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風次郎のColumn『東京ジョイライフ』  
   No1(T−001)


JR新宿駅東口

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信州への旅立ちの駅「新宿」       
                                                    風次郎
                                                  fuujiro@jcom.home.ne.jp
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                いつか東京に関するコラム-エッセイを書いてみたかった。
                しかし、いざ東京に関して書入っていく糸口を探すと、その図体の大きさは何処から
              入っていけばよいのか迷う。
                そこで今私が住む国立と、自分の古い在所である信州富士見町を繋ぐJR中央東線の
              沿線あたりを先ず取り上げようと思っている。
                であれば、なんといっても幼い頃から東京へ上った入り口は新宿だから、そのあたり
              へ歩を進めて書きはじめてみよう。

               信州それも諏訪、松本、あるいは伊那飯田といった南信地方の人々は、東京との接点
              を新宿としているのである。今でこそ中央東線は特急あずさ号がが走り、八ヶ岳山麓
              の「富士見」のような高原のリゾートの駅でも日に5往復は利用できる。
               新宿-富士見間を2時間と屈託のない距離のようであるが、私たちが小学校や中学校に
              通ったその昔は、当時の準急列車でも4〜5時間、普通列車(私たちは鈍行と呼んだ)だ
              と7時間もかかった。
               東京は遠い花の都であった。
               新宿駅に降り立つと、人の絶え間なく行き交う混雑、警笛を鳴らして独特の音を出し
              ながら激しく入り着ては出て行く電車に眼を奪われ、ホームから眺めるコンクリートの
              街並みに、花の都を感じたものであった。
               電車が立川を過ぎたあたりから複線の隣路線を来る反対側の電車とのすれ違いが度々
              あって、夜行の旅であれば窓明かりが激しく煌いて去っていく。
               ガタンガタンというリズミカルな音を聞きながら、「東京へ来たんだなー」と子供心に憧れ
              が満たされたものであった。
               その頃の東京行きは、東京での1日の時間をフルに使えるように夜行できて、明け行
              く都会の風景を、新宿に近づく列車の中から眺めることが多かった。

                「狩人」という兄弟2人のヴォーカルが「あずさ2号」という歌謡曲をヒットさせた時代が
              あった。もう30年も前のことだ。
               中央線複線化、と電化による特急列車の登場に寄せてこの歌は幅広い層に歌われ、日
              本アルプス上高地から流れ出る清流のイメージを絡めて長いことヒットした。
               当時東京暮らし始めて間もなかった私にとっても故郷との行き来に「あずさ号」は素晴ら
              しい利便を与えてくれたし、大勢に歌われる歌ともなった特急「あずさ号」に身をゆだねる
              快感は格別であったように思う。
               私の兄が下諏訪という諏訪大社の御柱祭りでは有名な駅の駅長だった頃だった。ま
              た、どういう縁か姉のご主人が「あずさ号」にも乗る松本車掌区の車掌で、「あずさ
              号」のことは私たち家族にとっても大きな関心事だった。
               何かの行事で兄弟が寄り集まったときに「やはり何といっても、あずさは2号が混む
              んだよなー、新宿発が朝の早い時間なのに。」と、そんな話題が展開したことがあった
              と思う。
               8時丁度に新宿を発っていた「あずさ2号」はその後ダイヤが改定されて夕方の松本
              発に変わり、歌詞の中に「−−8時ちょうどの、あずさ2号で−−」と歌う「狩人」は困った、
              とのエピソードを聞いたことがある。
               「あずさ2号」の歌がヒットしたことも、その列車を我が物のように思って使う沿線
              の人々には気持ちの良いことではあったが、山国で急坂もカーブも多く、スピードアッ
              プが遅れていたところへ、複線電化と特急あずさ号の登場によって私たちに東京はとても
              身近になったのである。

                                         ○

               昔の準急列車というのは、普通の列車が止まる駅の数を減らしたに過ぎない。その後
              中央線には急行「アルプス号」が登場し、石炭を焚いた蒸気機関車に変えて重油を使っ
              た専用車両が走ったが、スピードアップの決め手は複線電化であったのである。
               さらに路線の改善が進んだこともあって今や新宿-松本間を特急あずさ号は3時間を切
              って走っている。
               東京は何処からも近くなったといわれるが、信州からもとても近くなった。

               新宿が私にとっての東京の入り口。
               私は今、富士見へ下る長距離鈍行列車をむしろ贅沢として好むが、それでも東京の私
              の最寄の駅からは3時間と少しで行ける。
               近くはなったがいま、また新宿駅に立つと、山国信州へ旅立ちの駅「新宿」のイメージを
              捨てるわけにはいかない。

                                        ***
                しかし、中央本線(東線)には未だ単線のところがあるのをご存知だろうか?
                我がふるさと信州の茅野-上諏訪、上諏訪-下諏訪間である。事情はいろいろのようだ
               が、現今の事実として珍しいと思う。
                これも山国への旅の語り草ではあろう。
                                                                                             (風次郎)


「馬水槽」(今やモニュメント)が新宿通りの脇にあるある。19世紀に
ロンドン市内で馬や、犬猫、人間に飲料水を提供した石造の現物を
新宿区が贈られた記念物で、区の指定文化財となっている。

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