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風次郎のColumn『東京JOYLIFE』
No260(C-17)
JR笹子駅
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2013年冬期
中央線各駅停車 17.笹子(平成24年12月記)
列車は初狩から変哲もない山合の国道20号線沿いを登っていく。窓から見えるのは
ただ国道とその先の川と、高みに見上げる中央道の橋梁が並行しているだけである。
鉄道も国道も高速道路も、笹子峠を越えて只管甲府盆地へと向かっているのだ。
平成24年11月に、中央高速道のトンネル内の天井にあったコンクリート板が落下
して大惨事が起き不通が長引いている朝であった。車窓からは国道20号線が見えた。
大月インターを降りた下り方面への車両達と勝沼から一般道の笹子トンネルを通って
来た上りの車両達が、まだ明けきらぬ冬の山合にライトの光を連ねて行き交っていた。
列車は笹子川及び国道20号線と綾を結んで北側中央道の直下を走るが、笹子の集落
が目立つようになるあたりで再び川を渡って綾を戻し、笹子駅に入っていった。
笹子駅の所在は、山梨県大月市笹子町黒野田、笹子の集落もまだ市政改変で広くなっ
た大月市内にある。そして笹子峠が甲州市との境界となる。
駅は東日本旅客鉄道に属し、1903年(明治36年)2月1日に国鉄中央本線の大
月駅と初鹿野駅(現、甲斐大和駅)間が開通したときに開業した。
現在は旅客のみを扱う無人駅である。
この駅(笹子という名前)には悲しみの歴史がを思い起こさせ、寂しさが漂うような気が
する。今回の中央道トンネル内落盤事故は鉄道ではないが、中央線開設と笹子峠越えの
トンネル設置にまつわる時代の経緯は苦難の伴う経過を伴っていたと聞く。
それを乗り越えて完成した中央本線ではあったが、終戦直後の昭和20年の9月6日、
スイッチバックに突入した列車の事故は駅構内で死者60名、負傷者91名という大惨事
になってしまった。
「スイッチバックのため折り返し線に早朝午前3時41分に到着した下り列車(ED
16形電気機関車牽引)が、車止めを突破し機関車と客車9両のうち3両が大破転覆」
と、鉄道史に記録されている。列車が車止めを突破したことによる転覆事故。原因は機関
車乗務員の居眠り運転であった。
この駅はその後も、通過可能なスイッチバック式の構造を有していたのだが、昭和41
年12月12日、複線化にともなってスイッチバックは廃止された。今は25パーミルの
勾配をもつ本線に沿ってホームが設けられる形に改められている。路線の傾斜は安全に
耐えられるとされたのであった。
あたかもその際は国鉄民営化による合理化、無人駅化に伴う処置であった。
しかし、どことなく悲劇の空気の残る寂しさの伴う駅と思うのは何故だろう。峠を越える
辛さが滲むということなのだろうか。
本線との分岐点付近に残存するレールに、スイッチバック時代の名残を見ることがで
きる。
島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎とホームは地下通路で連絡している。
私には母が八ヶ岳山麓に老後をいたわっていた頃、帰省の折笹子餅を買ってお土産に
した思い出がある。
ずっと古い昔には、鈍行電車にも乗り込んだ餅売が首から下げた籠に、山ほどの笹子餅
を車内販売して歩いていたのだった。よもぎを使った餅で餡をくるんだ小さな餅菓子だ
った。幼い頃、私達の東京への往復時、母は旅の楽しみに必ずそれを買って私たちに食べ
させてくれたのだった。数年前のあるときは、降り立って、駅前の菓子店でその名物の
「笹子餅」を買ったこともある。
○
笹子といえば、トンネルが話題から離れることななさそうだ。
ちなみに、鉄道の笹子トンネルは、1931年(昭和6年)に上越線清水トンネル(
全長9702 m)が開通するまでは日本一長い鉄道トンネルだったのである。(下り線
=笹子トンネル全長4658m、上り線=新笹子トンネル全長4670m)。それを称し
て笹子側のトンネル入り口に伊藤博文による「因地利」の額字(意味は「地の利に因っ
て」と解釈できる)があり、甲斐大和側には山縣有朋による「代天工」(「天に代わっ
て工事す」の意)と名士の揮毫が掲げられている。
そして、国道20号、甲州街道は、江戸と信州下諏訪(中山道と合流)を結ぶ江戸
時代から重要路であった。笹子峠はそのほぼ中間の、黒野田宿と駒飼宿の間にあたり、
同街道の最大の難所と言われていたのである。
この道路の機能を飛躍的に高めたのが、1938年(昭和13年)峠の頂上のほぼ真
下を貫く笹子隧道(全長:240m)が開通してのことであった。さらに1958年(
昭和33年)には新笹子隧道(トンネル)全長2953m が開通したことで、国道は
それまで御坂峠越えの主要ルートを笹子峠越えに改めたのである。国道20号は峠道を
トンネルを利用できることで画期的な利便性への進化をしたのである。
駅から峠道を登っていき、トンネルの手前まで行くと、明治13年、明治天皇の山梨
巡幸の際に休息した場所であることを記念した「明治天皇御野立所跡」という石碑が建
てられている。しかし眺めは笹子川の渓谷風景だけで、深山幽谷の感がある。
坂道の街を歩き、川を渡って中央高速道の事故現場に近づいてみた。
そこには悲しみが漂うばかりで、新たな進展への希望の空気はまだ見当たらない。
トンネルの天井は鉄の細い棒で吊るされていて、それが抜けたとのこと、近代化が進む
とは、何と冒険的なことではないか、と私は思ってしまうが――。
行われている工事はそれを取り除くことだと言う。
幸い難工事を乗り越えてきた鉄道や一般国道では今だトンネル事故は起きていない。
最新鋭の技術が生かされるべき高速道路も永久にそうあって欲しいものだと思う。
風次郎
左笹子トンネル 右新笹子トンネル(笹子駅側入口)
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