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風次郎のColumn『東京JOYLIFE』
No304(C-28)
韮崎駅
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中央線各駅停車 28.韮崎
甲府側から塩崎の駅を越えて来ると、塩川が釜無川との合流地点に至るあたりに長い絶壁
の連なりを形成している様子が見えるようになる。列車はその河岸段丘の下を潜るトンネルを
過ぎて、鉄橋を渡り、塩川と釜無川に挟まれた洲の中の平地に入っていく。韮崎の街は洲の中
にある。
駅は流域からはやや離れるが、橋上駅であるそのホームから振り返ると、そちら釜無川に沿
って高い岩で形成された丘陵(七里岩)があり、その岸壁の上に平和観音像が立っている。
丘陵はそこで終わっているから、白い大きな観音はそこから平らかな民の里を見守っている
ように見える。目立つだけに、駅からこの観音像を見上げれば、一度は足元を訪れたい気には
なるものだ。
私も降り立って、つづら折りの坂道を上って行ったことがあった。
平和観音は昭和36年に市民の平和や登山者らの安全を祈願し、市街を一望できるこの地、
七里岩南端に建立されたのであった。今、その優佳さゆえ、関東三観音のひとつに数えられて
いるという。台座の周辺は公園になっており、文豪山本周五郎の名作「山彦乙女」の文学碑と松
雄芭蕉が「野ざらし紀行」の途中に詠んだ句碑なども建つていた。
そして七里岩の岩崖絶壁の中段にある一大洞窟には雲岸寺があり、聖観世音菩薩、弘法大師
御尊体、千体地蔵尊のほか数知れず石仏が安置されていた。御堂の建築様式は室町時代のも
のということで岩壁に張り出した舞台作りの珍しい建造物である。
「韮崎」の地名は、長く伸びる七里岩がニラ(韮)の葉のように見え、その先端(崎)に宿
場町が位置していることに由来するなどの説がある。航空写真で見るとなるほどと思う。市の名
は近世の韮崎宿に由来する。
市域東西の山麓・台地は乏水地帯で生業は畑作が中心であったが、近世には東部の茅が岳山
麓や西部山麓で水利の開鑿が実施されるなど新田開発も行われ、米麦栽培のほか、木綿や煙草
の栽培も行われた地域である。
古くから川伝いに、甲斐、信濃、駿河を結ぶ交通の要衝であり、甲州街道(甲州道中)や駿州往
還、塩川沿いの佐久往還などの宿場町である韮崎宿が整備されていたほか、河岸も設置され甲
斐北西部や信濃からの廻米輸送も行われたのであった。明治以降にも、韮崎宿は県北西部から
信濃地域における交通・流通の拠点としての地位を保ち、繁栄を見せていた。
今、かつての氾濫原であった平坦地に沿って市街地となっているのであり、市域中央には釜無川、
塩川の両河川が南流している。
明治36年に中央線が開通すると、鉄道によって通過地となった韮崎は交通の要衝としての地位
が低下することになってしまった。
この地域は県北西部に位置し、甲府盆地北西端に属する。やや横長の市域で、東西は南アル
プス国立公園や県立南アルプス巨摩自然公園に属する山地や丘陵地である。西部は赤石山系
に属する巨摩山地で最西部の鳳凰三山などがあり、東部は茅ケ岳丘陵に属する言わば山岳都市
である。
又、この地から出た著名人に小林一三(実業家/阪急東宝グループ・宝塚歌劇団創立者)がいる。
韮崎駅(にらさきえき)は、山梨県韮崎市若宮一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央
本線の駅である。島式ホーム1面2線をもつ地上駅。駅は斜面にあり、かつてはスイッチバックが
あったが、複線化に際して本線上にホームを設置し、スイッチバックは廃止された。
そのホームは駅舎などより高い位置にあり、ホームから駅舎へ行くには地下道を少し下る。
勾配の区間にホームが設けられているため、小淵沢寄りに向かって線路とホームは緩い上り
坂となっている。
駅舎はコンクリート2階建て。丁度2階部分がホームと同じ高さに当たる。
ホームに立てば、東は茅ガ岳山系につづく広い裾野と長い稜線が市街地に及び、他方西は南
アルプス山脈を彼方に、目前の観音山を眺めるのである。
風次郎
商店街の小路を抜けて平和観音像を見上げる
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