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エルベ川の畔は,飾りつけられたアウグストゥス橋の眺めも加わって豊かな美しい風景で
ある。ゆったり流れる川の対岸には、新市街を背景に緑が広がって落ち着いた感じだ。
振り返ると、周囲はかって「百塔の都」と詠われた時代を偲ぶ宮殿などの街並みである。
格好な散歩道であろう。ブリュールのテラスと名づけられているそうだ。
ゲーテは「ヨーロッパのバルコニー」と称え、川に沿って続くこの小高い歩道を好んで
散歩したと言う。1884年から約4年間のドイツ留学をしていた日本人森鴎外も、滞在
していた間に、ドレスデンを舞台にした小説『文づかひ』を作品にしている。この街に魅
せられた芸術家は多い。
川に面して美術大学もあった。私たちもそのテラスで時を過ごした。
その日は12月最初の週末に当たる日だったため、広場には中世を偲ぶ仮装をした人々
が繰り出し、白馬も登場するパレードが行われようとしていた。近くには大きなクリスマ
スマーケットが盛況で、ここはドイツでも屈指の賑わいだとの事、はなはそちらで時間を
過ごしたいようだったので、私はこのせっかくの機会に美術館に入ることにした。
ザクセン侯は美術コレクションにも熱心だったから、それらを元にツインガー城を始め
修復を終えた栄光の建物が、殆どいろいろな文化遺産を開示する展示室となっている。私
はラファエロの「システィナのマドンナ」があるアルテ・マイスターに入ることにした。
ツインガー城の一角にある館内は大変な混雑であった。2階の隅に特設されたラファエ
ロのコーナーには正面に有名な「システィナのマドンナ」が飾られていた。
洗練された優雅な様式を用い、繊細な美しい描写で聖母を描いたことから「聖母の画家
」と仰がれたラファエロの絵は、やわらかく優しくて好きである。見入って時の流れを忘
れることが出来るように思う。ラファエロの聖母は、これまで「小椅子の聖母」(フィレ
ンツェ:ピッティで)、「大公の聖母」(同)、「聖母子(美しき女庭師)」(パリ:ル
ーブルで)と観てきたが、これでついに代表的なものはすべて直接鑑賞することが出来て
満足した。
ダヴィンチ、ミケランジェロと並んでルネッサンスの画壇に光る彼の芸術への主張は尊
い。これもローマ帝国のもたらした遺産ということになろう。ヨーロッパ文化の下地は何
処にもローマがある。
レンブラント、ルーベンス、ルーカス・クラナッハ、デューラーなどヨーロッパを代表
する画家たちの膨大な数の作品が壁狭しと公開されていて、離れ難かった。
昼食をザクセン料理の店で食べた。といってもジャガイモのスープとチキンといった平
凡なもの、ただし、この国の主食に出るジャガイモでなくパンが添えられていて、すいた
腹主としてはほっとした。歩いたあとだったからドイツビールが旨かった。
○
ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都ドレスデンを後にして、午後から、陶器の街マイセ
ンに向かう。
エルベ川を渡り、左折して北上して行く。川辺には収穫を終えたままの農地が続いてい
た。季節は冬なのに青い草原で、そこには家畜の放牧がなされている長閑な風景であった。
1時間もかからずにマイセンの国立の磁器博物館工場に着いた。そここそドイツの「マ
イセン」を誇る名窯である。
17世紀ドイツに陶磁器焼成の技術がまだ無かった頃、東洋の陶磁器は宝物とされてい
たと聞く。西洋社会では憧れの芸術品であったらしい。各国は競ってその製造開発に乗り
出し、時のアウグスト王も錬金術師ヨハン・フイードリッヒ・ベドガーを幽閉までして白
磁を作るように命じたとのことである。
ベドガーは苦闘したが、結果1709年、ザクセン・フォークランド地方のアウエ鉱山
のカオリンを用いて白磁の製造に成功し、西洋磁器の歴史の幕が開けたのであった。
今やトレードマーク「交差した二本の剣」が用いられているマイセンの磁器は、名誉を
掲げて世界に君臨している。
ベトガーは直ちに染付の複製を命じられて幽閉を解かれることなく、そのまま37歳で
死亡した。名匠にとっては哀れな生涯だった、と言わざるを得ない。
その工房兼観光休憩施設(博物館)で約1時間を過ごした。販売されている作品にはと
ても高価な値段がついていたが、はなは小さなものを土産に手に入れたようだ。
辺境城といわれたアルブレヒツブルク城の気高く立つ丘を見上げつつ、マイセンの街を
後にして、エルベ川沿いの道を、バスはいよいよドイツの首都ベルリンへ向かうのであっ
た。
マイセン国立磁器博物館工場 磁器の創作展示
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