国立のさくら
  

                                                                  Music by Music Cafe-Megumi Ichihara
                                                                    (挿入曲 モーツアルト ソナタK331)

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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No532(A021)
 

                               「より良く人生を生きたい」
                              これは誰もが望むことだと思う。
                               しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
                              ののようにも思う。
                               だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
                             
                               風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
                               そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
                               どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。

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                                                     2018年4月1日
  21. 良薬は口に苦し
                                                    風次郎
                                                  yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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                      今の時代薬は苦いということはほとんどない。飲み安くして健康改善がしやすくなっているのである。
                      だが、薬草などを使っていた古い時代には煎じた薬などはとても苦くて飲み難かったに違いない。
                      なぜ飲まなければならないかが理解できない子供には苦いことが効果のある証なのだというような説
                     得をされた記憶を私自身も持っている。
                      ここで取り上げたいのは、それになぞらえて「よく効く薬が苦いように、身のためになる忠告は素直
                     に受け入れにくいということ。それをあえて受け入れていくことが大事ですよ。」という金言『良薬は
                     口に苦し』である。

                      出典をたどれば、中国史上法家の代表的人物韓非の言行を伝える『韓非子』には「夫れ良薬は口に苦
                     し(病に能く効く薬は、苦くて飲みにくいものである)。而るに智者の勧めて之を飲むは、其の入りて
                     己の病を已むるを知ればなり(しかしながら、智恵ある者が苦い薬を飲むのは、薬が体内に入り病を癒
                     やすことを知っているからである)。忠言は耳に払らふ(人からの忠告や言動をいさめる言葉は聞いて
                     気持ち良いものではない)。而るに明主の之を聴くのは、其の功を致すべきを知ればなり(しかしなが
                     ら立派な君主が忠言を聴くのは、政治を行うのに役立つことを知っているからである)」とある。
                      また、『孔子家語』には孔子の言葉で「良薬は口に苦けれども病に利あり。忠言は耳に逆らえども行
                     いに利あり(良薬は苦いが飲めば病気を治してくれる。忠言は聞きづらいが、行動のためになる)」と
                     ある。
                      世情に下れば『江戸いろはかるた』の一つには、「良薬口に苦し忠言耳に逆らう」が取り込まれてい
                     る。或いは、金言耳に逆らう/苦言は薬なり、甘言は病なり/薬の灸は身に熱く、毒な酒は甘い/忠言
                     耳に逆らう/苦い薬は泣いても飲め/薬酒口に苦うして病に利あり(【英語】Good medicine is
                     (tastes) bitter to the mouth. )などの類語も数多くある。

                      人は病に限らず、長い人生を歩む途上、この「良薬」を飲みながら成長していくのであると言えよう。
                      それも故事成語に倣えば苦い薬でなくてはいけない。だが、親も先生もそこらで説教してくれる大人
                     も、本当に「良薬」をくれる人は極少数なのだ、と言うことである。
                      それはあるいは、大人になって成長してからそう思えるのかもしれません。
                      人は歳を重ねるごとに様々な経験をしていく。義務教育までは確かに子どもたちは似たような道を歩
                     むかもしれない。ですが、その後はもう完全なる個として人にはない経験を得ていくのだ。
                      そして、今や指導だけでなく、いろいろな情報の集積が一人の人間を作り上げているわけである。
                      そのような中から見つめるものを選択し、自ら将来を考え見据えた行動をして、考え方の基準が生ま
                     れるのだと思う。

                      古典にはまつわる逸話【先に掲げた孔子家語・六本より ※商(しょう)=殷のこと。※士=読書人、
                     知識人。】で孔子は云う。、
                      商の湯王(とうおう)と周の武王(ぶおう)には直言する忠臣がいたから大いに栄えた。夏の桀王(
                     けつおう)と周の紂王(ちゅうおう)は唯々諾々と従うだけの臣に囲まれていたから滅びた。
                      もし、国君に直言し諫める臣がおらず、父に直言し諫める子がおらず、兄に直言し忠告する弟がおら
                     ず、士に直言し忠告する友がおらねば、過ちがなくても、いずれは過ちを犯してしまう。
                      だから私は言うのである。『国君の過ちは家臣が指摘して補い、父の過ちは子が指摘して補い、兄の
                     過ちは弟が指摘して補い、己の過ちは友が指摘して補う』このようにすれば、国は亡国の兆しがなく、
                     家の中は正道に反する悪事がなく、父子兄弟の間に仲たがいなく、友も行き来を絶つことがない」と。

                                                 ○

                      「良薬口に苦し」である。
                      よくきく薬は苦くて飲みにくい。本当に自分のためを思ってしてくれる忠告は、ありがたいが聞くの
                     がつらい。日常経験しなければならない事柄も同じように考えれば、乗り越えるエネルギーが湧いてく
                     るかもしれない。
                      人それぞれの個性によって基準は異なろうが、先ずは自分の置かれた状況を見渡し、仮に逆境や
                     失敗の局面に立たされても、それを良薬として受け止められる精神力を得るために精進したいものと
                     思う。

                                                                         風次郎

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