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風次郎の世界旅
 2011冬のドイツの旅
(3)

music by TAM Music Factory

          
          ニュルンベルク駅(車窓)とカイザー・ブルグ城
     

      3)ニュルンベルグ

                           ベンツのバスが来たが、昨日乗った超大型の試乗提供の車ではなく、車体に大きな地
                          元旅行社のマークが入った60人乗りのバスだった。私たちのグループは32名だったの
                          で、それでもゆったり十分だった。
                           アウトバーンを100キロほど東へ走ってニュルンベルクへの移動である。
                           車窓には、刈り取られた麦畑の丘がうねって続く。ここも古のローマの歴史が綴られた
                          舞台に変わりはない。広大な平原だ。遠い森は、イタリアのトスカーナを思い出させる
                          風景が流れていた。
                           ときどき窓の近くには藪の原があらわれたり、丘の向こうに冬の代名詞か、霞んだ太
                          陽を見た。ぽつりと現れる部落は、葉を落とした白樺、クヌギ、楓、ポプラなどが周囲に
                          散立し、松の木ばかりが黒く映る。
                           1時間半走ってニュルンベルクの街に入った。

                           ニュルンベルクはケルンやプラハとならぶ神聖ローマ帝国最大の都市の1つ、ここもベ
                          グニッツ川を見下ろす高台に築かれた城塞都市である。
                           開城は神聖ローマ皇帝ハイリンヒ3世バイエルン公。多くの民族がそれぞれの社会を
                          形成しつつあった中世10〜13世紀の頃、この地はそれぞれを結ぶ重要な街道が交わ
                          る地点であることから、入植地として保護されつつ市街が形成されたのであった。ゆえ
                          に成立初期、すでに市場の開催権を得ていたし、多くの皇帝はニュルンベルクを進んで
                          居館に選んだのである。
                           1219年、皇帝フリードリヒ2世の大特権授与により城壁に囲まれた帝国自由都市
                          (免税交易ができる)となった。しかし、1525年、宗教改革の受け入れによって皇
                          帝との関係は次第に疎遠となり、「皇帝の街」としての権威は失われていく。
                           三十年戦争(1618~1648の国際戦争「最後の宗教戦争」、「最初の国際戦争」
                          などと形容され、新教派(プロテスタント)と旧教派(カトリック)との間で展開され
                          た宗教戦争と捉えられることが多いが、宗教闘争に名を借りた民族対立の戦いであった)
                          以降、とくに19世紀になると、ドイツ初の旅客鉄道アドラー号がニュルンベルクから
                          フュルトまで運行開始(1835年)など、ニュルンベルクはバイエルンの工業中心都
                          市の一つとして発展する。
                           また地域の要衝であることはナチス党政権下時代も変わらず、ナチス党大会は193
                          3年から1938年にかけてここで行われ、(レニ・リーフェンシュタールにより映画
                          化されている)「帝国党大会の街」としてプロパガンダの上で重要な都市となった。
                           都市の発展はユダヤ商人の活躍の場となった為に、民族的偏見をももたらす結果を生
                          み、ナチスは1935年ニュルンベルク法を制定して反ユダヤ主義思想の法的根拠を得、
                          強く推し進めたのであった。
                           時代を反映したワーグナーの人気喜歌劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」が
                          あるが、そこにも当時のワーグナーの思想である「ドイツ精神」の復興とともに、反ユ
                          ダヤ主義が織りり込まれている(説)とのことである。
                           総じて、ここは第二次世界大戦に絡むナチス党政権下のドイツを象徴する都市となる
                          に至る。終戦後、いわゆる「ニュルンベルク裁判」(戦勝国によるナチス独裁政権下の
                          指導的戦争犯罪人に対する裁判)もこの町でおこなわれている。

                           第二次世界大戦中、ニュルンベルクは連合国軍による空爆の優先目標となり、徹底的
                          に破壊される。が、戦後、市は建設責任者ハインツ・シュマイスナーの指揮の下、かつて
                          の都市構造に従って街の再建を行うという方向付けがなされた。現在の街は、実際には
                          大部分の建物が戦後に再建されたものであるが、城壁に囲まれた旧市街は中世の面影
                          を残す美しい町並が復元されている。
                           歴史の背景を頭に置いて眺める街はまったく戦禍を連想させない遺産を思わせるもの
                          で、私は戸惑いさえ感じた程であった。

                                                       ○

                           ニュルンベルク中央駅の正面を右手に眺めながら城壁に近づいてバスを降りた。左手
                          にユニークなデザインの門を構えたゲルマン国立博物館があり、その脇に私たちを案内
                          してくれるガイドが待っていた。
                           予定は昼食をはさんで城壁内の旧市街と中央広場のクリスマスマーケットを見て歩く
                          ことだった。聖ローレンツ教会(ゴチック)の前を通り、中央広場でこれもゴチックのフラウ
                          エン教会(聖母教会)を見上げた。いずれも中世の宗教紛争の舞台であった頃の象徴的
                          な建物であり、他にも宗教的な建物が多い。すぐ先にルネッサンス様式の旧市庁舎が、
                          その前にシェーナー・ブルンネン「美しの泉」があった。その八角形の19mもの高さがあ
                          るピラミッド状の塔に40の彫刻で飾られた噴水である。塔を囲む鉄柵には金色の輪がは
                          め込まれ、それを3回左に回す間に願い事を唱え、誰にも話さなければ、必ず願いが叶
                          うと、説明が掲げてあって、旅行者は手に触れて楽しんでいた。

                           昼食前にカイザー城を巡った。城壁内北の丘に聳える一番高い見張り塔は丸い石造り
                          で厳めしい。
                           城内から、ここに住んだ多くの城主が眺めたであろう街並みを見下ろすと、教会の塔
                          がたくさんあるのが目立った。色とりどりの民家の屋根や数多く復元された木組みの壁
                          がその昔を偲ばせる曇り空の下の風景であった。
                           城を降りたところでアルブレヒト・デューラーの住んだという家を見た。ルネッサンス期、
                          ドイツの代表的な画家であるが、ハンガリー生まれである。自画像も多いが宗教画の
                          時代を生きる為にこの町に住んだのか、宗教画と言え多彩を用いた美しい絵が多いよ
                          うに思う。

                           ハウプト広場の近くで昼食をとり、その後のフリータイムは広場や周辺に設けられた
                          クリスマスマーケットで自由時間を過ごした。
                           曇り空の下はやはり冬の寒さを感じないわけにはいかない。みなそれぞれに屋台から
                          手に入れたホットワインを手にして、賑わいの中で店を巡っていた。金銀を塗したクリ
                          スマス飾り用のデコレーションを並べた店が目立ったが、人だかりはチョコレートやビ
                          スケットの店に多かった。また「自分の店で秘伝として作っているケーキだ」などと特別
                          を訴えている店など職人の町らしい風景にも出会った。中にはこの地方の野菜を並べ
                          ている農家からの店もあったりした。
                           そもそもクリスマスマーケットたるものツリーを飾るための道具を買い求めたり、小
                          さなプレゼントを用意するための市民の憩いの場が始まりのようだ。寒さの中で約一月
                          もの間、わいわいと冬の余暇を楽しむ風習なのだろう。
                           私たちの時間はすぐに過ぎ去ってしまった。

                           私は、この町には「帝国党大会会場文書センター」があるので、そこでナチス時代の
                          ニュルンベルクの歴史資料を一見したいものと思っていたが、叶わなかった。もっとも、
                          見たとて内容が解るわけでもないだろうが――。
                           只、よみがえった街に身を委ねて過ごした時を得て満足した。

    
フラウエン教会と広場のクリスマスマーケット  

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