秋を感じさせるコスモス
Music
by Music Cafe-Megumi Ichihara
(挿入曲 モーツアルト ソナタK331)
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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No550(A026)
「より良く人生を生きたい」
これは誰もが望むことだと思う。
しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
ののようにも思う。
だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。
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2018年9月2日
26.惻隠の心
風次郎
yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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『惻隠』は孟子によって説かれた。
善行のエッセンスを儒学に探せば、孔子の説く「恕」(我が事として他人を思いやる)
と、孟子の「四端説」に行き着くと言われる。
孟子は、人には先天的に「惻隠(あわれむ心)」「羞悪(恥じる心)」「辞譲(譲り
合う心)」「是非(善悪を判断する心)」の四つの感情が内在すると説く。
そして、孟子の、「惻隠の心は仁の端なり」の「心」の部分は、『大学』に於いては、
「惻隠の情」となり、「給驍フ道(他人の)心を推し量り、相手の好むことをしてやる心
情、態度」と、孔子同様の「恕」の思想と重なるのである。
日本人の心がけは、孟子の師である孔子の「仁」に通じ、弱者を守り、親孝行するなど
全て「惻隠の情」から来ていると言われます。
それは長く日本人の心であったのですが、戦後、次第に消えてしまったのではと残念
がる人が多いのも事実です。自立心や独立心が、やや独善への傾向を招いているの
かもしれません。
「四端説」を或る解説書から引用すれば、心の作用には4つの要因があるとしていま
す。丁度人間には手足が合計4本備わっていると同じように、自然にだれにでも備わっ
ている心の作用です。つまり、
@惻隠の心……………「仁」 「人に対する同情の心が仁につながる」、
A羞悪の心……………「義」 「自分で恥ずかしいと思うことが、義につながる」、
B辞譲の心……………「禮」 「遠慮する心の作用は礼につながる」、
C是非の心……………「智」 「良否の判断をする作用は智につながる」となります。
このように自然の心の延長線上に徳のすべてがあり、決して無理に押しつけられたり、
後から教育されたものではないとの受け止め方です。
孟子が使ったような本来の意味を考えてみると、人生行路のなかで重要な役割を果た
す格言のように思えます。
そこで、「惻隠の心は仁の端なり」ということを実社会の面で応用してみるとどういう
ことになるのでしょうか。
「惻隠の心」とか「惻隠の情」という熟語は、難しい言葉のようですが、孟子の「性
善説」とは別に「あわれみの心」という意味で広く常用されているようです。
「惻隠の心」は、いたましく同情する心ですが、相手の立場に立って、ものごとを感
じとるという感覚上の自然の性格の発露と考えたいものです。
夏目漱石は作品のなかで「可哀相とは、惚れたということよ」と言っていますが、「
愛」という心情に結びつき「他人を愛する」という博愛の精神と同類型の心の動きと言っ
ているのでしょう。
キリスト教の中心の部分にも、「神は愛なり」という教条がありますが、われわれ日本
人の心のなかには、愛という概念はなかなか捕らえにくく、実生活のなかではその考え
方を生かしにくいようではありますが。
社会生活を送る際にも、家庭生活を過ごすのにも、「愛の精神」が根幹にあって、大
きく作用しているのです。 「惻隠の心」=「仁」=「愛」となるように思います。
孟子は「同情心やあわれみの心」がすべての徳目の出発点であると断定したものと
考えます。
風次郎
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