適であっ
                      た。晴れればこの季節、富山湾を越える対岸の空には富山の雄大な立山連峰が浮かび、
                      絶景を見られるはずであった。が、しかし雨こそ降らなかったものの残念にも天気は下
                      り坂で海上にはガスが拡がって叶わなかった。

                       75歳、世間的にも後期高齢者の仲間入りをした面々ではあるが、長年同じ釜の飯を
                      食ってきた仲間たちの集まりはいつも和やかで楽しい。
                       回を重ねる度に健康談義の割合が増えるのはやむを得ないと言うべきか、今回も、い
                      つまでも言いたいことを言い合える機会を持とうと誓い合いつつ、語る一夜であった。


                                                                         風次郎


高岡 金屋町風情

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