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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No434T−109)
立春の紅梅と蝋梅(2016・2)
2016年2月7日
東京楽歩(No109) 立春―74歳の誕生日―
2月4日の立春は、風次郎の74歳の誕生日であった。
それほど暖かな日ではなかったが、雨の心配も無く薄日のさす穏やかな一日だった。
立春と言うことで春の近づいてくる様相を例年の如く物色するのである。今年は正月が暖か
く、早々と咲いてしまうかに見えた梅も、後の寒波でいつもの通りに戻ったようだ。我が家の
玄関前にある紅白二本の梅の木もそろそろと言った状態である。
風次郎は書斎の窓越しに見える咲き始めた紅梅を眺めつつ本を読みながら半日を過ごした。
そして昼からは、外に出て近くを散策しつつ、そこここの家の庭に花を咲かせた蝋梅や、早
咲きの水仙などを観賞させてもらいつつ過ごした。
74歳に達したことは、どうやら「尊い」と自分では思っている。
それはひとつには、私の父が73歳で鬼籍に入り信州の墓に眠っているが、私もその年齢を
無事に凌駕したことである。
そして又、この年齢は昨今「後期高齢者」と呼ばれるようになった75歳を迎える前の年、
と言うこと、中期高齢者を終える最後の一年に入ったと言うことで、若い(と言うのはおこが
ましいが)世代との決別の年に至ったと言うこと。
自分ではあまり意識しないまま老期に入り、いつの間にか高齢者の域に居る。ともすれば
一抹の寂しさをともなっても許されるのが一般的と思っていた。が、私はそんな感じを持つこと
は無かったように思う。
恵まれた人生を歩んで来たと周囲の恩恵に感謝しなければいけないのであろう。ある程度の
制約や週日のスケジュールに追われていた日々から解放されて、呆然と過ごす感に襲われやし
ないかと若干の危惧はあったが、その心配も心配で過ぎた。
ある程度友にも相手にされ、体も医師や薬の助けは要するものの、どうにかゴルフや散策に
は差支えることは無く、世間に貢献はできないものの、生活を楽しみつつ過ごしている。
妻と一緒に出掛ける旅行も憚る環境があれば不如意であろうに、難なく愉しめているのであ
る。
人は人として生まれてきて、人を得て、人と共に100年弱の人生を全うするが、家族、友
人に至る其の人々、そして自身の健康の大切さをつくづくと思う。3人の子供たちもそれぞれ
にどうやら世帯を構えて独立している今日である。
この大過なく暮らせる現実に謝意を抱きつつ過ごしたいと思う。
このところの2〜3年は、ガランとしてしまった家で、これと言う忙しさも無くなって、自
身としてはゆったりと過ごすようになったように思う。
有難いことだ。
○
午後も穏やかだった。
――歩を進めると、曲がりなりにも半生を生きて今日に至たり、この時に在る、至福の時と
の思いがよぎった。
余裕を感ずることができるのは、何と有難いことかと――。
誕生日 そぞろ歩きに 梅香り
ふるさとの 風花恋し 晴れぐもり
窓越しの 紅梅観つつ 読書かな (16.2.4 風)
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