水と共に美しい「睡蓮」花言葉は『信仰』『清浄』『信頼』
Music
by Music Cafe-Megumi Ichihara
(挿入曲 モーツアルト ソナタK331)
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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No614(A041)
「より良く人生を生きたい」
これは誰もが望むことだと思う。
しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
ののようにも思う。
だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。
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2020年1月5日
42.「上善如水」 年頭所感
風次郎
yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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100歳時代だという。そう欲張りたくないとは思うが、仮に100歳まで生きら
れたとしても、我が人生は余すところ20年余である。そこまでいかずとも、人並み
に90歳くらいを掲げるとすれば、最早10年そこそこでしかない。「10年はアッと
言う間だ。」そう思えば、大きな目標を掲げられた春秋に富む青春の時代は、未来に
向けて期待に燃えた日々だったように思う。勇気々々と多少の危険も顧みずものごと
に取り組めたのは若さだった。
人間は若さを保つことは、少しの時以外できないと知る昨今である。
諦めではない。自然の中に身を置き、人生を受け入れることは、思いのほか「尊い」
と「納得」して「素直に認め」生きようと思う。
上善如水 (最上の善とは 水のようなものである)
水善利萬物而不爭 (水は万物を利して 何物とも争わない)
處衆人之所惡 (人が避ける所にも流れる)
故幾於道 (故に 道に近い)
老子は、「水」に理想の生き方を見出した。
万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に
身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたのである。
水は、柔らかくしなやかでありながら、一方では硬いものを穿つ強さも持ち合わせ
ている。しかも、万物に恵みを与え、争うということなく低いところに留まろうとす
る。「水」に「最上の善」というものを見出したのである。
善には、上善と中善と下善とがあり 最上の善は水の如しということである。
最上の善とは、争いを避けて生きること。…というのも、老子が生きた時代(紀元
前6世紀〜紀元前4世紀)の中国は国同士の争いが絶えず、争うことで利を得ようとい
う生き方が一般的だったからであった。
当時は誰もが、「人よりも上に行こう」「人を蹴り落としてでも上を目指そう」と
いう躍起になって戦っていた時代にあって、老子は、「人と争わず、常に低いところ
に留まりなさい。まるで水のように」…と、生き方の見本として“水”を挙げている
のである。
日本の戦国時代「軍師」黒田官兵衛(1546〜1604年)は 47歳の時に家督を息子・
長政に譲り 出家して「如水」と号した。これは「上善如水」という老子の言葉に典
拠したとも言われる。(司馬遼太郎によれば、上記以外に、「水ハ方円ノ器ニ随フ」
という孔子の言葉を典拠にしたか、或いは如水自身、「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖
モ心ハ水ノ如ク清シ」と隠居後の心境を語っていたことに由来するとも書いている)
「如水」に類して、一橋大学の同窓会(同校支援団体)は「如水会」と称されてい
る。この同名は、「礼記」の中にある「君子交淡如水」(君子の交わりは淡きこと水
の如し)に由来したとされ、命名者は渋沢栄一とのことである。
他に、「水五訓」というのもある。
一つ、自ら活動して他を動かしむるは水なり。
一つ、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり。
一つ、常に己の進路を求めて止まざるは水なり。
一つ、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり。
一つ、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり、雨となり雪と変じ霰
と化し凝っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失わざるは水なり。
「上善如水」を静かに考えて暮らすこととしたい。
風次郎
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