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13)ライン川と沿岸の町(1)
シュヴァンガウを離れフッセンの街をやりすごしたあたりは相変わらず湖沼が多い。
湖の畔で昼食をとった。
空が少し割れて雪が止んでいた。広々とした湖の水面は波も無く穏やかだった。ほんの
一瞬日が照って、薄い遠山へ続く輝きの風景を観たと思ったが、すぐに又雲の中に隠れ、
細枝が空に広がり萱の立つ雪景色に戻った。ドイツアルプスの遠望を期待したが叶わなか
った。
アウトバーンを3時間を走り、シュトットガルトの街を超えてライン川に近づいていく。
ライン川は全長1233キロ。そのうちドイツを流れるのは698キロである。
ドイツ史はライン流域を主軸のひとつとして展開している。攻防の歴史と産業の通路で
あったライン、そして人々はこの川を「父なる川」と呼ぶ。ドイツ語には男性名詞と女性
名詞があるが、河川のほとんどは女性名詞であるのに対し、ライン川、マイン川、ネッカ
ー川など歴史を担ったごく少数の川だけが男性形であらわされるのである。歴史になぞら
えられて逞しく戦った感傷の遺産をあらわしているのだろう。
また、いわゆるローマ帝国史の発端に位するカエサルは、ゲルマン人たちが当時既にこ
の川に、 “Vater
Rhein” 「父なるライン」という呼び名をつけているほどの重みを意
にしてか、彼もまたこのライン川を防衛線(リメス)とするべく展戦し、その基礎を整え
たのであった。
この国境としての役割はローマ帝国時代が崩壊しても、東に連なるドナウ川とともに長
い間ゲルマン世界を形成する上で重要不可欠な要素のひとつとなってきたのであった。
ローマ帝国史の由来を引いて、ラインは。右岸と比べて左岸(西側)の方に現在でも大
きな都市が多い。それは古くからローマ帝国領として栄えていた名残である。
私たちのその日の宿泊地はルートヴィヒスハーフェン。マンハイムとライン川を挟んで
対岸の街である。マンハイムはともかくルートヴィヒスハーフェンあまり有名では無い町
の名前だったが、チェックするとそこはラインの西岸だったので興味を持っていた。
バーデン=ヴェルテンベルク州のマンハイムからラインに架かった橋を渡ると、そこは
ラインラント=プファルツ州である。アウトバーンを降りるとすぐに宿泊するホテル、「
ベストウェスタン」に着いた。ルートヴィヒスハーフェン駅のすぐ隣、バスターミナルと
並んだ場所にあり市内に出かけるのも便利かと思われた。
私はいつもの通り翌朝駅を眺めつつ市街地の散策に出たが、駅前に少しの商店街が並ぶ
のみで大きなビルも無く緑地公園の多い住宅地の感じがした。駅といえども新築された駅
舎ばかりが大きく、ホームがずらりと並んでいたが、いわゆる発着駅の賑わいも無い。構
内にも小さな売店が2〜3あるだけのものだった。
折角のときだからと、売店で買い物をして店番の婦人と話してみると、通勤客の出入り
する時間帯の混雑が酷いと言っていた。お互いに不十分な英語でのやり取りで話がうまく
展開しなかったから多くは分らなかったが、市民16万人の人口の大半は勤め人というこ
とのようだ。只、ここには世界最大の総合化学メーカーであるBASF社の本社が置かれ
ている。やはり川の向こうに、マンハイムという中世から宮殿も建設され王族も係る行政
の中心となった都市が開けたことで住み分けがなされたのだろうか。
スイスアルプスのトマーゼ湖に端を発しているライン川は、アルプスを下ってドイツ、
スイスの国境を辿り、スイス・バーゼルの対岸ヴァイル・アムラインからカールスルーエ
までフランスとの国境を北上する。そこからはドイツ国内を流れルートヴィヒスハーフェ
ンが在するラインラント=プファルツ州に入っている。
州は西はフランス、ルクセンブルク、ベルギーの国境に接しているのである。
現在の国境がライン川のかなり西に敷かれた由来を辿るだけでも、民族の歴史の複雑さ
を思わせる物語が潜んでいると思えてならない。
ライン下り観光
「ライン川下り」は朝のリュウデスハイムらの乗船であった。
やはり大勢の日本人観光客が一緒で、それに対応する船の案内も日本語で行われた。た
くさんの城や名所の解説は良く分ったが、あいにくの雨で最初のうちデッキに立てなかっ
た。しかし、霞みつつ移る古城を船室で眺めながら仲間と談笑するのもまた悪くはなかっ
た。
ライン流域はローマ時代から現在に至るまで、人や物資を運ぶための交通の中心であっ
た。現在は川の両岸に並行して鉄道も走っている。
中世期、要路であったライン川は、その輸送品を収奪するために盗賊が砦を構えたので、
領主は盗賊退治と河川の通行税を収受したり、自分の領域内を監視・管理するために城を
築いたという。両岸には機能を終えた後、放置されたり破壊されたりした城跡も多く残る
とのことである。
盗賊の代わりに領主か、と揶揄したい思いも加わってか?城の数を数えたり、覚える努
力をする観光客は数多いらしい。そして乗船してしばらくは、非常に興味を惹かれるが、
下船時刻が近づくころになると、もうどうでも良くなってくる人が多いとの話も聞いた。
サンクトゴアで降りて、ガイドがわざわざ手配したというローレライを対岸の正面から
見られるレストランで昼食をとった。ローレライの伝説効果はいやはや大変なものだ。前
に来たときも世界○大がっかり――とか言ってひやかし、笑い合いながら喜んだりしたが、
こんな立派なレストランは無かった。船中から、なあんだ――と見ていても、あらためて
窓越しに眺めるローレライはまんざらではなかったと言っておこう。
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