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シベリア上空にて
成田を12:10に飛び発ったJAL401は、茨城から東日本を縦に北へ向かう。大子から猪苗代へ、そして鳥海山を見下ろし
て日本海秋田沖を過ぎるともはや国境を越えて大陸、ロシアのバイカル湖、シベリアに向けて1直線に飛ぶのである。
すでに1時間を超える飛行が経過した。窓から見下ろす陸地は大陸であった。曲がりくねった一筋の河が黒くくっきりと見え
ていた。川辺には民家が点在しているのも見えた。
バイカル湖が見えると聞いていた。じっと眺めつづけていたが、行く先にはしだいに白い雲があらわれ、雪に覆われたシベリ
アを見ることができなくなった。この分ではバイカル湖も無理だろうと思った。もう12月に入っているのだ。厳しいといわれるシ
ベリアの大地は、山々はさぞかし、その白さにも冷酷さをあらわしているに違いない。想像を追って勝手な図を描きながら眺め
ていた風次郎は、酷しさとは裏腹のあまりにやわらかな雲の中を、その優しい真綿のような白い霧の中を、選り抜けるように飛
んでいる機上の自分に返った。
視界に入るやや前方の主翼はすでに伸長翼を納めて細く長い。鋭い先端に光るライトが翼で切り裂かれるように後方へ飛び
去るガスをボッと染める。美しさに引かれることと違った、そんな光景に捉われる暫くの時間が過ぎていった。
静かに日常から離れていく自分があった。
“猪苗代から鳥海へ、何回も飛んだっけなー”
それは秋田に赴任していた5年間の東京との往復の旅だった。 その延長線にあるこの航路で、今周囲の白に包まれて光を
見つめる。
旅は今日も新鮮だった。
“ああ、この航路は今が初めてなのだ。”
国内も頻繁に飛び回った。初めて海外に出たのは1988年。それ以来随分と日本を飛び立ったが、この航路は始めてだ。
ヨーロッパへの夢も勿論であったし、この北回りの航路にも大いに興味を抱いていた。
戦後世代として育った風次郎には、まだ「シベリア」とか「鉄のカーテン」といった旧ソヴィエト時代の冷戦の空気が漂った世界
のことが、思いの中から去りきってはいない。「捕虜」「抑留」そして「引き上げ」「ナホトカ」「コウアンマル」、敗戦による終戦が私
達の世代や周囲にもたらした数々の厳しい環境があった。そして、家族と離れ人生の過酷な舞台として「シベリア」を余儀なく受
け入れなければならなかった人々が多くいたことも。
「シベリア」は風次郎の生まれた満州につづく北にある。心の中で覗いていた寒い寒い白い大地で、寂しいところであった。
そこは鉄のカーテンで仕切られた大きな冷たい国であった。そのカーテンの向こうに近寄ることができない時代が続き、そして今、
平和の時代が来てその上を飛行機で飛んでいる。
静かな白い雲の中を。
−−−平和こそ人類の求める究極の境地である。平和はすばらしい。
生まれかえったハトのように、平和の使者のように、今飛行機は飛んでいる。
平和は新鮮だ。
昼のスタートであったから航路は日没を追いかけるように飛んで行くのである。
真っ白な雲の上、雲の中に西からの陽が時に眩しく射しこんでいたが、やがてすっかり雲の上を飛ぶようになって、白い綿雲を
見下ろしながら飛んだ。
機はヨーロッパへ向かっている。ロンドンのヒースロー空港着は午後4時である。それまで日は沈まない。
シベリアからモスコーへ、そしてスカンジナビアを越えオランダを経てロンドンへと。
シベリアの空も時には雲が割れて、白い地上が眺められるだろう−−−昼のワインの酔いに誘われていつしか眠っていた。
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――モスクワに近いシベリア上空から――
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