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ロンドン市内の観光
朝日がきらきら光っているように思った。窓から快晴の空を見上げてシャワーを浴びる。よくは眠れなかった。
全部がハイドパークだとばかり思っていた道路越しに見える公園は中央の大きな池(湖の名称がついている)を
境にケンジントンガーデンと2つがつづいていることがわかった。ケンジントンといえばダイアナ妃が住む宮殿だ。
妃もお目覚めであろうか!などと軽口を言いつつダイニングルームへ向かう。
昨日からの仲間たちが顔をそろえている。8時の集合まではまだたっぷり時間があった。パンとコーヒーにハム
とジュースを添えてゆっくり朝食をいただいた。
○
バスに乗り込んできた現地の日本人女性ガイドが、「今日は良い天気、それにシーズンとしてはめずらしいほど暖
かな日だ。」と、私たちが恵まれていることを口上に皆を喜ばせる。バスはホテルを離れてハイドパーク沿いにベイ
ズヲーター通りを東へ、つまり市の中心部へ向かって走り出した。
もちろんはじめて見るロンドンの街は輝いて見えた。ハイドパークに面した道路東側のビル街はさすがに高級ホテ
ルの窓々が公園を望む形で位置していた。中にはイスラエルの王様が買い取った元英国王宮の所有していた建物が、
今はカフェやキャバレーになっているなどの紹介もあって、ガイドは合わせて英国の国状をも説明している。大蔵省の
建物でさえリースバックの募集中であるとのことだ。
車窓からの眺めは、やはりロンドン名物の2階建て観光バスが目立った。
まだ早い朝の町に繰り出し、そのバスの天井にオーバーを着込んで陣取り、街の風景に溶け込んでいるような人々
の姿もあった。赤い色がよく合うようロンドンに相応しいような気がした。
ハイドパークの東の端をピカデリー通りへ左折して、日本大使館を左手に見ながらピカデリーサーカスへ向かう。トラ
ファルガースクエアそしてストランド通り、さらに東へセントポール寺院を眺めつつ、ダイアナ妃の結婚の日の様子を聞く。
案の上多少の素行批判はあったが‐‐‐。そして有名なロンドンブリッジ、さらに対岸から跳ね橋タワーブリッジを渡った。
左手はロンドン塔、古城が朝陽に照らされて渋く大層に居座るのもロンドンらしいように思える。
車が廻ったシティでは、日本から進出している幾つかの会社の存在も紹介された。独自にこの地に建築所有した純日
本製の建物も多いとのことであった。
ウェストミンスター寺院
下車して寺院内に入る。王室の戴冠式を行った寺院、壮大な寺院の床は、高名な人々の墓石となっておるとのこと。
その風習にはビックリした。
観光客は何食わぬ顔?でその上を皆歩いて行くのである。
人の名によって棺も違い、その後の祭り場所、祈りの場所も異なるというキリスト教。名を遂げた人々に対する名誉の
印を、祈りの場所や寺院内での処遇(飾りの大きさ)に相応させるなど、階級意識を仏教以上に感ずるのであった。少な
くとも死後の評価まで現世王室を中心に、その関係者から功労という評価がもたらされ、有力寺院が世話をする仕組み
は征服時代からの伝統或いは名残であろうか。いずれにしても、古今の宗教すべてに政治の後ろ影はつきまとっている
のだから、それぞれの差に過ぎないと言えばそれまでだが。
壮大さ荘厳さの建築様式に照らして考えさせられるものがあった。これがスイスのルターに始まる宗教改革に連なって
あるものなのだろうか?と。
また、カトリックとピューリタンの対立も往時の社会混乱をつくりだし、その影は現代にも潜んで在る。それでまた、チャー
ルズ皇太子とダイアナ妃の結婚式はもうひとつの大寺院セントポール寺院であったのである。
1番奥の礼拝堂の椅子に座り、この荘厳な寺院が与えるものを得ようと思いがあったが、戒律ばかりが頭の中を駆け巡
り落ち着きを失ってしまった。
ヴァッキンガム宮殿の衛兵交替
天候に恵まれまた火曜日にちょうど当たって、11時からの「衛兵の交替」を目の当たりに見物することができた。
宮殿の正門前の道路通行が制限されたので振り返ると、彼方左のほうから新任の当番衛団が出身地のシンボルを先頭
にして進行してきた。今日の衛団のシンボルは山羊であった。勲章を与えられている山羊だとのこと、15cmほどの角もき
れいに磨かれ光っていた。隊列は、先ず音楽隊、そして歩兵隊である。
隊はその勲章山羊に従い律儀に門を入って行く。すると今度は右側の道路から、これは国の軍隊らしき隊列がやってき
て門の中へ入っていった。両者が協力して任務を全うする仕組みのようだ。
門の中では慎重な新旧交替が行われ、ずいぶん長い時間を要していた。やがて交替の儀式が終了すると退任衛団の帰
路行進が華やかに行われるのを見ることができるとのことだったが、私たちはその交替劇を見ずバスに戻った。観光客へ
のサービスに配慮があって、門外で馬に乗った衛兵が写真におさまってくれたりしていた。隊員の冬場の服装は黒のオー
バーで覆われ、赤い隊服を直に見ることはできなかった。
ウィンザー城
ピカデリーサーカスの中華レストランで昼食をしてバスに乗り込むと、昨夜の睡眠不足も影響して物凄い睡魔に襲われ、心
地よい車の揺れを感じながら眠ってしまった。
目が覚めたときは、車窓からは午後の陽が傾いて影の濃い郊外の民家が見えていた。
ロンドンを流れるテームズ川の上流、ヴィクトリア朝の街、ウィンザー城下にはいっていく。この古城が今も王家の週末の居
所であるという。城に登る坂道はあたかも日本で言うなら神社や寺の門前通りのように古くからの商店が並んでいた。
門の通行切符をもらって中に入ると、有名なラウンドタワーが目につく一方で、なんと広大なお城である。王家の関係者にま
で居室を与えているとのことであった。堀を眺め、庭に目をやり歴史を刻んだ数々に人々がくぐった同じ狭い入り口を通って
建物に入っていく。
古城はなんと人臭いところだろうと、いつもの思いながら目を凝らしてしまう。城に入ると歴史のドラマはいかようにも想像で
きそうに思えてくる。ここに生きた人々は歴史の創作者であったのだからと。
城内のスケールも大きいものであった。また種々の来客を迎えるための調度品、権威と格調に選りすぐられた品々が案内人
によって丁寧に説明されたのも気持ちよかった。
私にとっては、レンブラント、ルーベンス、ディーブ、ダビンチなどの大掛かりな絵画が正にこの城用として画かれ、掲げられて
いることが新発見であり印象に残ることだった。それぞれの部屋の説明者は、見つめる私に静かなコメントをくれたが、時間が
少なくてしっかりとその好意を受けられず残念であった。
城の建物を出るともう夕方であった。少々寒くなる気配があった。城内の高台から見渡す田園の中の城下町は霞み始め、冬
の夕暮れに導かれる静かな佇まいを見せていた。陽がまだやや空に高い頃からその様、態をなし、古きロマンを慕うには格好
だった。
テームズ川の向こうには、この国を委ねるに足る若きエリートが通うといわれるイートンカレッジが見えていた。
時間をかけて再び訪れたいと思いつつ、新しい歴史もここに育つ民によって築かれるのであろうかなどと考えていた。
城内に併設されているセント・ジョージズ・チャペルに寄り、門を出て坂道を中央駅に下る。その脇の駐車場からバスに乗った。
ヒースロー空港に発着する飛行機をバスの窓に数えながら、再び市内へ向かう時を過ごした。
――ウィンザー城の売店でもらったみやげ袋に画かれたイラスト――