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風次郎のColumn『東京JOYLIFE』
No260(C-14)
日本三奇橋の一名勝「猿橋」
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2012年07月15日
中央線各駅停車14.猿橋
下り列車が鳥沢駅を出ると大きな鉄橋を渡る。鉄橋から北側には並行している国道20号線(甲州街
道)と中央道が重なるようにして見える。そこからはトンネル1つで猿橋である。土手の豆蔦がいっぱ
い車窓にせまるなかを猿橋の駅に入っていく。ホームから見えるのは山裾に広がる平地の屋並み集落、
そして、中央道の大きな橋桁の先、北側に見える山が駅に案内標識が立つ百蔵山と扇山だ。
島式ホーム1面2線を持つ、橋上駅舎であるが、島式ホームに相対して旧ホームが残されていて、留
置線が有る。
大月駅管理の業務委託駅(東日本環境アクセス委託)みどりの窓口は2009年(平成21年)に営
業を終了した斜陽駅である。しからば、乗降数も2008年度1668人、2009年度1620人、
2010年度は1594人と減少している。
駅は桂川の右岸の段丘にある。山が数十メートル南に迫っていて、平地部分は狭く細長く駅の北、国
道20号沿いだけである。
梅雨の季節の或る午後、私は雨の猿橋駅に降り立って、名勝「猿橋」を訪ねた。
改札を出たところには県内のパンフレットはあったが、肝心の猿橋のものが無い。たった一人の駅員
が改札口から見える事務室の奥で椅子にもたれてゆったり構えているのが見えた。うろうろしていると、
北口の階段天井に「名勝猿橋」の絵看板があったので、その方に引かれて駅前に出る。
大きなセメント工場が目立つほかは大した町並みも見えない。タクシーが2台並んでいた。
南口と北口があるが、駅だけが立派で寺が駅を挟んで3つもある。駅の南の山の上には、パストラル
びゅう桂台という住宅地が出来た頃、山上との連絡にシャトル桂台という磁石を用いたモノレールが無
人で運転していたとのことだが今は無い。
名勝「猿橋」の玄関口は北口だった。
日本三奇橋の一とされる猿橋と古い集落(町の中心部)は桂川に沿って国道20号沿いにあるとのこ
とであった。
タクシー乗り場の先の、ちょっとしたありきたりの商店街を通って、国道20号線に出る。
駅側に生コン工場の高い設備を見ながら歩く。商店街と言える程の通りは1km先に行った辺りに観
光名所「名勝猿橋」の看板があり、町の郵便局、農協の売店などがあった。北側に入っていくと市立の
猿橋公園、また、郷土資料館などがあるのだった。そこから川沿いを散策して名勝「猿橋」に至るのが
通常のルートと言えようか、私は国道を歩く方を選んで、国道の交差点から観光バスの駐車場を通り、
展望台があると教えられた方へ向かった。
「猿橋」は橋と周囲の自然景観との調和の見事なことから、昭和7年に国の名勝に指定されている。
また、安藤広重の「甲陽猿橋の図」、十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」にも見られ有名である。
長さ31m、幅3.3mのさして大きくない木橋だったが谷が31mと深く、橋脚がたてられないた
め、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支える珍しい構造である。
刎橋では、岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させ、その上に同様の刎ね木
を突き出し、下の刎ね木に支えさせている。支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く
出し、これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていくのだそうだ。これを足場に、上部構造を
組み上げ、板を敷いて橋にしてある。
猿橋では、斜めに出た刎ね木や横の柱の上に屋根を付けて雨による腐食から保護しているのだと言わ
れるが、その風情たるや、これぞ日本の情感とでも言えようか。
この「甲斐の猿橋」は「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並び、日本三奇橋のひとつであ
る。
古代、推古(すいこ)天皇の時代に来日した、百済(くだら)僧志羅呼(しらこ)がサルが何匹もつ
ながって川を渡るのを見て、この架橋法を思い付いたという伝説があり、「「猿王の藤蔓をよじ、断崖
を渡るを見て橋を造る」という伝えのもとに、橋畔に猿王を祭る山王宮の小祠があった。
また、戦国時代には、当時、甲斐の国を治めていた武田氏が抗争において度々猿橋に陣を張ったとい
う記録が残っている。戦中には敵の進行を防ぐために橋を焼き落としたこともあったとのことである。
1934年に上流に新猿橋が造られ、国道(現在は山梨県道505号)はそちらを通るようになった。
1973年(昭和48年)には別の新猿橋が下流に造られ、国道20号が通っている。
現在の猿橋は、古い猿橋を継承するものとして、H鋼に木の板を取り付け、岸の基盤をコンクリート
で固めて造ったもので、1984年(昭和59年)に架け替え復元されたものとのことである。部材を
鋼に変えた1851年(嘉永4年)の橋の復刻版と言うべきか。人道橋で、橋は狭い、2〜3人が並ん
で歩けば一杯。木造風なのがが見て気分良い。
橋からの眺めは、上流下流に甲州街道の近代橋(新猿橋)が、眼下の深い谷は岩間に耽々と青緑の水
が流れていた。
中央本線は鳥沢〜大月間が開業した1902年(明治35年)には猿橋の脇を通っていて、列車内か
ら橋が眺められたと言う。しかし、1968年(昭和43年)梁川〜猿橋間複線化の際に途中駅の鳥沢
駅から新桂川鉄橋で桂川を渡り、猿橋駅に至る南回りのルートに変更されたため、列車内から橋を眺め
ることはできなくなってしまった。
いずれにしても「今は昔」と言うことか。古きを訪ねると言うことには、「寂び」を伴うと言うこと
か――。
風次郎
斜陽だが立派な猿橋駅舎
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