国立にも菜の花が咲いています
Music
by Music Cafe-Megumi Ichihara
(挿入曲 モーツアルト ソナタK331)
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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No580(A032)
「より良く人生を生きたい」
これは誰もが望むことだと思う。
しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
ののようにも思う。
だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。
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2019年3月3日
32.遠美近醜(えんびきんしゅう)
風次郎
yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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仏教学者清沢満之が説いた言葉とのことです。
物は、遠くで見ると奇麗に見えるが、近くで見ると汚く見えるという、ただ、それだ
けを言ったに過ぎないのですが――。
霞を隔てて物を見ると美しく見える。夜見るとき、遠くから見るとき、笠に隠れた顔
の一部をのぞいて見るときは、はっきり見えないので実際より美しく見えるものである。
まったく露出しているとつまらなく見えるものが、物を隔てて見るとよく見える。錯覚
を生じるのである。
菊池寛の書いた『時の氏神』という劇の中で、親が夫婦間のトラブルを抱えてやって
きた娘を説得する語りの部分に、次のようなくだりがある。
私はこのあいだ戸山ヶ原に行った。どこかそこいらにいい芝生があったら腰をおろそ
うと思っていると、二、三間先に青々としたところがあるから、さっそくそこへ行った。
さて行ってみると、どうにも芝生が薄くて汚くて、とても座れそうもない。そこで頭を
上げて遠方を見ると、いかにも青々とよく茂っている場所があるので、そこまで歩いて
行って腰をおろそうとすると、そこも真上から見ると、まえと同じようにやはり薄くて
汚い。
くるりと後ろを振り向いて、そこからまえいたところを見ると、今度はまえにいたと
ころのほうが、はるかに青々と茂っていて奇麗に見えた。
人生というものも同じことで、遠くで見ていると奇麗に見えるが、自分がその中に立
って見ると、まことに薄くて汚いものだ。だから、いかに薄くても汚くてもそこに満足
して、腰をおろすのが人生である。――と、
こう言って聞かせるのである。劇はこんな人生哲学が主題である。
静かに胸に手を当てて、日々の生活を見つめると、『遠美近醜』を思わせる実態の
数々を受け止めなければならないような気がする。
人生行路は身の周りのことを素直に受け入れて、コツコツ築き上げるものなのであ
ろうか――。
風次郎
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