富士見高原・六月の富士
  

                                                                  Music by Music Cafe-Megumi Ichihara
                                                                    (挿入曲 モーツアルト ソナタK331)

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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No540(A023)
 

                               「より良く人生を生きたい」
                              これは誰もが望むことだと思う。
                               しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
                              ののようにも思う。
                               だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
                             
                               風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
                               そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
                               どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。

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                                                     2018年6月3日
  23.忠恕
                                                    風次郎
                                                  yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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                          忠恕(ちゅうじょ)とは、孔子の唱えた人間の最も本能的で基本的な徳のことです。
                           「忠」は人間が自然に持っている真心。
                           「恕」は人間が自然に持っている思いやりの心。
                          忠恕をひとつの漢字であらわせば「仁」ということになります。人が生きる上で一番大
                         切なのは、「まごころ」と「思いやり」です。

                           『夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ』これは『論語』の里仁篇15番目の
                         項にでてまいります。『論語』全巻の根本の原理を述べたことばとして重要視されている
                         と言われます。

                                                     * 

                           ―― 『論語』貝塚茂樹訳注(中央公論社の中公文庫)によれば、

                           先生が曽子をよんでいわれた。
                           「参(しん=曽子のあざな)よ。自分の道は一本を通してきたのだぞ」
                           曾子がこたえた。
                           「わかりました」
                           先生が座を立たれたあとで、門人が(曽子に)たずねた。
                           「大先生のおっしゃったのはどういう意味ですか」
                           曽先生がいわれた。
                           「先生の道は忠恕、つまりまごころと思いやりとにほかならないのだ」
                
                         * 忠とは「自己の良心に忠実なこと」、つまり「まごころ」です。そして、恕とは「他
                         人の身になってみて考える知的な同情」、つまり「思いやり」です。そこで、「忠恕」とは
                          「まごころと思いやり」ということになります。

                          また、中国三国時代の魏の学者、王弼は、「忠は、情の尽なり。恕は情に反りて以って物
                         を同じうするものなり」と注釈しています。
                          「忠」は自分の気持ち(情)を尽くすことであり、「恕」は自分の気持ちを振り返り、物
                          (他者)の気持ちを自分の気持ちと同一視することだと説明しているのです。

                          そして、朱子の『論語集注』には「己を尽くすをこれ忠と謂い、己を推すをこれ恕と謂う
                          」とあります。

                                                   * 

                          孔子の教えは仁、礼、徳、信、孝悌など様々なキーワードで展開されています。そして、
                         「論語」の中で、孔子はありとあらゆる方法で道を説いており、時には、儀式の進め方や喪
                         の服し方について、細かに述べたりもしています。ですが、その全ての根本にあるのが、「
                         まごころ」と「思いやり」だと断言しているのです。
                          これがなければ、孔子の壮大な大系も無に帰するのです。
                          つまり、ここで、孔子は人間にとって一番大切なのは「まごころ」と「思いやり」だとは
                         っきり断言しているわけです。「のみ」という強い断定が、それを表していると思います。
                          「まごころ」と「思いやり」がなければ、儀式を正しい手順で進めても意味はありません。
                          「まごころ」と「思いやり」がなければ、表面上は正しい喪の服し方をしていても空しいも
                         のとなってしまいます。

                          このことは、孔子が生きた2500年前も21世紀の現代も変わらないはずです。また、
                         孔子は主に政治家の在り方について話しているのですが、子供の教育についても完全に当て
                         はまります。
                          親や教師はいろいろなことを子供に教えます。
                          躾をし、勉強を教え、基本的生活習慣を身に付けさせ、健康な生活の仕方を教え、人間関
                         係の作り方を教えます。しかし、その根本にまごころと思いやりを教えなければ、全てはむ
                         なしいものになってしまいます。
                          躾がきちんとされていても、ずるい人間ではどうしようもありません。
                          勉強だけできても、人を思いやれないような人間ではどうしようもありません。

                          さらに、一番大切な「まごころ」と「思いやり」を教えるためには、教える本人がそうで
                         なければなりません。教える本人が、身を以て手本を示さなければならないということです。
                          権力的立場にあぐらをかき、上から目線で子どもを叱り続けるような親や先生は、子ども
                         にまごころと思いやりを教えることはできません。
                          ですから、この言葉は、教え手である私たちがいつも念頭に置くべき言葉なのだと思いま
                         す。
                          常に、己に投げかけるべき言葉なのです。

                                                                       風次郎
                                                                         

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