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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No301H−007)
ROSA CANINAと 野ばら
東京楽歩(H-006) 私的花語り(7) 「ばら(2)」 ―2013初夏―
童は見たり 荒野のばら
朝とく清く 嬉しや見んと
走りよりぬ
ばら ばら赤き 荒野のばら
われは手折らん 荒野のばら
われはえ耐えじ 永久に忍べと
君を刺さん
ばら ばら赤き 荒野のばら
童は折りぬ 荒野のばら
野ばらは刺せど 嘆きと仇に手折られにけり
ばら ばら赤き 荒野のばら
―― ゲーテ作詞(近藤朔風訳)――
ウィーン少年合唱団が唄う「野ばら」が良いと思う。
ゲーテが書いた原詩に、シューベルトとウェルナーが曲を付けたのだと思っていたが、何
とベートーヴェン、シューマン、ブラームスを始め、多くの作曲家がこの詩に曲を付けてい
るとのことである。
私はウェルナーのものが好きだ。野を歩きながら歌うにはシューベルトの方が相応しいテ
ンポの曲にも思うが、そもそもゲーテが1771年にシュトラースブルク(ストラスブール)
でen:Friederike Brionという女性に恋をし、その女性に贈った詩とのことだから、ゆっ
たりとしたウェルナー曲は、純情な少年を思わせる曲想と思う。
もっとも、今回調べたら、どちらも近藤朔風氏の訳なのだが少しづつ歌詞が違っている。
曲想に合わせて、誰かが微妙に訳詩を違えて歌いだしたのだろうか?
ゲーテの原詩を訳したのは手塚富雄(下掲)であった。
野にひともと薔薇が咲いていました。 そのみずみずしさ 美しさ。
少年はそれを見るより走りより 心はずませ眺めました。
あかいばら 野ばらよ。
「おまえを折るよ、あかい野ばら」
「折るなら刺します。いついつまでもお忘れないように。
けれどわたし折られたりするものですか」
あかいばら 野ばらよ。
少年はかまわず花に手をかけました。 野ばらはふせいで刺しました。
けれど歎きやためいきもむだでした。 ばらは折られてしまったのです。
赤いばら 野ばらよ。
この詩に歌われている野ばらの品種とはロサ・カニーナ(いぬばら)であることも今回知
った。だが、赤いいぬばらは見つけることができなかった。
○
バラ(薔薇)は、バラ科バラ属の種の総称であるが、咲き方はさまざま、普通は棘がある。
バラ属の植物は、灌木、低木、または木本性のつる植物で、昨今改良された園芸種も多い
が、葉や茎に棘があるものが大半と思う。花は5枚の花びらと多数の雄蘂を持つ(ただし、
園芸種では大部分が八重咲き)。北半球の温帯域に広く自生し、チベット周辺、中国の雲南
省からミャンマーにかけてが主産地とのこと、ここから中近東、ヨーロッパへ、また極東か
ら北アメリカへと伝播した。南半球には自生のバラは無く、世界に約120種があるという。
もうすぐ来る6月の誕生花でもある。
花言葉を紐解いたら、「愛」「美」「内気な恥ずかしさ」「輝かしい」「愛嬌」「新鮮」
「斬新」「私はあなたを愛する」「あなたのすべてはかわいらしい」「愛情」「気まぐれな
美しさ」「無邪気」「爽やか」と、やはり「愛」にまつわる花らしいものばかりであった。
それも、色や本数で使い分けるということだから、愛する人に捧げるときは慎重を期す必
要がありそうだ。
古代ギリシア・ローマでは、バラは愛の女神アプロディテもしくはウェヌス(ヴィーナス)
と関係づけられた。その為、北アフリカや中近東の属州で盛んにバラの栽培が行われた。
また香りを愛好され、香油も作られた。
エジプトの女王クレオパトラはバラを愛好し、ユリウス・カエサルを歓待したときもふん
だんにバラの花や香油を使用したと伝えられている。
暴君として知られる第5代ローマ皇帝ネロも同様にバラを愛した人物で、彼がお気に入り
の貴族たちを招いて開いた宴会では、庭園の池にバラが浮かべられ、バラ水が噴き出す噴水
があり、部屋はもちろんバラで飾られ、皇帝が合図をすると天井からバラが降り注いで、料
理にももちろんバラの花が使われていたと伝えられている。
但し、中世ヨーロッパでは、バラの美しさや芳香が「人々を惑わすもの」として教会によ
ってはタブーとされ、修道院で薬草として栽培されるにとどまったと言われる。
イスラム世界では、白バラはムハンマドを表し、赤バラが唯一神アッラーを表すとされた。
白薔薇は「崇高」。ビゼーの組曲で有名になった「カルメン」はたばこ工場が引けて門を
出る時は「白バラ」を口に咥えていたというから、まさに、らしさ、したたかさを思わされ
る。バラは「千夜一夜物語」にも登場し、こちらでも物語を彩るのだ。
中近東のバラが、十字軍以降ヨーロッパに紹介され、ルネサンスのころには再び人々の愛
好の対象になっている。
イタリアのボッティチェッリの傑作「ヴィーナスの誕生」においてもバラが描かれ、美の
象徴とされているほか、ダンテの『神曲』天国篇にも天上に聖人や天使の集う純白の「天上
の薔薇」として登場する。またカトリック教会は聖母マリアの雅称として「奇しきばらの花」
(Rosa Mystica)と呼ぶようになっている。
日本でも諸作家に取り上げられ、宮沢賢治は「グリュース・アン・テプリッツ(日本名:
日光)」を愛し、北原白秋も詩の中でバラを詠っている。
○
「酒とバラの日々」という世界を風靡した音楽があった。
ヘンリー・マンシーニ (Henry Mancini) の楽曲は、同名の1962年封切りの映画『酒
とバラの日々』の映画音楽"Days of Wine and Roses"である。東京でもナイトクラブでは必
ず演奏され、私は特にピアノ演奏が好みで聴き入って時を過ごした。
映画は、徐々に酒におぼれる新婚夫婦の悲しい物語であったが、曲はアカデミー歌曲賞に
選ばれた美しいものである。グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀編曲
賞も受賞している。
映画のストーリーは、サンフランシスコにある宣伝会社の渉外係ジョー・クレイ(ジャッ
ク・レモン)がお得意先のパーティーで、大会社の秘書カーステン・アーセン(リー・レミ
ック)をセミ・プロの女と間違えて怒らせてしまったことが切っ掛けで恋に落ち、陽気で酒
好きのジョーと甘党のカーステンは結婚する。
幸福な月日が流れ、女の子も生まれたが、ジョーは相変わらず飲み続け、カーステンも彼
に付き合って少しづつ飲むようになる。
ところが、ジョーは酒の上の失敗で減俸され出張がちに、カーステンは酔い潰れてアパー
トを火事にしてしまい、この事件でジョーは遂にクビになってしまう。ジョーは次々に職を
変えカーステンも飲んだくれになっていく。2人は禁酒しようと努力したが何度も失敗、健
康をも害して住まいも貧民街に移る。
アル中のジョーはやがて、アル中患者更生の相互補助団体(A・A)の集会に出るように
なったが、カーステンはアル中ではないと言い張って家出してしまう。ジョーが、簡易旅館
で彼女を見つけるが、会った2人は誘惑に負けてまた酒の虜になってしまう。2人は補導員
に諭され、ジョーが更生するまで会えないことになった。
そして1年経ち、真面目に働き続けて小綺麗なアパートに住むジョーの所にカーステンが
現れたが、誓ったのは節酒でしかなかった。自分をアル中と認めない彼女はジョーの言葉に
絶望して去る。
目覚めたジョーと暮らす女の子デビーが、ママはいつ戻るのと聞いた時、「病気が治った
ら帰ってくるよ」と答えたジョーは、デビーを抱きよせ「勇気と知恵を与えてください」と
A・Aの決めた言葉で祈るのだった。
この物語の「薔薇の日々」は想いの中の幻想ということだろうか。
○
若い頃、棟方志功の版画の彫刻作業をしている現場に遭遇して以来、師の作品である「ア
メノウズメノミコト」に興味を魅かれたことがある。
版画家棟方志功は彼女を「肉体の神である」と讃えたが、その作品は当時ヌードダンサー
で名を馳せていた「ジプシー・ローズ」をモデルとして描かれたという。
ローズは幼少時より日本舞踊、バレエを習い、女優を目指して長谷川一夫主宰の「ロマン
ス座」と共に1949年に上京、進駐軍のキャンプ周りの踊り子を経て、15歳で浅草常盤
座でジプシー・ローズという芸名でデビューした。(アメリカにも同名の有名ストリッパーがいた
が、お互いの由来はわからない)要するに流れ者の薔薇ということだ。
彼女の資質を見込んだ元俳優・演出家正邦乙彦の演出の下、作家の田中小実昌が「混血か
と思っていた」という程日本人離れしたエキゾチックな容姿と、厳しい訓練の上で習得した
グラインドという大胆なダンステクニックで人気を博し、昭和20年代後半には「ストリッ
プの女王」と呼ばれたのであった。
日劇ミュージックホールでも大人気を獲得したが、そのことで他のダンサー達の反感を買
い虐めを受けることになり、加えて彼女のグラインドダンスが扇情的過ぎるということで、
当局から禁止されてしまう。得意な売り技を封じられたことによる焦りもともない、酒量は
増え続け、正邦と、山口県防府市でスナックを開店したが、その2年後にアルコール中毒に
よる心臓麻痺によって享年32歳で生涯を閉じた。
悲しい日本版「酒とバラの日々」であっただろう。
「美しく惑わせる」薔薇物語は幾多数えてやまない人生模様、現代も続いているように思
う。
薔薇は愛の象徴であろう。
愛は陶酔を誘い、棘もあるグラデーションの世界は、香りもともない、酒に通ずるのだろ
うか。
薔薇は静かに眺めるに限る。
風次郎
RED ROSE
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