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西にライン、北にエルベ、東にドナウという大河に囲まれ、豊かな樹木に覆われた
深い森の国、この大地のアンデルの谷(デュッセルドルフ近郊)には約30万年前に
にネアンデルタール人、またハイデルベルグ原人が住んだのである。いわば文明人の
起源の地と言おうか――。
そして紀元前450年頃には、ケルト人がこの地を基点にヨーロッパ大陸を席巻し、
後ゲルマン民族としてヨーロッパ人の源流となったと言われる。その流れを営々と繋い
できたのが現ドイツ民族であろう。
さらに歴史が下れば、近代世界の進展に大きな影響を与えつづけた国でもあった。
が、ドイツの時代は、1989年11月9日、あの衝撃的なベルリンの壁が崩壊し
た時をもって、あらためて現代へと確実に開かれたのであった。その歴史の過程は紆
余曲折を経て今、三度と言おうか、EUROの経済を率いる立場にある。
重なる歴史上の大戦に敗者として伏した国が、今又混迷しているヨーロッパ経済に
敢然と指導力を確保しているのも事実である。ナポレオンもスターリンも、そこに都
の夢を描いたであろうベルリン。そこは一体どんなところなのだろう。そのドイツの
今を見たい、と言うのがこの旅へ参加する本題である。
金融不況が不穏な空気をもたらしている現下、アメリカはクリスマス景気に若干の
安堵を伝えるが、これとて楽観は許されてはいない。ヨーロッパ唯一の安泰国である
ドイツのクリスマスマーケットを眺めるのもタイミングとして悪くない。
―― ―― ――
はなと2人でクラブツーリズムのツアーに参加したのある。
スイス、フランスへのルートを合わせてライン河下りの観光をしたのは10年以上
前になる。それ以外この国を訪れてはいない。
12月に入ったばかりの雨上がりの朝であった。しばらく留守になるのでやや名残
惜しい思いをしながら愛犬スピカの散歩をいつも通り済ませ、中央線の電車に乗る。
ちょうどラッシュと重なって暮れの忙しい職場へ向かう人々の間に身をすくめる様に
して神田経由日暮里までを過ごし、東武のスカイライナーに乗り換えると、こちらは
空々の席にゆったりと腰を下ろすことができ、やっと旅に出る気分になってきた。
空港バスを試みたり、車を持ち込んだり、いろいろと試したこともあったが、他人任
せで時間にも安心感が伴うのは鉄道がいい。スカイライナーはちょっとデラックスな趣
もあるし、我が家では手荷物を宅配に頼んでこれを利用するのが定番になった。
成田に向かう電車の車窓は都心を離れていくに従って田園風景が多くなり、その分
いかにも日本的な思いを漂わせているようにも感じられる。それが、国際線の空港へ
向かうアクセスであるだけに、ノンストップで走る電車の車窓は日本の静けさが流
れていくようだ。
雨が上がり始めて、印旛沼のほとりを走る頃から電車は超高速で走るようになり、
間も無く成田の街を遠めに見ながら空港の構内へ入って行く。日暮里からはあっ
という間である。
荷物を受け取りJALチェックイン、旅行カウンターで受付、両替、自動販売機のお茶
でおにぎりを食べて腹ごしらえをする。11時に出国した。
そして11時55分64番ゲートから搭乗開始、満席の機内の客となった。
フランクフルト行きJL0407便は順調にテイクオフ、やはり日本人のアテンダン
スは安心、というか気心が知れているような思いで座って居られるような気がする。
今や、若さを失いつつある自分が分かる。要は日本語以外を話すのが面倒だし、他
国の人を意識するのが煩わしいということに過ぎない。チャレンジとか異国人との間
の新鮮な触れ合いに構えてしまうと言ういうことかも知れない。さらに乗っている時
間が長いと思うようになった。年は争えない。でも興味津々と出かけて行く。
フランクフルトには予定より少し遅れ17時に着陸した。日本との時差マイナス8
時間、第2ターミナルで入国の手続きを済ませる。
着陸時は既に陽が落ちて薄暮であったから、空港を出るとすでに暗い、6時30分
だった。
ローデンブルグに向けて出発。試供だ、と超大型ベンツの新車バスが待っていた。
世界に有名を保持しているドイツの誇るベンツもPR活動とサービスに余念が無いと
いうことだろう。席がゆったりしていて快適だったが、その分長さは18mもあって後
で運転手聞くと、今は使い難いと言っていた。
バスは空港に直結したこれもドイツの名跡アウトバーンを走り始めた。
アウトバーンの名称は1929年にハフラバ(ハンブルク=フランクフルト・アム=
バーゼル間自動車高速道路建設協会)によってケルン=ボン間35kmの道路が完成
したときから使われるようになったものである。
建設の発端は1933年、ヒトラーが、「休日には低所得者層が自動車に乗ってピ
クニックに出られる」暮らしが必要であると唱え、全長7000kmにおよぶ「帝国ア
ウトバーン」(Reichsautobahnen)の計画を掲げたことに始まった。
飛行機を離陸させるための滑走路としても使用できるように設計されていることも
よく語られ、全線無料で知られているが、いまは、東西冷戦の終結、EU統合によっ
て外国からの利用が多い大型トラックを対象に、有料化が図られているそうだ。また
速度無制限区間は路線全体の約50%となっているとのことである。この旅ではフラン
クフルトとベルリンの間を往復した格好になったが、大半のアウトバーンは殆どが片
側2~3車線でアメリカのフリーウェイに比べると幅が狭い感じがした。
夕方のラッシュに重なって何度かの渋滞に出くわし宿泊地ローデンブルグに着いた
のは夜9時になっていた。外側に張り出したジュピタール要塞の脇を通って駐車場か
ら夜のローデンブルグの城壁内に入っていった。
成田発フランクフルト行JL0407
* 2011冬のドイツの旅(2)
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