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風次郎のColumn『東京JOYLIFE』
No166(C-02)
立川駅北口
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2010年8月1日
中央線各駅停車2.立川
風次郎
fuujiro@jcom.home.ne.jp
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立川の駅は何処から撮ったら「らしく」写るのかとふと考えた。
この10年くらいの間に 大きな駅ビルになって、改札口のコンコースは便利に南北に
抜けた。
しかしこれは駅舎と言うより商業ビルだ。
思えば都会地の駅はいわゆる駅舎というイメージが次第に無くなってきている。
日本の鉄道輸送の中心でもあった東京駅でさえも、皇居に向かって建つ正面の建物
を記念建築として改修して残すことになっているとはいうものの、駅スペースの大半
は広大な駅なかマーケットと化した。「駅なかマーケット」という新語もできた。昔、八重
洲口に大きな建物が出来、「大丸」と言うデパートが出来たと聞いた頃は、大きな駅
には「デパートがある」と、都会センスの象徴のように憧れたのを懐かく思うが、
旅の出発点であった駅舎はいままた風物詩のひとつとして懐かしむ、と言った想い
出を辿る場所になってしまった。
JR「立川駅」は中央線の主要駅としてここを基点に南武線、青梅線と繋がってい
る。今は近代的な、立派な駅になったが鉄道が来た頃の駅周辺は目立つものは何も無
い村落であったそうだ。
大正11年(1922年)に陸軍の立川飛行場が出来てから、賑わうようになった、
どちらかというと新しい街である。
大戦後、その飛行場が米軍に接収されて、立川基地となり、以後基地の街となって
砂川闘争など対米軍のみならず、市民運動の地として私の年代者にはそのイメージが
なかなか拭い去れないところだった。その影は今も隣接する横田基地に淡く残影が引
き継がれていると言うべきか。日本の首都東京を始め関東一円の上空は、今も戦後の
まま横田管制空域として米軍の支配下にある。
しかし、平和都市「東京」はどんどん住宅地を拡大した。
今日、東京郊外多摩川流域に拡がった住居地域を、中央線を跨いで南北に走る多摩
都市交通モノレールも交通網に加わり立川駅を交差している。
立川駅周辺は多摩地域の中心の商業地となって賑やかに発展しているのだ。
元軍事施設だった飛行場はその広さを大いに生かした「昭和記念公園」としてわが
国有数の規模を誇る平和な施設に生まれ変わっている。他所から来る人はこの駅を経
てそこへ行くのである。
西武鉄道拝島線に「西武立川」という駅があり、時々JR立川駅と連絡(近接)し
ていると間違われることがあるらしい。西武鉄道拝島線はJR中央線ほぼ並行して都
心から北側を走り「西武新宿」〜「西武拝島」間を繋いでいる。
西武立川」駅は拝島から一つ都心寄りの駅で位置的にはJR立川駅と昭和公園(元
立川基地の跡地)を挟んだ北西にある駅である。
風次郎
立川駅南口
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