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1時間のフライトでジュネーブに到着した。冬の陽は落ちてもう夕闇であった。ジュネーブの空港はパリやローマのような大空港
ではなくローカルな感じだった。グループも小人数になって少し寂しい雰囲気だったが、混雑はなくそれにイタリアに比べれば安
全とのこと、ホッとした気分でゲートを出た。
最後の滞在地になる。リラも、まだ残っていたポンドもフランに変えてバスに乗り込むと、同乗した女性の現地ガイドが水も水道
の水がOK、さらにスイスはチップの習慣も基本的にはないとの説明。何とリラックスできる発言だったことか。
女性の現地ガイドは、ホテルと空港の送迎を勤める日本人転勤族の夫人とのことであった。永世中立国スイスの代表都市であ
るジュネーブには多くの国際機関が事務所を構えているから、日本からも沢山の人が来て働いていることだろう。その家族にとっ
てはこのようなかたちで日本から訪ねて来る人達と接する機会をもつことはとても好ましいことだと感じた。
ホテルはコロナバン駅のすぐ近く、空港からも10分程のところ『ホテル・ドゥ・ベルン』。バスは歓迎の意をこめてとレマン湖畔を
通り、静かにクリスマス飾りのイルミネーションが瞬くビュッケラー・ビルの角を廻ってホテルに到着した。ほんのり冷たいジュネー
ブの風を頬に感じながらバスを降りると、この日のスケジュールは全て終了、8人のグループはホテルのレストランで寛いで夕食
を囲んだ。
この旅でジュネーブへ寄るについて、私は東京赤坂にあるスイス観光局に出向き若干の資料を集めてあった。勿論シャモニー
からモンブランへの観光を楽しむことがメインではあったが、私は国際連合のヨーロッパ本部を訪ねることを期待していた。
第1次大戦の後、人類史上はじめて設けられた国際平和機構「国際連盟」の跡形を観ておきたいとの希望があったからだ。人
類史上はじめて設けられた国際平和機構「国際連盟」が創立された地の平和機構で、アメリカにある本部の雰囲気との相違を
感じ取ってみたいと思ったのだ。国際連盟の跡形もパレ・ウィルソンという記念館として残り、国連の1機関に使われているとの
ことだった。
国際連盟は、日本がその設立にさえ常任理事国として関与していたのである。その構想は主導したウイルソン・アメリカが、
創設しただけで加盟さへできないという波乱からスタートしたことによって、そもそもの不成功が描かれていたかのごとくである。
しかし、時の流れた今、私は市井の片隅で「日本こそ世界の平和に貢献できる貴重な国民族である」と思っている。「当時日
本にはその足跡があった」、とは思い過ぎだろうか?
そのことは夢に描くだけでいいとも思う。私の追う一つのロマン或いはセンチメンタリズムであっても、その場に臨むことが出
来ることを喜びとしたい思いだった。
さらにジュネーブは、その長い歴史を通じて、常にその独立、自由、思想を守る闘いを続けてきた処である。ヨーロッパ各地で
迫害を受けた亡命者の安住の地ともなった処だ。
ジャン・カルビンは宗教改革者として、ジュネーブを『プロテスタントのローマ』となし、ジャン・ジャック・ルソウはフランス革命を促
した。また、ジュネーブ条約調印を呼びかけて大戦の終結を呼びかけたアンリ・デュナンによって国際赤十字は生まれたのである。
急速な近代化を余儀なくされた結果とはいえ、自らの哀れな体験によって50年の辛苦を享受した日本は、その経験を基に、世
界に向けて何を貢献できるかを考えるべきであろうと思う。もし国際社会に対し、もしアメリカに対し戦後復興の謝意があるとする
ならば、その報いは歴史的体験から生まれ出ずるもの、もたらすものであってこそと思うのである。 自由も得た、富も得た現代
にして、そこに基盤をなす東洋の精神文化こそ、それを可能にする何ものでもないと思うのだが。
ジュネーブの一夜は静かに明けた。明けたと言っても時計が5時を廻ったというだけで、曇り空の町はまだ眠ったままだった。い
つもの通りランニングシューズを履きホテルのフロントを出るとかなりの風が吹いている。静かだと思ったのは窓からの様子だけで、
ビルのアーケードを連ねて飾られた旗がパタパタと音を立て、クリスマス電球がブランコのように揺れている。12月の風はやはり冷
たい、山と共にの国を思わせた。
レマン湖のほとりに立って体操をした。有名な大噴水は止まっていた。先ずモンブラン橋を渡りローヌ川に沿って走ろうと思ったが、
丘の下に大きな建物と電車通りが目に入ったのでそちらへ行って見た。路面電車の広軌が敷設された、夜の明かりが残る国際通
りだった。それも短くて100mそこそこで再び河畔に出た。川中にあるイル塔がもっそりと見えた。その下に続くポン・ド・リル橋を渡
って対岸を走って行った。やがて右に鉄道が並行し街並は終わってしまった。ホテル・デュ・ローヌのクリスマス飾りが風に波打ちな
がらもひときわ明るく輝いている。踵を返してベルク河岸通り、モンブラン湖岸通りと走ってゆく。犬を連れて走っている若い女性に出
会った。パリやローマでも走っている人には会ったが、考えてみると女性ランナーには初めて会った。やはり暗い時間帯は危険を感
ずるのだろうか。左手の大きな建物には、煌々とあらゆる窓に灯りがともっていた。パレ・ウィルソンは眠っていた。
ウィルソン湖岸通りに入ったあたりの湖岸の広場に、大理石の彫刻が作成中であるのを見つけた。男女が抱き合っている3mの
高さの作品で、まだ臀部と肩部がその形を見せ始めたところだった。“Seven tons kiss”という題名が印象に残った。カンパを求める
説明の看板もあった。何時か完成品を見ることが出来るだろうか?とふと思った。旅は残り少なくなっていた。
コロナバン駅は形の整った美しい駅であった。始発列車を使う人や、遠くからこの街に到着した人が行き交うのをここでも興味を
もって眺めた。ここはフランスとの国境、国際列車も発着するのだ。私は駅の地下へ入り、そこにスーパーマーケットがあることを発
見して、ホテルへ引き返した。
街角の可愛いクリスマス飾り
* 17.ジュネーブ(A)モンブラン展望ツアー
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