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風次郎のColumn『東京楽歩』
(No294H−002)
東京楽歩(H-002) 私的花語り(2) 「椿」 ―2013春―
ことしの椿は順調だった。2月中は比較的寒かったから花持ちが良かったのかも知
れない。
好きな花の一つである。木に咲いているのが良い。
冬のうちから花をつけ、いじらしいほどの美しさで心を和ませてくれる「椿」には
何処となく品があると思う。花の色が真紅から純白までどこか徹した感まで漂う。
花言葉が「理想の愛」とか「謙遜」「気取らない美しさ」はたまた「理想的な愛情
」というものまであるから、頷けるということか。
花を観る期間は長い方だろう。早咲きのものは雪があっても冬さなかに咲く。
我が家の狭い庭先にも2本の藪椿があって、何も花の咲かない冬の窓を楽しませて
くれている。
春になって沢山の花をつけたかと思うと、ボタボタといった風に散る、というか花
房を地に落としてその花命を終えるのだ。それが当たり前のこの花の終わり方と知る
までは、我が家の木は病があるのか?と思ったりしたのだが――。いささか穏やかな
終わり方とは言えない思いで例年後を片付けるのである。
これは、花の花弁が個々に散るのではなく、花弁が基部でつながっていて萼を残し
て丸ごと落ちるさまであるらしい。それが首が落ちる様子を連想させる(まさに不気
味でさえある)ために入院している人間などのお見舞いに持っていくことはタブーと
されているのだそうだ。
しかし、その花が「理想の愛」などと尊高な花言葉を得ているのは、見栄えの勝利
と言うべきことか――。
日本原産で、野生種の標準和名が「ヤブツバキ」だそうだ。近縁の「ユキツバキ」
でさえも亜種とする説もあるとのことだが、もともと本州から南の海岸地帯には「ヤ
ブツバキ」、山形・新潟の山中には「ユキツバキ」が自生したということも聞くから、
日本の花木であることには間違いなかろう。
秋田に住んだ頃、椿の北限と言われる男鹿半島の地を訪ねたことがあった。海の見
える岩山の南台地に群生の一落があった。「北限」にやや感激したものだったが、後
になって自生のものでも青森県夏泊半島まで分布していると知り、少しがっかりした。
昨今数々の園芸品種が出現して色々な花を見るようになった。19世紀に西洋に渡
ってから、八重咲き・牡丹咲き・獅子咲きなどや、大〜極大輪花など艶やかな種類が
増えたのだと聞く。
また、サザンカとはよく似ているが全く別種のようだ。ツバキは萼と雌しべだけを
木に残して丸ごと落ちるが、サザンカは花びらが個々に散る。そして、花が完全には
平開しないツバキに対し、サザンカは、ほとんど完全に平開することと合わせ明確な
違いとして見分けられるのである。
○
「あんこ椿は恋の花」と謳われる。そして「花は越後の雪椿」と耐えて美しく生き
る母の姿にも謳われたり、韓国の名歌「釜山港へ帰れ」では「椿咲く春なのに、あな
たは帰らない――」と恋人になぞらえて故国を思いやる題材になっている。むしろ花
言葉を「愛しさ」に変えて良いと思う。
アレクサンドル・デュマ・フィスの小説「椿の花の貴婦人」、またそれを原作とす
るジュゼッペ・ヴェルディのオペラ(原題は「堕落した女」)にも主人公の好きな花
としてこの「椿」が登場する。「椿姫」という題名云々はともかく女性の愛しさを語るに足
るストーリーだと思う。
それは春を待ち、春に淑やかに花開く椿の花を捧げるに相応しい。春の季語「花椿
」の所以である。もっとも「寒椿」「冬椿」も冬の季語になっているからやはり花の
期間が長いということか。
花は完全には平開せず、カップ状のことも多い。まだまだもう少し開くまで、と思
って見ているそんな花が「ぽたり」と落ちて散る。
――そんな1シーンを昔「椿三十郎」という映画で見た。 黒澤明監督作品で、三
船敏郎扮する椿三十郎の侍もの大活劇、‐‐‐とある藩で、上級役人の汚職・不正を
暴くために立ち上がった9人の若侍たちが、逆に悪人の罠に掛かり絶体絶命の危機に
さらされてしまう。その時、一人の浪人「椿三十郎」がどこからともなく現れて・・・・成敗す
る。「弱い立場の人々や困っている人を見て見ぬフリができない」伝統的大和魂の愛す
べきヒーローが「椿三十郎」であった。
屋敷の縁先にポタリと散る「椿」のシーンを殺陣の予兆とする映像の流れなど、赤い花
びらの印象が頭中に残る懐かしい映画だった。
桜が咲くと椿も消えていく。
風次郎
我が家の庭の椿
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