西洋風蝶草

                                                                  Music by Music Cafe-Megumi Ichihara
                                                                    (挿入曲 モーツアルト ソナタK331)

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風次郎の『善言・愛語』
――日々心の修養の為に――
Tokyo Joylife No457(A001)
創刊 

                               「より良く人生を生きたい」
                              これは誰もが望むことだと思う。
                              しかし、これを実現することはなかなか難しい。そう思いつつ日々を過ごすことが人生そのも
                              ののようにも思う。
                              だから心の修養を心掛けるということなのだろう――。
                              ついにこの国の皆が言う「後期高齢者」の仲間入りをした。

                              風次郎も凡人として、生き方を事につけ思い巡らしている。
                              そんな日々の中で留めたい珠玉の言葉を見つけたり、注目して記してみたいと思う。
                              どうか読者の方々も賛同いただけたなら、生き方の中へ加味していただきたい。

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                                                     2010年7月31日
1.愛語について
                                                    風次郎
                                                  yahfuujiro3@yahoo.co.jp
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                        最早行動力が衰えてきた自分を思う。
                        言葉の力を借りてしか、自分を励ます事が出来ない年齢に至った、とでも言おうか。
                        例えば、災害地に出掛けて行ってボランティアを行おうと奮い立っても、受け入れる方だっ
                       て、気持ちは有難いとしても働く人がそこで躓いてしまっては“傍迷惑”ということになって
                       しまうだろう。だから躊躇する。体力が持たなくては始まらない現実がある。行動が伴わない
                       ことには項垂れてしまう。
                        だからと言う訳ではないが。
                        これまで歩いて来たのは、つたない素朴な人生航路ではあったが、励まされた言葉の数々、
                       お目に掛かった「金言」を、日記風に取り上げ噛み締めてみたいと思う次第である。
                        風次郎版“徒然草”といったものにすぎない。が、どうか共感を願ってお読みいただくこと
                       をお願いしたい。

                       1.「愛語」の出典

                         「愛語」という言葉を見つけた機会を記しておきたい。
                        会社勤めをしていた頃、管理者教育の一環として参加していた勉強会で配布された、当時龍
                       源寺の住職であられた松原泰道氏の「叱る心・学ぶ心」という資料にあった言葉である。

                        これは曹洞宗の開祖道元の「正法眼蔵」にある、「愛語は、愛心よりおこる。愛心は慈心を
                       種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。」から引かれたとのことだ。

                        ――愛の心は、慈心よりおこると道元はいう。
                        慈心は、仏教思想では“最高の友情”をさす。最高とは、だれかれという少数の特定者では
                       ない。だれにもかれにもひとしく愛情をそそいでこそ最高とする。それであればこそ、愛語に
                       廻天の力が備わるのだ。
                        廻天には、天をひきまわすとか、天子の心をもとの正しさにひきもどすことの意味がある。
                        つまり、その人の一生を左右し、生涯を変えてゆく大きな廻転のポイントとなる力があって、
                       はじめて「愛語」といえるのである。――と、
                        松原氏は、慈心は自分を厳しく律してこそ得られるもので、自分を決して甘やかせず、他人
                       に対する何倍も自分を厳しく律していることは「忍」に通じるものだ、と説かれた。忍の字は
                       たんなる辛抱ではない。刃と心の二字、つまり自分の心に白刃を突きつけるような厳しさと、
                       慎みなのである、――と。
                        続けて、わが心に白刃をつきつける厳しさを人目につかぬように、きわだたぬように、つつ
                       ましやかにオブラートで包む柔かさが大切なのだ――とも教えてくれた。

                        人目につかぬように、きわだたぬように、つつましやかに――など、まだまだできたためし
                       がない。
                        道元の生涯には学ぶべきと思うことが多い。日頃人に接する、物を申すときに感ずるのは、
                       この「愛語」になかなか近づけないことである。我ながら慚愧々の日常と言うべきか――。
                        ある人は、「言葉を使わない教え方がある。答えないという教示がある。語るも師、語らぬ
                       も師」と言った。叱言もまた優雅でなければならぬとは、痛く身に沁みる。
                                                                      風次郎
 

  

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