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風次郎のColumn『東京JOYLIFE』  
   No308(C-31)
     
   長坂駅
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          中央線各駅停車 31.長坂                                                   

                         中央本線の下り列車の車窓には甲斐駒ケ岳が頂上直下の大きく嶮しい北壁を見せつけなが
                        ら迫ってくる。峰の先をさらに続いてアサヨ峰、鳳凰三山に向う南アルプスの稜線が、緑の
                        季節には麗らかに見える山並みを誘うように遠のいていく。
                         冬の落葉松の頃はその隙間を通して芽吹きを伺い、紅葉のときはその雑木林の彼方にこの
                        連山を仰ぐことができる。
                         春は農場の先、右手の丘の上に長坂の街が見え、街を見つけると、桜の木の下の狭いホー
                        ム、反対側は傾斜地と竹林のある長坂の駅に列車は入っていく。
                         木々繁った土手の脇のような駅に到着する。ホームはとても狭い、幅は2mくらいだ。
                         標高740m、駅は小さい。掘割にスイッチバックで開設された駅であったが、それは複
                        線化に際して廃止された。
                         駅舎は階段を上って行った先にある。北杜市の代表駅であり、駅前広場の脇にモダンなガ
                        ラス張りのコミュニティーホールがあるが、何時も閑散としていて何となく持て余し気味。
                         駅前の商店街、北杜市役所、警察署が街の体裁を囲ってはいるが、静かな高原の街に変わ
                        りはない。駅の八ヶ岳側が街並みである。坂道を右に歩いていくと少し下り坂になる。この
                        坂が晴れた午後は絶好の富士を望む位置になる。坂を下る道路は緩いカーブを描いてから上
                        がっていく、他の道路を抱き込み七里岩街道(七里岩ライン)へ続いていく。先の丘には古
                        い松の木が連なって立っており、そこは研究所の芝養成地となっている緑地である為平らか
                        に手が入れられて広々と、松はまるで盆栽のように見える。
                         その上に浮かぶ富士は青空にのびのびと大きい。新雪を纏った晩秋に見るここの富士は塩
                        川の谷が遥かに南に向かって続くので、正に孤高である。谷間の広さは午後の気流が白いベ
                        ールを敷いたように周囲に淡く富士を浮かび上がらせるのである。
                         この富士は車窓からも見られる。
                         孤高の富士から眼を転ずれば、東に茅が岳、金峰山が並ぶが、道を行くのであれば、振り
                        返ると勿論八ヶ岳が望める。

                         ここには武者小路実篤や志賀直哉を始めとする白樺派同人と親交のあった銀座吉井画廊社
                        長だった吉井長三が私財を投じて実現した。清春芸術村及び清春白樺美術館がある。「清春
                        白樺美術館」は武者小路実篤、梅原龍三郎ら白樺派の巨匠の絵画を展示。また、ルオーやセ
                        ザンヌの作品も観ることができる。
                         私は数年前ふと訪れた時の印象の良さに誘われて、このところ時々通うのであるが、静か
                        な自然の中で優れた作品に囲まれる雰囲気をまさに珠玉の時と感ずる場所としている。

                         清春芸術村及び清春白樺美術館の構想は、岩波書店会長であった小林勇(自らも文人画家
                        )と吉井長三の交友に始まる。構想は小林の絵画展「冬青展」の開催を吉井画廊で引き受け
                        て以来のもので、青春芸術村、青春白樺美術館の実現に向けて小林は吉井のよき相談相手で
                        もあった。旧清春小学校校舎がまだ残っている頃に、両人で現地視察している。
                         しかし、その際すでに実地調査を済ませた建築家の谷口吉郎から、老朽化した校舎の活用
                        は不可能な上、美術館やレストランの配置にいたる具体案が既に示されていた事から吉井、
                        小林の提案を謝絶すると言われ、小林は一旦は激怒して去っていったのだった。
                         また、同じ頃、地元の長坂町の町議会議員の一部がこの計画に頑強に反対しており、吉井
                        も一時はあきらめかけていたと言われる。方や小林は吉井に内緒で一人現地に足を運び、反
                        対派の町議会議員を説得したのであった。その後、小林が病に倒れ現地を再訪する事はつい
                        に叶わなかったのである。
                         ついに吉井が、旧北巨摩郡長坂町の清春小学校(きよはる・しょうがこう)跡地を買い取
                        り、1980年(昭和50年)4月に「清春アートコロニー」(清春荘)、翌年の1981
                        年4月にアトリエ「ラ・リューシュ」を建設。その後も美術館関連施設を順次建設及び移築、
                        2003年(平成15年)には白樺図書館が開館と構想は実現している。

                         吉井の依頼により、清春芸術村の基本設計は建築家の谷口吉郎が担当が、そして谷口の死
                        後は、息子谷口吉生が引き継ぎ、清春白樺美術館やルオー記念館の設計を担当した。清春白
                        樺美術館の歴代館長は、西洋美術史家の三輪福松などがおり、2000年より画家岸田夏子
                        (岸田劉生の孫)である。
                         構内に残っている1925年(大正14年)の旧清春小学校の校舎落成の記念として植え
                        られた桜の老木が敷地を囲み、春には桜の名所としても知られるようになった。指定名称清
                        春のサクラ群として昭和41年には山梨県の天然記念物に指定されている。また桜では鎌倉
                        の小林秀雄(吉井との交流があった)旧宅より桜の木が移植されている。
                         芸術村の中心となる施設、アトリエ「ラ・リューシュ」は、フランスのパリ、モンパルナ
                        スのアトリエ、ラ・リューシュ(蜂の巣)を模した物。清春芸術村の有料の貸しアトリエと
                        で、一般にも利用することができる施設となっている。村内の施設「ルオー礼拝堂」は宗教
                        画家ジョルジュ・ルオーを記念した礼拝堂。ルオーが制作したステンドグラス「ブーケ(花
                        束)」が窓を飾り、祭壇背後の十字架上のキリスト像は、ルオー自身が彩色し毎日祈りを捧
                        げていた実物を、次女イザベル・ルオーが清春芸術村へ寄贈したのである。
                         他の施設には、東京都新宿区市谷より移築した、吉田五十八設計による梅原龍三郎のアト
                        リエがある。また、吉井長三の友人であり、協力者小林勇の旧居「冬青庵」を移築した和食
                        処もある(冬青は小林の雅号)。他に藤森照信が設計し、漆喰塗り作業を縄文建築団メンバ
                        ー赤瀬川原平、南伸坊、林丈二らが協力して建設した茶室『徹』(命名は作家の阿川弘之)
                        、美術館に隣接したレストラン 『ラ・パレット』、安藤忠雄設計の光の美術館、エッフェル
                        塔の螺旋階段の一部などがあって時を過ごすのに事欠かない。

                         長坂の町は、山梨県北西部の北巨摩郡にあった町。町域北部は長野県との県境付近にあた
                        る。2004年(平成16年)11月1日に他の7町村と合併、北杜市となった。
                         山紫水明の八ヶ岳南麓の街、 町内の三分一湧水、女取湧水が名水百選に「八ヶ岳南麓高
                        原湧水群」として選定されている。
                         山麓には湧水から発する鳩川・大深沢川などの河川が南流し、これらの河川はさらにその
                        支流である高川、女取川、古杣川と合流し釜無川となり甲府盆地へ向かっていく。町域南部
                        の平坦地に集落が集中しており、中央本線や中央自動車道など交通機関が通過している。
                         町域東部は鳩川により形成された大八田田圃、穀倉地帯である。
                         八ヶ岳南麓は旧石器時代から縄文時代の遺跡が数多く分布する地域であり、町域だけで2
                        00ヶ所以上の考古遺跡が確認されているとのこと。縄文時代の遺跡では長坂上条の酒呑場
                        遺跡が縄文中期の大規模集落遺跡、長坂上条遺跡は縄文後期の配石遺構の見られる遺跡とし
                        て知られる。平安時代に至ると八ヶ岳南麓では牧経営と関係した計画的集落が出現し、柳坪
                        遺跡など大規模集落が見られる。中世には長坂氏屋敷跡などの土豪屋敷があった。

                         甲信国境に近いことから、戦国時代には武田晴信(信玄)期の信濃侵攻における軍事的拠
                        点となり、長坂郷には武田家臣の長坂光堅の屋敷が所在したという。天文9年(1540年
                        )には小荒間において信濃小県郡の村上義清との合戦が行われた。宝永元年(1704年)
                        には全村が甲府藩領となり、享保9年(1724年)甲府代官支配となった。
                         生業は稲作・畑作であるが、町域は高低差があるだめ生業は北部ほど畑作の依存が強く、
                        湧水地を活用した南部ほど水田が多い。

                         長坂町の歴史や文学的な資料を展示している「長坂郷土資料館」も清春芸術村の隣接にあ
                        る。

                         列車はさらに八ヶ岳の裾野を登っていく。長坂の街はかなりつづいている。駅を発つと、
                        まばらな家並みを左右に見ながら進み、それが途切れると掘割を左へゆるいカーブを描きな
                        がら進み山中へ入っていく。
                         雑木林ばかりだ。やがて、八ヶ岳の形が西側のそれを見るようになる。
                                                                           風次郎                                                                                    

      
           清春芸術村アトリエ「ラ・リューシュ」&梅原龍三郎のアトリエ     

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