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風次郎の世界旅
e5 ヨーロッパ・メモリアルツアーin1996
(5)

music by KASEDA MUSIC LABO


Royd's Adam Room
――1996.12.05――

ヨーロッパ・メモリアルツアーin1996(5)

ロイズ往訪

              このツアーのロンドン滞在は2泊3日。2日目には市内観光をして3日目は自由時間を過ごして夕方のユーロスターで
             パリへ向かうことになっていた。
              私たちはこの自由時間にロイズを訪ねることにしていたのである。
 
              当時私は54歳。S損害保険会社で、自動車保険マーケッティングの全国展開を担当していた。
              損害保険はローマで発祥し、海運の発展とともにその機能的認識が高められ、世界の商都ロンドンにおいて引受組合
             ロイズが実績を積み制度として安定と地位を得たのである。
              このツアーはもともと、会社の厚生制度により、定年近い社員に対し15日の休暇(旅行会社と提携して旅行券付)が与
             えられたことにもたらされたものである。趣旨を理解してと格好をつければ、私にとってロンドン訪問は、言わば巡礼のよ
             うに思い立ち、その保険発展ルーツに触れ、有名なルーティンベルや、事故記録簿を見たいものだとの思いも加わっての
             こととも言える。
              たまたまその前年S損害保険会社は創業100周年記念行事を行い、提携しているロイズメンバー・セジック社からロー
             ランド会長が参加されたばかりでもあって、随行してきた社員に面識もあった。それに初代のロンドン駐在員であった当時
             の社長からの奨めもあったり、私がはじめてニューヨークへ出張したとき、5番街の「なにわ」という酒場で飲んだ社員Fが
             今度はヨーロッパの代表になっており、立ち寄ると言ったら「昼食でも」と楽しみにしていたことなどにもよる。 

              ところが、出発の2週間ほど前になって、ユーロスターに大きな事故があった。ユーロスターが止まってしまって、成田を
             発つときになっても、その日(12月5日)のスケジュールが確定せず戸惑ってしまった。結局直前になって3日目のパリ行
             きは午後の早いフライトに切り替えられたのである。
              すぐさま会社ロンドン事務所と連絡をとった。
              当日の私たちの自由時間は11時までしか許されなくなったので、希望を入れるのは1時間のロイズ見学(ビルが9時ま
             で開かない)のみになってしまった。しかし、それでも私はロイズには行って見たかった。
              添乗員と相談すると、11時にホテル前からバスが発つとのこと。事情を話すと、私たちだけでも街は何とか歩けそうだか
             ら、見込んで11時15分までにホテルに戻るという約束で、了解してくれた。もちろん荷物は彼女等に預け、念のため万一
             仮に遅れた場合には、独自にヒースローまで追いかけるということにした。
              ロイズ訪問では、当社内は勿論、一切の挨拶は抜きにして、案内してくれるセジック社のB氏に社まで迎えにきてもらうと
             いう綱渡り。厄介者の往訪だったと思う。
              おまけについで、代表のFは急遽ウィーンへ出張することになり、これはお互い好都合であったが――。

              12月5日(木)
              相変わらずの良い天気。
              朝食を終えたら8時過ぎ。委細を添乗員2人に頼んで、はなとチューブのランカスターゲートへ向かう。ラッシュで超満員の
             バカデカエレベーターでホームへ。
              ロンドンの我社現地法人はオールドゲート駅近くにある。リバプールストリートで首尾よく乗り換えると直ぐに着いた。異国
             で同胞というか、同僚に会えるのは余計親しみのわくものである。若いK・AとK・Uが迎えてくれた。今回の事情を詫び、しば
             らく現地の様子等を聞くうちに、セジック社のB氏が来てくれた。はなの通訳にK・Aが付いてくれることになった。外はせわし
             いラッシュの道路だったが、道すがら1昨日“マウストラップ”を観に行ったというと、2人とも行ったことがあると言う。やはり
             有名なのだ。私は「良くは解らなかったけど」と付け加えるのを忘れなかった。

              ロイズでは、正面玄関で通行証を受け、まず1階のネーム(会員)が保険引受のためのボックスを構えるスペースに入る。
              このフロアの中央に、かの有名なルーティンベルがあって、そこのボックスには年を取った男が座っていた。
              彼がことあるごとに連絡係となったり、大きな事故(クレーム)の知らせを行うルーティンベルを鳴らす役だそうな。そしてそ
             の近くの幅広いホールのようなスペースには、過去の船舶の大きな事故を記録した厚い大きなノートが置かれている。今日
             現在も伝統的な羽根のペンで記録される由である。机の引き出しに置かれたその道具が生々しかった。
             1階は海上保険関係、自動車が2階、火災はさらに上階で扱われている。
 
              羽根ペンで書かれたノートは凄かった。貫禄というか黒ずんだ年代ものにはその歴史物語のロマンを思い浮かべることを
             を禁じ得なかった。それとルーティンンベルを胸の奥に収めて私は満足した。

              ロイズビルはユニークだった。赤いオーバーコートの守衛が玄関に立っており、その背後のガラス張りの建物は骨材剥き
             出しのまま、下から上まで鉄骨の裸が見える。仏のデザイナーの作品でドゴール空港、ポンピドーセンターが有名なピアノ・
             ロジャースの設計の由である。なんとエレベータ―が壁の外、床以外全部ガラスなので乗っているのが怖いほどだ。
             旧ロイズビルの名残として、正面壁を残して新ロイズビルに調和させて建物に組み込み現存している。
              1階のルーティンベルから上を見上げると、8階まで全部内廊下総ガラス張りだ。各階を案内してもらった。ローランド会長
             の部屋も総ガラス張り、文字通り在席の様子が他のフロア―からも伺われる。居留守などは到底許されない。ガラス張りは
             我社にも持ち込まれたが、或いはここに由来するのかと思った。
              歴史的な打合せに使われたままの会議場アダム・ルーム(ロバート・アダム=創設期の名士)にも入れてもらった。調度品
             や大事にされている絵画にも眼が触れた。

              大急ぎの案内を終わり、B氏に礼を述べて外へ出る。K・Aがチューブのバンク駅まで送ってくれた。忙しいシティーの滞在
             だった。

              丁度バスがホテルの前を発とうとする時間に間に合った。
              ロンドンは本当に忙しい訪問だった。せめて当初のスケジュールだったらさわりの大英博物館見学ができたのにと思った。

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――ロイズの入館カード――

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