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日中の晴天をよそに、アウトバーンがベルリンの郊外にかかる頃、空には雲が広がり、
早い冬の夕暮れが街の灯を冷たく呼び起こし始めていた。
今回の旅では重きを置いたベルリンの滞在であるから、それがたとえ2日間の短い日
程であっても、私は大切に、大いに感性を高めて臨みたいと期待は膨らんでいった。
超高層のビルは目立たないが、明かりを散りばめた都会の夕暮れの様相は窓の外に厚
みを増してきていた。
いつの間にか知らぬ間にバスは市街地の通りを走っている。途中のドライブインで手
に入れた道路マップの地図を頼っても、自分の居る場所は良く判らず、ひたすら車窓に
額を付けて眺めていると、道を行き交う人の多い繁華街が続いている。歩道の先にはシ
ョウウインドウが並び、航空会社や、銀行の看板も見えていた。
バスは広い道路を進んで鉄道のガードを潜った先を曲がりホテルに到着した。そのあ
たりは西ベルリン時代からのいわゆるショッピング街「クーダム(クーアフェルステン
ダム通りに面した街)」と言われる地域だという。
バスは、私たちが投宿するベルリン・クラウンプラザホテルに到着した。
○
ホテルで夕食を済ませ、部屋に落ち着いた。
旅仲間は近くのデパートやクリスマスマーケットへ出かけていったが、私は見送って
PCを開き日本の友人たちにメールを送った。
かつて東西に分離されていた頃の西ベルリンを訪れた友人から、通行が許されてブラ
ンデンブルグ門から東ベルリンヘ渡ると、その雰囲気の曇天的なものに心が重くなった
と、聞いたことなどを思い浮かべながら、わが世代が大戦によって受けた痛々しい記憶
の拭い去れないことを考えた。
その友人は当時、あの門を潜ったとたん「暗くまさに死の街、元は同じ街だったのに
!」と、驚きというより 絶句の心境だったとも言っていた。その場所に、私も明日は
立つ。
明日は、一度訪ねたいと思っていたポツダム宣言が出された会議場も見に行く。
あの宣言を日本が受諾したことにより、当時の我が家は突然軍務にあった父との別れ
を余儀なくされ(結果的には父は帰国できたのだが)着の身着のままで、直ちに満州出国
の旅に出たのであった。満州で生まれた私は3歳、弟が1歳、
日本から行った母と小6の
兄、小2の姉が必死に私たちを抱えて連れ帰ってくれ、私は今日があるのだ。
メールには「何故生きてこれたのか、錯綜する思いの中で私はベルリンにいます。」
と――。
何度も敗戦の憂き目に会いながら、近年の苦難を乗り越えた統一ドイツは、今日、ヨ
ーロッパの経済を左右するほどの力を持ったかに見える。が、どうしても私には時代の
まやかしにしか思えないのである。
その中心地を是非体験してみたかった旅である。
夜更けのベルリンがクリスマス飾りの電飾に瞬く窓を眺めながら、床に就いた。
○
ベルリンという名前はスラブ語で池や湿地を意味するようだ。その通り地図で見ると
多くの湖に囲まれた地である。漢字では「伯林」と書くがそれもその通り、大きな森の
中の都である。1248年、ブランデンブルグ辺境伯がブランデンブルグからここに宮殿
を移して都とした。
1871年にプロイセン国王が皇帝となってドイツ帝国とし、ベルリンはその首都と
なった。後、ビスマルクの外交手腕によってオーストリア、ハンガリーを支配しベルリ
ンはヨーロッパにおける国際政治の中軸となったのであった。
今も、地方分権の歴史が長いドイツでは、金融と交通ではフランクフルト、産業では
ルール地方、ミュンヘン、シュトトガルト、ケルンとされているが、政治の都として駿
然と映る。
○
日曜日の早朝であった。
ホテルを出て当て所なく歩くことはあまりない。昨夜フロントでもらった地図では泊
まって居るホテルの場所さえよく掴めなかったが、都市の大きな街並は区画が割合はっ
きりしているからと安心ではあった。30分ほど真っ直ぐ進むぐらいでは町並みがなく
なることは無いから、帰り道を間違うことも無い。私の朝の街歩きは1時間の往復コー
スである。
ベルリンの朝は寒風が吹いていた。強風ではないが耳が冷たい。
早朝の暗い街ではあるが、いたる所にクリスマス飾りが施されているため、街を眺め
ることは出来た。ただ、店舗やオフィスビルの窓から来る明かりはそう多くはない。
とりあえず明かりが多い方へ歩き始めた。ホテルの前を左へ、そして交差点を曲って
クーダム(Kurfursten
damm)の通りを行く。
もともとベルリンの中心地は東西に分かれる前、ブランデンブルグ門から東へプロイ
セン宮殿に導くウンター・デン・リンデン通りであったと言われる。分かれた西ベルリ
ンではそれに代わる中心地としてこの通りが賑わうようになったらしい。従って再び統
合後は客足もウンター・デン・リンデンに戻りつつあるとも聞く。
クリスマスのデコレーションに輝く電飾は色とりどりのモチーフを鮮やかに煌かせて
いた。ホテルのすぐ隣にあるカイザー・ヴィルヘルム教会にも電飾がともり大きなゴチ
ックの姿を浮かび上がらせている。先へ進むと背の高いビルの壁に多色で照らし出され
たツリーの電飾がひときわ目立ち、その下に雪だるまの造形がこれまた青と白でピカピ
カしていた。そのあたりが歓楽街の中心オイローパセンターなのだろう。
徹夜で土曜の夜を遊び尽した若者が家路に向かう姿など、どこの国でも同じに見える。
高級ホテルの居並ぶ街に、寒風に晒されては侘しい。これに抵抗して嬌声を発したり、
深酔いのさまを見せ付けるやや堕落のパフォーマンスもグローバルスタンダードと言い
たいほど、何処へ行っても同じだ。
若者であればよしとしてもいいが、私はドイツ語が殆ど出来ないから声が掛けられら
なくて残念だった。
お決まりのブランドショップも軒を連ねていた。都会の情景はアメリカナイズされて
いるとも感ずる。超高層ビルが競って建ち並ぶ街ではないが、通りの広さ、舗道の設備
や街路街灯など、整ったドイツらしい貫禄の町を感じた。
ビルの電飾
* 2011冬のドイツの旅(7)
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